9.14.2022

[film] Délicieux (2021)

9月11日、日曜日の夕方、日比谷のシャンテシネで見ました。食べ物好きだから。
邦題は『デリシュ!』、英語題は“Delicious”。作・監督はÉric Besnard。

冒頭、粉をこねて生地を作ってジャガイモとトリュフを交互に重ねて筒状のパイに包んで焼いた料理「デリシュ」(っていうのがあるの?)を作るところから。

1789年、革命前夜のフランスの田舎、公爵のChamfort (Benjamin Lavernhe)のお城の料理長をしているPierre Manceron (Grégory Gadebois)が公爵が主宰する午餐の準備に追われていて、おおむね料理の評判はよかったものの、ひとつリクエストのリストになかった一品 – デリシュをメニューに入れてて、貴族からこれはなんだ? って問われて、「ジャガイモ」って答えたらこんな地面に埋まっていたようなもの食えるか、って言われて蔑まれて、素直にお客に謝らなかったのでそのままお城を辞めて、一緒に働いていた息子を連れて実家に戻る。

もう料理はやらない、って決めて暮らしを続けていたのだが、ある日素性の不明な女性Louise (Isabelle Carré)が現れて料理を教えてほしい、という。もうやめたから、と言ってもきかない。そのうち後任の料理長が定まらないお城から馬車で移動中の公爵を招いて食事を出して、名誉挽回したらどうか、と言ってきたので、やってみよう、ってLouiseを助手にして準備を始めるのだが、彼女は料理の経験ゼロのようで大変で、一回めの機会はだめになってしまう。

パリでは革命の機運が高まって、腐った貴族階級に対する反感があちこちで火を噴き始めた頃に、近所の人たちとかいろんな人々がやってきてメニューを見てそれぞれが自分の食べたいお皿を食事できる場所を作ってはどうか、って始めたら場所がよかったのか、客がやってくるようになって、これが「レストラン」の始まりになったらしい、と。

ていうのと、途中からLouiseがやってきた理由が明らかになり、彼女の個人的な復讐とManceronの公爵に対するくそったれとレストラン開店と共に湧きあがってきた料理への思いが渦を巻いて最後はなかなか痛快でよかったかも。ていうか、お料理とか食材が昔の細密画の仕様で並べられていったりおいしそうなので、おいしそうに見えればいいじゃん、て。(それはだめではないか)

レストランの誕生については、去年レベッカ・L.スパング著『レストランの誕生 ―パリと現代グルメ文化』っていうのがちくま学芸文庫に入って、この時代あたりから始まって現代のフーディ文化にも連なるいろんな考察があっておもしろくて、この頃のレストランの当初の意味は「元気を回復させるブイヨン」だった、とか、私的な食欲が「万人に開かれている」のと「社会全体の利益になる」の二重の意味で満たされるはずだった、とか、はっきりと社会的な背景や要請と共に出てきたことがわかるのだが、映画はそこまでは掘っていかない。けど、こんなふうだった – ぽい、おおよそのかんじはわかる。

でも前にストックホルムで行った「世界最古のレストラン」は1722年だったし、ギネス認定されている最古のお店はマドリッドにあるようだし、諸説あるみたい、そりゃあるだろうな。

パブの成り立ちって、たぶんこれとは違うんだよね? とか、コロナを経て公共 - 社会の基盤の成り立ちみたいのも含めて - と外食(家族以外の人が作ったものを食べる)のありようってずいぶん変わってきたような気がして、テイクアウトとかお取り寄せとかデリバリーとか、あるいはこども食堂とか自助とか、これらの流れとサービスも含めておいしいものを極めていく道って、はっきりと乖離してきている気がして、そろそろ次の革命などがー。

画面に次々と出てくるおいしいものを見ながら、そういうことを考えてしまうのって映画としてはよいことなのかわるいことなのか。Manceron役のGrégory Gadeboisの暴発寸前の白目みたいのがなかなかおっかなくてよかった。ミンチにして料理してやるくらいの凄みがあって、別にやっちまってよかったのに。革命なんだから。


ゴダールのこととかいろいろ書いてみたいのだが、明日から夏休みをとって、西だか東だかの方に行きます。

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