8日土曜日の晩、Old Vic Theatreで見ました。最終日の最後の回で、例によってチケット取るの忘れていたら全く取れない状態になってて、例によってそれが最後の日になぜか釣れてしまうというー。こんなふうに突然釣れると週末の予定が狂ってしまうのだが。
1947年のArthur Millerによる3幕からなるお芝居。邦題は『みんな我が子』。 Arthur MillerとTennessee WilliamsとEugene O'Neillの作品- 20世紀のアメリカを描いた作家たちの - は見れる限り現代の演出家による現代のキャストで見たいと思っていて、でもそんなこというならシェイクスピアだってチェーホフだってイプセンだってさ…(うんと時間があればな)
会場のOld Vicは、2010年の6月、仕事で来ていたときにSam Mendes演出の”The Tempest”を見て以来、9年ぶり..
演出はJeremy Herrin、ちなみに米国の初演時の演出はElia Kazan(彼に捧げられた戯曲でもある)。
いま丁度NYでも同じ演目を上演していて、こちらはKate役にAnnette Beningが。
セットはJoe Kellerの家の裏庭、ソファがあってベンチがあって近所のひとも気楽に立ち寄って無駄話ができるような居心地のよさがあって、右手に前夜の嵐で折れたリンゴの木(亡くなった息子のLarryが植えたもの)がある。 まず登場人物全員が客席に背中を向けて立っていて、前方のスクリーンには切れ切れのビデオ映像のなかにいろんなアメリカのイメージが流れ、それが消えるといつの間にか一軒家がそこに建っている。という冒頭。
町の名士であるJoe Keller (Bill Pullman)とKate Keller (Sally Field)の老夫婦がいて、息子のLarryは先の戦争で行方不明になっていて、弟のChris (Colin Morgan)はかつてLarryの恋人だったAnn Deever (Jenna Coleman)と結婚したいと思っている。
Joeは戦時中、戦闘機のシリンダーを作る工場で工場長をしていて、そこで製造された欠陥部品が原因で飛行機が落ちて21名の兵士が亡くなり、でも裁判では彼の部下に罪が行って、彼自身は罪を免れてひっそり暮らしている。そしてAnnはそこで彼の罪を被ったSteve Deeverの娘であることも明らかになる。
休憩を挟んだ2幕目以降は、隣人たちやふたりの結婚を阻止すべくやってきたAnnの兄George (Oliver Johnstone)も交えてJoeのやったこと、その責任の取り方を巡る井戸端裁判のような口論が延々なされていくのだが、勿論裁判のように明確な白黒が出るわけではなく、あの戦時下のあの晩、JoeとKateはどうしてあのような行動を取らざるを得なかったのか、それを許したのは誰で何で、今もそれを許せるのは誰で何で、今も許されないのだとしたらその理由は.. などなど容赦なく、複数の声のエモと論理と倫理がひとつ鍋に入れられて涙と苦悶と絶望が振りまかれて、やがて ...
これは『セールスマンの死』と同様の、ずっと一家の柱として家族を支えてがんばってきた昔気質の男が持ちこたえられなくなって崩れ落ちてしまう悲劇だと思うのだが、彼をそこまで追いこんでしまった力のありようって、デマやフェイクが当事者から離れたところで拡散されて炎上して、誰もがその責任や落としどころを無邪気に求めてくる今の世界 - “Social” のそれとどこかで繋がっている、というかあの時代からずっと流れてきているなにか、なのではないか。
そしてJoeがそのために亡くなり、後を託そうとしたその先が”All My Daughters”でも、”All My Fathers”でもなく、”All My Sons”である、ということ。
寝癖が跳ねあがった短髪で破れ鐘の大声で喋る(たまに何言ってるのかわからないくらい)Joe - Bill Pullmanと、ちいさくてカーディガンを羽織ってせかせか喋って今にも壊れそうなKate - Sally Fieldの組み合わせはふたりであれこれ背負い込んでいる感たっぷりでなんかたまらなかった。
あの後、AnnとChrisは結婚して、その子供が男の子だったらLarryと名付けられて、今はJoeよりももっともっとおじいさんになっているばずだねえ。
6.13.2019
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