シドナンに続けてみました。 『エデンより彼方に』。
これも未見だった。公開当時、BAMとかではサークの『天はすべて許し給う』-"All That Heaven Allows"(1955) とこれの2本立てを何度かやっていたが、サークのほうは見てもこっちはなんとなくパスしていた。
うつくしー。
シドナンは、パンクが世間の冷たい目に追われてパンクしてしまうお話だった。 こっちはハートフォードのゴージャスな家庭と夫婦がやはり世間の冷たい目に追われてゆっくりと崩れてしまうお話。 前者は都会の小汚い通りとか部屋とかを転々としつつ、後者は秋から冬の美しい郊外の景色のなか、物語は展開していく。
もちろん、ふたつは全くべつもんで、こっちはメロドラマ、なの。
21世紀にはいって、50年前に作られた50年代のメロドラマの骨子を再現、再解釈することの意義については、よくわかんない。 (そもそも50年代のメロドラマって、サークのくらいしか知らない)
そいから、50年間の真ん中あたりに、サークの同じのを下敷きにしたもう1本がある。
それがファスビンダーの『不安と魂』 - "Ali: Fear Eats the Soul"(1973) で、これはサークの持ち出したテーマをよりグロテスクにぶっとく、社会生活というよりは人間の業みたいなところまで落としこんでみせた。
で、Todd Haynesは、この作品で表象については50年代のスタイルを緻密になぞって、裏側のどろどろについてはファスビンダー的などんづまり(天が許し給わないすべて)を転がそうとしているかに見える。 "All That ..."にはなかった同性愛と人種問題が前に出てきていることで、それがあることによってメロドラマとしての骨格と臭気がよりくっきり浮きあがってくるような。
それは、同性愛も人種問題も、手で口を覆ってしまうようなタブーではなくなっているいまの時代、他方で世間の目と偏見と監視の網はより卑劣でやらしい形で入りこんできているいまの時代に、この頃のようなメロドラマを作ることの難しさを示す、というか。
つまりは"Far From Heaven"である、と。
その作為性をどうとるかによって多分評価は分かれるのだろうが、別によいのでは、とおもった。
昔の映画には確かにあった画面構成とか光や調度の美しさとか、そういう美しさをきちんと追求する、それが際立つほどにアメリカン・モダーンライフの闇が逆照射される、そのコントラストがもたらす効果を真面目に考えようとしているだけでも。
逆境に負けずに愛を貫くこと、貫くことによって失われてしまうなにか、がメロドラマのひとつの柱だとすると、55年の"All That Heaven Allows"が73年の"Ali: Fear Eats the Soul"を経由して、02年の"Far From Heaven"に至るまでに示した幅と射程はものすごくでっかいとおもった。
罪を許し給う天国から遠く離れてしまったところで、はたして救済もまた遠くなるのか、離れちゃったから罪はそのまま刺さってくるのか、そもそも罪って、ほんとうに罪と言えるのか、みんなが幸せになれるような天国って、そもそもありえるのか、などなど。
でもやっぱしオリジナルの"All That..."のほうがすきだなー。
ロックハドソンのなんともいえないやらしいかんじがいいし、あとなんといっても、ラストの鹿さんがねえ。
だから、あとはー、TVシリーズの"Mildred Pierce" (2011)をなんといっても見たいったら見たいの。
3.13.2012
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