1日、日曜日の午後にCurzonのBloomsburyで見ました。
監督は“The Babadook” (2014)のJennifer Kentさんで、ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞している。
”The Babadook”の数千倍こわくてきつくてどんよりする。
フィクションではあるが、Jennifer Kentさんは英国の植民地政策時代のタスマニアで原住民のアボリジニや本国から連れてこられた囚人に対して英国軍が何をしたのか何がなされたのか、リサーチを重ねた上で作っているので実際にあった可能性の高い or それらの組み合わせ、として見てもよいのではないか。
1825年、Black Warの時代のタスマニアで、囚人としてアイルランドから連れてこられたClare (Aisling Franciosi)は夫と赤子ときついながらも下働きや歌うたいをしながらなんとか暮らしていて、でも軍の中尉Hawkins (Sam Claflin)からは性的嫌がらせを頻繁に受けていて(夫には言えず)、でも刑期を終えても国に戻してくれる気配がないので文句を言ったりしたら、酔っ払った軍の連中に夫の前でレイプされて夫も赤子もその場で殺されて自身も気を失った状態で放り出されてしまう。
Clareが目覚めると連中は既に本隊の方に向けて旅立っていたので、復讐に燃えるClareは彼らを追うべくそこにいたアボリジニのBilly (Baykali Ganambarr)をガイドとして雇って、ふたりは森の中を野宿したり食べ物を盗んで追われたりぶつぶつ喧嘩ばかりしながらHawkinsの小隊を追っていく。はじめは互いに嫌悪と憎悪の塊になっていて会話にならないくらいだったのだが、Billyの家族も全員殺されていること、Clareはアイルランドから連れてこられていること等を話していくと、ふたりの距離は少し縮まり、レイプと殺し(含. 子供)を繰り返しながら進んでいく鬼畜のHawkinsの小隊との距離も狭まっていって.. でもClareは近くに寄っても銃を撃つことができなかったりいろいろ新たな苦しみも重なってきて、果たしてClareとBillyは連中に復讐することができるのか。
でもここでは復讐は(Trantinoがやるような)メインのテーマではないの。 自分たちの土地を追われ、家族や民族全てを失い、自分たちの言葉すらも絶滅する手前にあるBillyと、自分たちの土地から引き剥がされ未開の地に連れてこられ、家族を殺され、ゲール語を話すClareという国の政策に全てを奪われすり潰されている彼らがどんな目をしてこちらにいる我々を見つめるのか、それでも彼らは共に戦うことができるのだろうか、という映画なの。 彼らはあの後どうなったのか?
”The Babadook”にも出てきた、この世に確実に存在して決してなくなることなく襲ってくる邪悪でどす黒い、すぐそこにいるなにか(悪)、をこれでもかと塗りたくりつつ、反対側で歌うたいでもあるClareの澄んだ歌声や楽しかった頃の家族の思い出を挟んで、救われなさがどこまでも際立つ。
侵略戦争なんて、植民地化なんて元からこういうもの、他の国でも、いつの時代でも行われてきたこと、あるいはClareやBillyに復讐しても家族は戻ってこないよ、という言い方をすれば許されたり、何かを言った気になるのであればこんなおめでたいことはない。これは間違いなく今の世の中でもなかったこと見なかったことにされ(歴史を改竄され)、思考すらも放棄され放置され続けていることで、こんなことが許されていいはずがあろうか、ということを容赦なく叩きつけてくるの。
最初に書いたように見終わるとほんとうにぐったりするのだが、でも見た方がよいとおもう。
12.07.2019
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