水曜日の晩、シネマヴェーラで見ました。ホワイトデーだし。よくわかんないけど。
米国で公開時に見て以来の再見で、"The Limits of Control"(2009) の前の静かで落ち着いた作品、と思われているが本当にそうだったのか、とか。
それは、はっきりと、"The Limits of Control"の序章だった。 Ip Manとおなじく、序章。
謎めいた手紙と限られた情報を頼りに自分の息子を産んだかもしれない昔の女に会いにいく。
リストにあるのは4人、ひとりは死んでしまっている。
最初の元カノは親密で、ふたり目はぎこちなくて、三人目はやんわりと拒絶されて、四人目ははっきりと拒絶されてぶん殴られて、五人目はお墓のなかにいるので、なにも応えてくれない。
で、彼は泣くの。
彼女たちのあてが全て外れると、今度は息子を探そうと思う。
けど同様になにも明らかにはならない。彼はたったひとりのまま。
こうして、かつでドン・ファンと呼ばれた男は、世界中の女を自分の妻として、世界中の男を自分の息子にすることを誓って地下に潜り、やがて数年後に「自分だけが最も偉大と思っている男」として、強大な力をもって世界にその姿を現すことになるだろう。
"The Limits of Control"で、彼の本拠地がスペインにあるのは、そこがドン・ファンの里だからだ。
彼はピンクの花を持って昔の恋人のところを訪ねた。 その花は崩れ落ちて、こんどはギターの弦を武器とする男が彼を追う。
従順でひとなつこい隣人ウィンストンはもういなくて、同じ肌の色の男が、無愛想な刺客としてやってくる。
物語のポイントは、誰が最初の手紙を送ったのか、息子を産んだのは誰だったのか、という謎とその追跡にあるのではなかった。
謎の探求が頓挫し、手向けた花が萎れてしまったとき、男の頭に浮かんだ野望と彼が取るであろう行動(映画では描かれないが)を予測すべきだったのだ。 (Re: 911以降にブッシュがイラクに対してやったこと - 大量破壊兵器保持疑惑の追及はたんなる口実だった)
そこから、ブッシュが再選された時のジャームッシュの尋常ではない怒りと共に、それが発火点となって次作である"The Limits of Control"は用意されたのではなかったか。
ジャームッシュの、倦怠と怒りに溢れた00年代の2本として。
Bill Murrayはものすごくよいねえ。 この役をGeorge ClooneyやRichard Gereができるとは思えない。 ソファにあんなふうに座って、あんなふうに寝るひとを見たことがない。
今回のシネマヴェーラの特集、そういえばBill Murrayばっかしかも。
あと、あの猫。 そう、猫だけが彼の企てを見破っていたのだよ。
エンドロールが終わったくらいのタイミングで建物がぐらぐら揺れだしたので、あ、Bill Murrayのせいだ、とすぐにおもった。
3.15.2012
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