28日、フランス映画祭の6本目、これで今年のは終り。
これも当日券で、最初は見るつもりなかったのに映画祭の予告の度に流れるEmmanuelle Devosのしかめっ面にやられて見ない訳にはいかなくなってしまったの。
40~70年代の女流作家Violette Leducの評伝、実在の女性作家ものとしては前夜に見た”L'Astragale”に続いて2本目。 ふたりともとてつもなくタフでパワフル。
・Maurice ・Simone ・Jean ・Jacques ・Berthe ・Foucon ・La Bâtarde
という、全7章で構成されていて、Violette Leduc (Emmanuelle Devos)が、作家のMaurice Sachsと暮らしていて、彼から本を書くように勧められるところから始まり、次にSimone de Beauvoir (Sandrine Kiberlain)と知り合い、彼女を通してGallimardから本を出してもらい、Jean GenetやJacques Guérin(あのゲランね)と親交を深めたり喧嘩したり、そこそこの評価は得るものの母Bertheとの確執もあり、Fouconの田舎に一人旅をしたりして自分を見つめ直し、自伝”La Bâtarde”でその評価を決定的にするまで。
Violette Leducという作家そのものをあまり知らなかったので、そこはちょっと違うとか言えるわけもなく、Emmanuelle Devosさんの変な顔、困った顔、怖い顔、そのボディ全体に顕われてしまう不穏さとか、そういうのばかりをじっと見つめることしかできない。
私生児として生まれ、母に蔑まれ恵まれない少女時代を過ごして、レズで男もOKで常にぬくもりと愛と評価を求めてじたばたうろうろ不機嫌で、庇護者Simoneに対してはストーカーみたいになり、今でいうとめんどくさい奴、て煙たがられること確実のVioletteの落ち着きない彷徨いをEmmanuelle Devosさんは迫真、というかこれって地ではないか、というくらいの自然さ - 自然に不機嫌てなんか変だけど - で演じていてすごい。
彼女の基本は、あたしを見て!受け容れて!でぐいぐい押すばかりで、愛されるひともお金もなく裏切られたり見放されたりの繰り返しなのでいつ狂っちゃうのか自殺しちゃうのか、はらはらしっぱなしなのだが、前日にみたAlbertineと同様、どんな悲惨でもこのひとはめげないの。なんでかわかんないけど。
BeauvoirがいてGenetがいてGuérinがいた頃 - 実存主義の時代の生々しさおもしろさ、というのもあって、それならCamusもSartreもCocteauも画面に出せばよかったのに、とはふつうに思った。この時代を描く、というよりViolette個人のおもしろさが見えれば十分なのだろうが。
あとは彼女の本が読みたくなる。翻訳は60〜70年代初に二見書房から3冊出ているようだが、12月の本公開までに復刊してくれないかなあー。
それにしても、Emmanuelle Devosの揺るぎなさぶっとい力強さ、てなんなのだろう? ひとつ前に見た”Sils Maria”のJuliette Binocheとは誕生日2ヶ月しか違わないのだが、ぜんぜん違うよねえ。
(どうでもよいけど、ふたりともほーんの少しだけ自分よか年下だったとは…)
この後の”Timbuktu”もすごく見たかったのだが、もうさすがにあたまが。
7.05.2015
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