9月3日、土曜日の昼間、彩の国さいたま芸術劇場というところで見ました。
初めて行くところでとっても遠くて、ブルックリンの奥地に向かうかんじ。
原作は今日マチ子 - 本は部屋のどこかに埋まっているはず、マームとジプシーの藤田貴大作・演出、音楽は原田郁子。
2013年に初演されて2015年に再演されているがどちらも未見、年と回を重ねるごとにupdateされているらしいが今回が3回めで、全国6都市をツアーしている(2020年に予定していたがコロナで止まり、今回も東京公演は途中でキャンセルとなった)。
チラシには『現在、そのあとの世界をどうして生きるか』- どうして生きられるのだろう、か?
ホールに入ると舞台の上は暗く、夏の夜のようで、虫がわーわー鳴いている。
冒頭、登場人物のひとり – 後で生き残ってそのあとの世界を生きたサン(蚕のサン)であることを知る – が客席に向かって静かに語りかける。この劇場で、見る席を確保されてそこにいるみなさん - と。凄惨な地獄を抜けてきた女性が現代日本の、「エンタメ」とか位置づけられてしまう演劇の、5000円くらいのチケットを買ってやってきて目の前に座っている「観客」に彼女の「そのあとの世界」のありよう - 我々には想像もつかない - がどう届くのか、どうしたら届けられるのかを十分に意識した舞台、これはそういう舞台である必要があったのだ、と。
プロローグで、学校の先生が養蚕について女生徒らに教えている。蚕は繭まで生きても絹糸のために煮られて殺されてしまうの? と。先生はぜんぶ殺したら蚕はいなくなってしまうので、一割は生かすのだ、とか。
最初の章の「学校」では女学生と先生の学校での授業も含めた普段のやりとりや会話が何度も何度も(同じものでも)繰り返される。他愛ない会話、パフェ/パルフェのこと、ここと似ている外国の空のこと、なわとび、騎馬戦、などなど。我々にも容易に理解できたり想像できたりする、昼の時間、夕暮れの時間も楽しくて、いつまでもずっと続いていくことを疑いもしなかった友達との、みんなの時間。
そこから突然動員がかかって、女学生たち - マユとかサンとか - は洞窟の病院に送られて傷を負った兵士たちの看病をしたり面倒を見ることになる。患者をベッドに横たえるときの「いっせーのせ!」の掛け声とそこに合いの手のように挟まる苦しんだり傲慢だったりする野太い(男性)患者の声が洞窟にわんわんこだまして止むことがない。そんな窒息しそうな轟音の中、マユは男なんかいなくて「みんな白い影ぼうしなんだ」と思うことにする。
そして、戦局が激しくなって、そこにもいられなくなって敗走する彼女たちの前に広がる地獄が、寄せては返す海辺で生と死のせめぎ合いのなか、息を潜めて隠れていても浸食してきて、ひとり、またひとりとその命を奪われていく(つらくて苦しい)。単に死ぬ、のではなく、自ら命を落としたとしても「奪われる」。
そうやって奪われてしまったものと、学校にいた彼女たちが巡っていく時間のなかで抱きしめたり踏みしめたりしていた - 繭の内側にいた - 時間と繭が摘み取られてしまう瞬間と。どちらも永遠のようであり、一瞬で消えてしまう残酷ななにかでもあった。
これは言うまでもなく先の沖縄戦やひめゆり学徒隊に起こったこと – 地名を除いて直接これらが言及されることはない – で、でも単にその悲劇や地獄を、彼女たちの声や姿を生々しく描いて酷いでしょかわいそうでしょ? というものではない。
その記憶を語ること、その記憶を維持していくことが(生き残りのサンにとって)そのあとの生や世界を生きるのにどれだけしんどい傷や重みとなったかについて、それをどうやって自分の手元に引き寄せて理解しうるのか、他者の痛みに寄り添うのかの押し引きがあって、ここは相当に難しい(という問いが絶えず原作者にも演出家にもあったことが彼らの対話を読むとわかる)。その軸を誤ると修正主義の罠とか穴にはまることにもなりかねない。
他方で、暴力によって人が死ぬ、殺されることの不条理、あってはならないことがありえてしまうそのありようとか風景について、その反対側にある平穏でどうでもよくててきとーで、でもいまここにしかありえない大切な日々のありようとか風景について、それらの危うい境界については今でも(いまだに)意識しないわけにはいかない。政治家もメディアもありえないような愚鈍さと卑怯さでズルや悪を容認してその範囲を自己都合で広げようとしている世界で、どうやって - 自分で自分を守るのすら大変なのに他者まで – 守って生き延びることができるのか。そこで被害者となってしまった場合とか.. そして加害者に対してはどうしてくれよう - 今回の舞台は加害する側の声や挙動も生々しすぎて辛かった。
今日マチ子さんの漫画や絵がとても好きで、最近の”Distance” も”Essential”もぱらぱら見ているだけでなんか泣きたくなる。なんでこんなところに来て、こんなふうになっているのだろう、とか、みんな無事で元気で、とか。
いまの世の中がちっともよい方に転んでいかず、過去の加害や被害に鈍感になっていくばかりなので、この舞台もここで紡いだ糸を巻きなおしたり張りなおしたりすることになるのだろう。「学校」のチャプターだけずっと見ていたいのにー。
※書いてポストしようとしたら女王さまの訃報が届いて..
9.09.2022
[theatre] cocoon
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