11.16.2012

[theater] Rechnitz (Der Würgeengel) - Nov.10

土曜日の昼、池袋の東京芸術劇場ていうとこで見ました。
Festival/Tokyoから、原作はオーストリアのElfriede Jelinek、演出はスイスのJossi Wieler、製作はドイツのMünchner Kammerspieleによる『レヒニッツ(皆殺しの天使)』。 110分。

二次大戦が終わる直前、ロシアが侵攻してくる直前、レヒニッツにある親ナチだったオーストリアの伯爵夫妻の城で、180人のユダヤ人が「パーティーの余興」として虐殺されたという「史実」をベースにノーベル作家のエルフリーデ・イェリネクが作った戯曲。

舞台は複数の扉やヘッドホンで外部とつながっている三角形の部屋、でも普段は閉じられている隠し部屋のようなとこで、その部屋に5人の白人の人たちが現れる。初老の男がふたり、それよりやや若めの長身の男がひとり、女性がふたり(ひとりは初老、ひとりはやや若め、どちらも男性とカップルである様子)。 一見、ファスビンダーの映画に出てくるような、ドイツの、ちょっと変な市民の風貌。

最初は正装してて、軽めの軽音楽にのって、客席にむかってやあやあ、て挨拶する。5人は部屋の外の様子を気にしながらも、下着姿になったり、パジャマになったり、カジュアルになったり、服装を変え、ピザを食べ、ゆで卵を食べ、チキンを食べ、ケーキを食べる。

そういうふつーの衣食住の流れに乗って、5人はいろんなことを喋り続ける。 この舞台が闇の歴史、闇に消えようとしている歴史を描いたものであることを知っている観客は、彼らの発言をその文脈に沿って位置づけ、解釈しようとする。

ドイツの歴史、民族のうんたら、戦争のこと、歴史のこと、善悪のこと、事実をめぐるうんたら ...

彼らは虐殺に直接関わっている当事者なのか、パーティの参加者として虐殺を外から眺めているだけなのか、虐殺の模様を「後から」報告しようとしているのか、虐殺の現場を「再現」しようとしているのか。

そのどれでも当たっているようで、当たっていないようで、でも全体としてわかるのは、隠さなければいけないようなことが、ひっそりと行われて、しかしそこに罪の意識はあまりなく、しかたなくやむなくで、でも、それはとにかく行われる。 行われた。
だれが、どこで、いつ、は扉の向こうでダンゴになっていてぼんやりとしかわからず、どこかに隠されてしまって、でも、それは行われた。

そのコトの周辺をまわっていくのは自分の言葉ではない言葉 - 外国語のように語る蝋人形のような人たち。

で、そうやっていると、この5人は自分であり、あなたであった、のかもしれない。
或いは、そこにいたのは「天使」だったのか? だれに仕える天使だったの?
 
会話劇、というよりはいろんなテキストを登場人物ひとりひとりが読み上げていくかんじ。 あるテキストを受けて次に、というやりとりの連鎖が時間の経過と共にある像を作っていく、というよりは、壁に一枚ずつ短冊を貼っていって、その模様の総体がことの次第を浮かびあがらせる、そんなかんじ。 テキストとテキストの間の繋がっていかない段差こそが、その救いようのない事実を、光の届くことのなかった暗がり - 墓穴の奥を語る。 

この陰惨な、しかし複数の証言まるごと闇に葬られようとしている史実に光を当てるとしたら、こういう方法しかないのかも。

とか、或いはここで、映画は例えばどんなふうに、とか。(関連イベントでこの事件を取材したドキュメンタリー映画『黙殺』(1994)をやっていたが行けず.. )

あるいは、Pina BauschのTanztheaterのようなスタイルで、つまりダンスだったらどうだろう、とか。 (Pinaはやらないだろうけどな)

字幕の日本語がちょっときつかった。 あれじゃみんな寝ちゃうよね… (みんな結構ぐうぐう)

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。