11月10日、日曜日の午後、BFIのMaurice Pialat特集で見ました。 英語題は“Graduate First”。(今回のPialat特集のタイトルはすべて仏語の原題なの。CMもなくていきなり始まる)
タイトルは小津の『大学は出たけれど』(1929)を意識したのでは、と配布されたノートにはあったけど、どうかしら?
ランスの町で卒業を前に今度どうするのか、地元で就職するか、ここにはなにもないのでパリに働きに出るか、無理だろうけど勉強してバカロレア受けてみるか、しょうもないけど結婚するか、などなどの選択を前にうだうだ集まっては飲んでだらけてくっついたり離れたりを繰り返すティーンの若者たちを追う。親たちの方も自分の娘が連れてくる彼とかにはらはらしたり、そう簡単に開けたり収束したりするわけのないひとりひとりの今後や境遇を拾いあげていく。 卒業に向かう開放感や将来への希望なんて彼ら全員に聞いても「ない」だろうし、でもだからといって絶望して犯罪とか自殺とか、そっちの方にも行かない。好きに動いたり動かしたりしてほっといているかんじ。
その辺の子供に対する距離の取り方はデビュー作の”L'Enfance Nue” (1969)の頃から変わっていないようで、結果的に薄らと(ほんとは)みんなよいこ、って感じる。
浜辺で馬を連れていたお金持ちの女の子、パンクが好きだと言って下着が豹だか虎だかになってて、素敵ったら。
La gueule ouverte (1974)
11月2日、土曜日の夕方、BFIのMaurice Pialat特集で見ました。 英語題は“The Mouth Agape”。
上のひとつ前に撮っている作品。撮影はNéstorAlmendros(やはりすばらしいわ)。
Monique (Monique Mélinand)は病院に通っていて、息子のPhilippe (Philippe Léotard)とは普通に会話していたのに突然倒れて、医者からは長くは続かないでしょうと言われ、始めは病院のベッドで看病して、延命は無理、となってからは自宅に戻っての介護になる。自宅は洋装雑貨を売っているお店で、夫のRoger (Hubert Deschamps)はぶつぶつ看病しながらも店に来る女性に手を出そうとしたり、Philippeも妻のNathalie (Nathalie Baye)がいない隙に浮気したりしてて、彼らの隣で死にゆくMoniqueはほぼ死体のように横たわってそのまま静かに亡くなっていく。一見、ここまでのPialat作品 - 家族のなかで彼らを引っ掻き回そうとする子供がいたり、夫婦間で終わりのない喧嘩ばかりしていたり、といった騒々しさと比べると余りに静かでちょっと異質に見えるのだが、ホラー映画の形相で横たわりながらもMoniqueは家族のひとりとして間違いなくそこにいて、そういう形で引っ掻き回しているのだな、というのがわかってきて、亡くなった後のしんみり静かなお別れも、車で去っていくところも、生者も死者も変わらないような落ちついた空気がある。
車で去っていくラストシーンって、Pialatの映画ではよく見られるのだが、この映画のそれがいちばん沁みたかも。
11月のPialat特集はここまで、12月からのPialat特集は後期の、巨匠と呼ばれるようになってからの有名なのばかりなのだが、行けたら行くよ。行きたいよ。
12.03.2019
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。