11日、水曜日の晩、BFIのMaurice Pialat特集で見ました。彼の作品にしては158分あって、結構長い。
今年はなんだかんだVincent van Gogh関連が続いた年で、春にはWillem Dafoe主演の”At Eternity's Gate” (2018)があり、Tate Britainで結構規模の大きな”Van Gogh and Britain”の展示があり、9月にはBFIでVincente Minnelli監督でKirk Douglasがゴッホを演じた “Lust for Life” (1956)を見ることができた。三つのそれぞれ全く異なるゴッホを見て、いろんな作風の初期作品も含めて見てみると、ゴッホに対する認識も改められることが多かった。で、Pialatのゴッホは相当違うねえ。
1890年 - Vincent van Gogh (Jacques Dutronc)は37歳で、Auvers-sur-Oiseで銃で撃たれたのか自分で撃ったのかで亡くなるまで、最後の67日間を追う。彼は列車でAuvers-sur-Oiseに着くと医師のGachet (Gérard Séty)のところを訪ねて診察してもらい、ま、こんなもんでしょう、みたいなことを言われて、旅館に宿を取って暮らし始めるのだが、いきなり筆を手にして狂ったように絵に打ち込んでばかりいるのかというとそうではなくて(そういうふうには描かれなくて)、穏やかで、そこらを歩いていそうな静かでちょっと変な人、くらいの印象でそこらにいる。
やがてGachetの娘のMarguerite (Alexandra London)と親密になって、でも彼は街の女達ともだらだら付き合ったりしていて、それは“Lust for Life”で描かれたような熱いゴッホ像とはぜんぜん違って(おそらく意識的にそうして)、精魂こめて絵に向かうというよりも、魂の抜けた状態で屋外に出ていっては絵筆を動かし(ここでの彼は絵を描くというより機械的に絵筆を動かしているだけのよう)、戻ってきてはうろうろを繰り返す。心配してやってくる弟Theo (Bernard Le Coq)の家族のあいだも基本構ってくれるな、なのでどうすることもできない。
それは『悪魔の陽の下に』(1987)でのDonissan神父のような、なにかに取り憑かれているかのような挙動で、もう先が見えているかんじもするのだが、でも異なるのはMargueriteとの関係で、これがあるからふたりでいるときの画面はとても穏やかで落ち着いている。といっても、通常の男女のそれというよりは、Margueriteがちょっかいを出しにきて、ゴッホが犬のように(時には乱暴に)応える、ようなものなのだが、なんかふたりでいるのがよいの。
と、もういっこは、La maison des bois (1971)で描かれたような昔のフランスの田舎の光景が極めてルノワール(パパのと息子のと両方)っぽく - ゴッホの映画なのに - 展開されていることで、これは見ていてひたすら快楽で、ゴッホはこの風景のなかにはいられなかったのだろうか、ということを思ったり。 彼の目は、ルノワール的な光や水のほうには向かわなかった、それらは彼の視野には入ってこなかった、ということなのかしら。
この映画のテーマは、Margueriteが最後にこちらに向かって言う一言に集約されている。
画業にすべてを捧げた天才でもなく、孤独で哀れな狂人でもなく ー。
そしてこれが、世のイメージとして語られるゴッホ像とどれだけ離れていたとしても、わたしにとってのゴッホはこれだわ、と思った。
12.24.2019
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