12.18.2019

[film] Frozen II (2019)

10日、火曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。ふつうの2Dで。とっても空いてた。

前作は自身の特殊能力(氷屋)で妹を傷つけてしまったエルザが氷のお城に篭って、その後で仲よくしなきゃと元に戻る、戻っちゃうんだー(やや残念)っていうお話、だった気がする。

冒頭で姉妹の亡き父から、ふたりが聞いた北の北の方にある国で若い頃の父が経験したこと、等が語られる。そこには自分たちとぜんぜん違う民族がいたのだが、何が起こったのか突然土地も含めて深い霧の向こうにその姿を隠してしまったのだと。

ここから現在のエルザ (Idina Menzel)が自分にだけ頻繁に聞こえてくる高音の歌声のような声をなんだろ?と思っていると風が吹いてきて、彼女の国があれこれ機能停止のような状態になって、あの歌声だ!と勘づいたエルザは、妹とトナカイと雪だるまとぼんくら男 - の桃太郎みたいないつもの連中を連れて北の北の方に旅立つの。

そこから先は野を越え山を越えの困難に試練 - ほぼエルザにのみ降りかかってくる - があり、Avengersみたいな服で歯をくいしばってそれらを乗り越えてそ辿り着いてみたところにはー。

自分のパワーがなんで自分だけに? って悩んで自己と周囲を受け容れる過程が描かれたのが前作だったとすると、今作では、そのパワーがどこから来たどういうものだったのかが明らかにされて、その理由を知った彼女はアナ (Kristen Bell)にQueenの座を譲ってその土地に留まる決意をする。

社会化を経て自分の居場所を見つけてそこに落ち着く、という正しいヒトのミチをそのまま辿っているので、たぶん次は、自分のパワーはそもそもなんのために用いられるべきものだったのか、みたいな役割論ぽい話が出てくるのではないか。ディズニーだねえ。

これをもうちょっと民話伝承や歴史も踏まえて社会主義ぽくすると宮崎アニメにおける自然と民、みたいなのになる。 隠れ里とか、一帯を守っている石の魔神みたいのとか、波に逆らって立ち向かう女の子とか、ねえ。

でもなんでこういう映画ってみんな判で押したように Back to where you belong、になっちゃうのかねえ。おれはスナフキンでいい、ってギター1本でノラとして旅に出るのがかっこいいのに。

どうでもいいサイドストーリーとして、ぼんくら男がアナにプロポーズしたいでもできないが延々とあって、あまりにどうでもよすぎるのでかえってその意味を考えてしまったりするのだが、あれは単に例えばこういう生き方もあるんですよ、って示しているのかしら? あれなら”Ice Age”のシリーズでどんぐりを延々追い求めるリス(みたいなやつ)の方がよっぽど楽しいわ。

あと、「水には記憶がある」はやばいやつなのでおとぎ話に(おとぎ話ならなおのこと)導入したらやばいのではないか。 だって水に記憶はないもん。  記憶はないけど、水とか氷のビジュアルは美しくてものすごくお金かかっているかんじがすごい。

音楽は90’sバラードのパロディみたいのが流れて、エンドロールでそれのWeezer versionていうのが流れて、でもあんま笑えないとこがまた..

あのトカゲの子はもうちょっと大きくなるとドラゴンになって、次の3では”How to Train Your Dragon”のシリーズにマージされるのだと思う。 氷 → 水 → 火 (じゅぅ)。

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