9.20.2022

[music] Primavera Sound LA - Day2 Sept.17

2日めのメモ。

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2日目も午後3時くらいに入って、まずはこのおじさんトリオから。大昔にNYで見て以来。ドイツのプログレとアヴァンがぐねぐね絡み合ってヒモのように伸びていって不気味なのに全体としては朗らかでスキップしたくなるような、なにをどう仕込んだらこんなふうになるのかちっともわかんないし、本人達に聞いてもすっとぼけてきそうなそんな音なのだが、好きだとしか言いようがない。

Kim Gordon

この日の4:30-5:15の枠は、大きい方のステージでKim Gordon、反対側の小さい方ではMayhem 、とKimとThurston - Mayhem本の後書きで讃えている - の代理戦争のようになっていた。まずKimさんの方は女性バンドをバックにマイクひとつでがんがん歌う。背後に流れていく乗り物とか森とかの映像がおもしろかったり。

Mayhem

Kimさんを途中で抜けて反対側のステージに向かう。暗い森と洞窟を抜けると.. だったらかっこよいのだがかんかん照りのなか、ヴォーカルの人はでっかいマントを羽織ってごぉーごぉー唸っていて暑苦しそうだった(途中でやっぱり脱いでた)。

前方で押しあうファンの人達と紫外線を避けて木陰やフェンスの陰に退避して恐々ながめている人達がきれいな対照をつくっていた。 最後の方で巻き起こった凄まじいモッシュが砂嵐を巻き上げ、その様を小綺麗なカッコの若者たちがみんな動画におさめていて、みんな、もっと音楽を聴いてあげなよ、って少し思った。

Fountains D.C.

また反対側のステージに移動する。期待のバンドなのか人がいっぱい。 英国でも話題になっていたし。

Primaveraの公式アプリの紹介文にはこんなふうに書かれている -
“sounds like Wire with the accent and poetry of The Pogues (their native Dublin oozing from every pore). Or like Mark E. Smith with Joy Division as a support band. Or like Magazine meets Stiff Little Fingers.” - なんでもありかよ。そして開演前の客入れの音もそんなのばっかりで和んだ。

始まるとバンドの音もヴォーカルも、勿論それらのどれにも似ていない彼らの音になっていたと思う。ヴォーカルはMark E. Smithのいらいら癇癪の果ての倦怠や徒労感をなんとか引き出そうとしているだけで、Mark E. Smithになりたいわけではなさそうで、リアムもちょっと入っているようなかんじ。

Warpaint

またステージ反対側に移動する。途中のメインのとこではKhruangbin - なんて読むのか何度聞いてもずっと憶えられず - がやってて、おもしろいのだが前方を固めているであろうNINファンのみんなにはどう聞こえたのだろうか。

本来ならここの枠はLowが演るはずだったのだが一週間くらい前にMimiさんの癌治療のためにキャンセルがアナウンスされてしょんぼりして、そしたらここに彼女たちが入った。Mimiさんの回復を祈りつつWarpaintが見れる喜びを噛みしめるとても複雑なー。

新譜もすばらしかったがこのバンドについては何を歌っても誰が歌っても(全員ヴォーカルとれる)、ダンスの方に行ってもやや複雑なアンサンブルに向かっても、なに聴いたってよいの。全体を支えるStellaさんのドラムスの力強さと、相当に無理をしているようででもしっかりとメロが残るコーラスと。これからもずっとついていきたい。

Nine Inch Nails

2日めのメインのトリ。この人達は、コロナで演奏できなかった時を除けば、実はずっとツアーを続けていて、ライブをしていなかった時にはAtticus Rossと映画音楽を作ったりしていたので生産性の高いことときたらものすごくて、00年代のライブのように危なっかしいところもなくなり、ステージは背後のビジュアルや装置による演出もやめてむき出しのシンプルなのになり、ライブの構成もオープニングとエンディングはだいたい決まっていて新しい何かが飛び出してくる可能性はそんなにない - 今回のようなフェスで時間が限られている場合は特にパッケージの固定されたかんじになるので、なにがおもしろくて見にいくのか? 自分もそうだが2日目に会場中に湧いてでた”NIN”シャツを着たでっかいお兄さん達に聞いてみたい気もするのだが、答えは簡単で、音の分厚さとやかましさがどんどん増してきているからなの。 この傾向は今のバンドメンバーに固定されてからは顕著で、ドラムスのIlan Rubinが恒久の発電所になって以降、2A (Atticus & Alessandro)が好き勝手に音の上塗り重ね塗りをやり放題やりだしてから止まらなくなっている気がする。

エンディングの”Hurt”なんて昔だったらライブのあとにこの人死んじゃうんじゃないか、って思ったりもしたのに、最近のはJohnny Cashのバージョン - 全身傷だらけすぎてどうするこれ? の爬虫類のかんじ - に近くなっているような。

では力の入れどころがどの辺に来ているのかというと、かつての自分を穴に落として陥れたシステムや社会の仕組みの陰湿さ陰険さそのどうしようもない腐れっぷり、などなどを暴きたてる、それを敵と同じくらい執拗に嫌らしく追い込むのを延々続けようとしているのではないか。被虐から加虐へ、というわかりやすい物語のなかに置くのではなく、「虐」- 暴力や傷の根源に横たわってそれらを行使するのは誰なのか、そこに(どこに)どういう力の作用が働いているのかを俯瞰する、そのための補助線としての音の重ね塗りであり、その実験場としてサウンドトラック制作があったりするのではないか。

自己 - 社会化されたのも内面も - とそれを取り巻く人々とか社会とか地球とかとの相互のぐさぐさをいろんな表象や仕様でポジとネガの両面から暴きたてようとした英国人 - David Bowieを再びカバーし始めたのもその辺があるような気がする。Bowieがえらいのはえらいから置いておくとして、Trent ReznorはかつてBowieが辿った経路を極めてアメリカンな粗暴さのなかで踏破しようとしているのではないか。そして、その先にあるLazarus。

あと、昔だったら演りそうになかった”Perfect Drug”を聴くことができた。2018年の欧州ツアー - ここでは未だ演ってなかった - の後の米国ツアーからのようで、中盤の神経を割いていくように繊細なドラムスが棍棒でぶっ叩く仕様に変わっていたがとってもよかった。

あと、髪のばし放題で髭ぼうぼうの外観となったAlessandro氏は、Pearl Jamのサポートキーボードの人のように見えてちょっといやかも。

終わったのはほぼスケジュール通りの10:18くらいで、短いしもっとやってよう! だったのだが客を追い払うかのようにCureの”A Forest”が流れてきたので諦めた(10:15 Saturday Night”かと思ったけど記憶が.. )。

会場近辺にいっぱい張り紙がしてあったunofficial after party、どんなだったのかしらー。

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