19日の日曜日の昼、新宿でみました。
『雪の轍』。 英語題は”Winter Sleep”。
見るからに寒々しそうな風景のスチールだったので納涼にはなるかしら、と思って行ったがそんなでもなかったかも。
196分。 ほんのうっすら寒くなった、少なくとも、ほかほかあったかくはならない。
カッパドキアの岩の間に、岩盤に埋め込まれたように建っている古いホテルがあって、そのホテルを経営するアイドゥン(Haluk Bilginer)は元役者で、いまは引退していて、地方紙にコラムとかを書きつつ、そのうち「トルコ演劇史」のようなちゃんとした本を出したいと思っている。
彼は町に出た帰り道、ガキが投げた石で車のガラスにヒビを入れられ、憎悪にまみれた目をしたそのガキを問い詰めてみると、アイドゥンが家を貸しているとこの子で、家賃滞納で家具とかを差し押さえられたことへの恨みが根にあるらしい。
アイドゥンは典型的な文人、演劇だとおそらく古典劇の役者で、世間には疎くて汚いものはあまり見たくなくて見てこなくて、そういうわけなので離婚して実家に戻ってきた妹のネジラや、不釣り合いな若妻ニハルとはしょっちゅう衝突する。 ごろごろ本を読んだりで何もしていない(いいなー)ネジラは、兄の理想主義ぽい振舞いを嗤い、地域の人たちと寄付金を集めて慈善活動をしているニハルからは、貧しい生活がどんなものかわからないくせに、と罵られてぜんぜん噛み合わない。
もうひとり、石を投げてきたガキの叔父で、イスラムの導師でもあるハムディには、彼の妙にセコくて世俗的なさまに、宗教者としてあるまじき.. と苛立ったりしている。
周囲から見るとアイドゥンは、金に困っていないから好き勝手に日々を過ごせて、結果やたらお芝居的に尊大になってて、自分の思い描く人のありようを含めていろんなことを偏見込みで判断して、それを周囲に押し付けようとしている、一言でいうと高慢ちきでやなかんじで、周りの連中はそのイメージを抱いて彼に慇懃にぶつかってくるので、人間関係はまったく良い方向には転ばなくて、ニハルと大喧嘩になった彼は、ひとりイスタンブールに行くことを決意する。
会話では、難しい哲学的ななにかを提起するようなことが語られるわけではなく、どこにでもありそうな兄妹喧嘩、夫婦喧嘩、ご近所喧嘩、お金とか名声とか見栄とかをめぐる喧嘩、がトルコの有名な観光地 - でも極寒の、薄暗い照明、どんづまりの景色のなかで、陰々滅々と繰り広げられて、おかしいようなかなしいような、にんげんてやつは、とかぼんやり思ったりする。 チェーホフ、ドストエフスキー、トルストイ、ていうのはよくわかる。 ロシアぽい、ロシアの景色にとってもはまる。
最後にシェイクスピアがふたつ引用されて、それでほんの少しだけ正常なトラックに戻ったりするのだが。 でもこれの舞台が英国だったら、まったく別のトーンのになるんだろうな、とか。
あと、まったく噛み合ない、容赦も寛容さのかけらもない会話、ていうとこないだ見た『フレンチアルプスで起きたこと』も思いだした。 あれも雪にびっちり覆われた逃げようのない世界の - -
馬のシーンは、なんとなくJohn Hustonの“The Misfits” (1961) を思いおこした。
今晩のデモ、目がテンになるくらい警官がひどかったが(まけるもんか)、富市 - 和夫 - 哲哉の3連が聞けたのでとっても満足した。
7.24.2015
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