5日の日曜日の午後、日比谷でみました。
米国の独立記念日の週末だし、自分もそろそろ/いいかげん戦わねば、という決意を奮い起たせるためにも。
「グローリー/明日への行進」 - そんな明るい映画じゃないけど。 でも必見だよ。
米国のポスターはMartin Luther King, Jr (David Oyelowo) - 以下MLKJ - の後ろ頭だが、それを後ろから見つめる多くの人々もまた映画の中心にいて、それを見る我々もまた - ということなんだ。
(そこいくと日本のは、邦題も含めてぜんぜんだめよね)
1963年9月にアラバマ州で起きたKKKの教会爆破で少女4人が犠牲となり、1964年7月の公民権法(Civil Rights Act)制定のあとに有権者登録をしにいったAnnie Lee Cooper (Oprah Winfrey)が意地悪されて閉めだされ、そういったことを下敷きにMLKJとその側近たちがSelmaに乗り込んでいく。 「Selmaだな」「Selmaです」「いよいよだな」とか言いながら。
この時点でMLKJはノーベル平和賞を受賞していて、Johnson大統領とも今やるべきこと、今後やらねばならないことについて直接対話を重ねていて、それでも州知事も州警もまったく折れるつもりはなさそうで、FBIは盗聴も含めて彼の周辺を徹底的にモニターしている。
映画はFBIのログからMLKJの挙動を日時単位で正確に追いつつ、その表側/裏側で彼らはなにをどう悩み、考え、行動していったのか、を描きだす。 そこには妻Coretta (Carmen Ejogo)との愛憎あれこれや、同志であるべきSouthern Christian Leadership Conference (SCLC)、Malcolm Xとのやり取りも出てきて決して平坦な簡単なものではない。
全ての行動は政府側・体制側に読まれ、袋小路に追いこまれて叩き潰されることがわかっていて、でももうこれ以上は我慢できない、行動を起こさなければなにひとつ変わらないからー。
こうして1965年3月7日、最初の行進でBloody Sunday - 「血の日曜日事件」が起こって、そこから2回、3回に渡るSelma to Montgomery marchesの軌跡を描く。 それは勝利を獲得する爽快感や達成感からは遠くて、なんでこんなにも… という虚しさや徒労感のほうが残って、だって映画の公開直前に起こったFergusonも、ついこないだのCharlestonも、それに続くConfederate flagの件にしても… どこまで根が深いのだろう。
なので過去の歴史を学ぶかんじはしなくて、MLKJの逡巡や苦悩はあまりに生々しく、彼の周りの人たち - 生き残ったひと亡くなったひとみんな - も幽霊のように、というか幽霊のリアルさ怖さと共にそこに - 我々のすぐ傍に立って何かを囁く、そういう感触の映画。
“The Help” (2011)や”The Butler” (2013)と併せて見てもよいかも。
でも、アメリカの歴史を学ぶ、というより彼らの戦い方、兵法、抵抗の眼差しを学ぶために、今の我々が戦うための基軸を掴むために、ね。
それにしてもさあ。
<MLKJ>
憲法で認められていることを自らの手にするために戦い、メディアはそれをバックアップした。
<今のわれわれ>
憲法が憲法で認められないやり方で変えられようとしていることを阻止するために戦い(現在進行形)、メディアは知らんぷりをしている。
(… 明らかに退化してるよね。敵は幼稚で思考力想像力ゼロのファシストひとりなんだけど)
音楽はゴスペルからラップ迄、この50年間を包含する実に豊かなものでした。
とにかく見たほうがいいよ。
7.11.2015
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