6.21.2019

[music] Conversations with Nick Cave

19日、水曜日の晩、Barbicanで見ました。

この日のこれはRoyal Albert HallでのKing CrimsonのDay2とチケットが被っていて(ひとごとみたいに言うなどっちも自分で取ったんだろうがボケ)、祝50周年のKCの方をDay1 – Day2と連続で見た方がよいのではないか、Nick CaveがHenry Rollinsみたいにべらべら喋っているだけだったらつまんないしな、と思っていたら彼がピアノを弾いて歌っている画像があって、歌ってくれたりもするようなのでならこっちに行ってみようか、と。

客席ひとつひとつには彼が昨年始めたなんでも相談プロジェクト- The Red Hand Files(知らないやつはGoogleしな、だって)の絵葉書が置いてあって、彼のモノクロのポートレートの裏側には「なんでこんなイベントをやるの?」というQに対するAが書いてある。
ざっと訳すと;

『ここには私が今まさに発見しようとしている何かがある。私には聴衆とのオープンで率直な対話から価値あるものが産まれるという直観があって、すべてをナマ(raw)で裸(naked)で本質的ななにかに戻したくて – ここにはなんのセーフティーネットもない - どこかで自分のコントロールを超えたことだって起こりうる無謀な実験みたいなものだし、なにが起こっても許される親密さに支えられた自由奔放な冒険でもある。私はこれが聴衆とのつながりをさらに深めてくれることを願う。 とにかくworks in progressなのでよろしく!』

このライブはThe Red Hand Filesの延長として、ネット経由ではなく対面で会場の観客ひとりひとりからの質問を受ける。 互いにとってとてもおっかない (terrifying) 経験かもしれないけど、やってみたいんだ、と始めに説明がある。

会場は彼がBad Seedsとのライブをやるようなサイズのよりはだいぶ小さくて、客席を見渡して質問する人の顔が見える距離感の箱 – Barbicanは3階まであるけど – で、ステージ上にはグランドピアノが一台、それを囲むように特別席に招待された(?)ファンたちが座っている。こんなふうなのでチケットはあっという間になくなって、これから予定の会場も見ればほとんどSold Outしている。

開始の20:00きっかりに電気が落ちて、彼が詩”Steve McQueen”を朗読するテープが流れるなか、いつものようなスーツ姿でNick Caveが現れてピアノの前に座って”God Is in the House”を朗々と歌いだす。 マイクいらないんじゃないか、というくらいにでっかい声。

弾き終わると客席側の電気が点いてハンドマイクを手にしてThe Red Hand Filesについてとなんでこういうことをやることにしたのかの説明(上述)があり、簡単なルール - 質問したいひとは近くにいる蛍光棒をもったひとに合図して、マイクを貰ったら待ってて、こちらからランダムにあてていくから – を伝える。仕事関係のイベントみたいにあまりに颯爽と冗談みたいにさばさばてきぱきしている。べつにいいけど。

質問が向かう先は当然彼の創作を中心とした彼の頭のなかにあることあったことだし、質問する方は彼の熱狂的なファンばかりなので質問内容も固定されてきているように思えて、だからもう死ぬことが見えたときに聴きたい曲だという T. Rexの”Cosmic Dancer” – Marc Bolanはすばらしく稀有なソングライターだと思う – とか、その後の人生をまるごと変えてしまった曲 - Leonard Cohenの”Avalanche” には譜面が用意されてて他の会場でもやっているみたい。

進行は2-3の質問に答えてからマイクを置いてピアノに向かって1-2曲歌って、を繰り返していく。歌う曲は質問の内容とか答えに関係したものをその場で選んでいるもよう。

質問にも出てきたし何度か語られたgrief(悲しみ、悲嘆)について、数年前の彼の息子の死に触れながら、これはもうなにをどうしてもどこにも行ってくれない、ずっとそこにあるもので、いまだにどうしてよいかわからない。だからgriefを乗り越えることについて自分はアドバイスできないけど、あるものだよ、って。 同様に宗教についても、特定の宗教に依拠して崇めることも否定することもしないけど、神っていうのもそんなふうにいるよね、って。

普段の生活は起きて着替えてワイフにキスをすると自宅の部屋(オフィス)に籠って晩までずっとThe Red Hand Filesに返信したり創作したり、だから会社員とおなじようなものだと。映画 - ”20,000 Days on Earth” (2014)で描かれたのはフィクションだからね、って。

創作の快楽について、ふたつに隔たって存在しているセンテンスなりコンテキストなりの飛び地の中間になにかがぐつぐつ産まれてくるプロセス – “simmering”って言ってた –から数日かけて何かが繋がってでてきたときの快感がたまんない、これがあるから創作はやめられないんだ、と。

質問者から「こないだのライブであなたがすぐ近くに来た時に目があったんですけど..」と言われて、うん、憶えてる。君とは目があったはず。自分はfront row - 目の前にいる人の目を常に見るようにしている。そうするとそこに何かが生まれる気がしているから。 この辺、Bonoとかは逆で、彼はいっつも一番遠くにいる人を見ようってがんばるけど、自分は目の前の人に寄っていく、と。(勿論Bonoをけなすつもりはなくて、彼とはよい友達だよ、って)

masculinityとfemininity、misogynyについて、自分の歌のなかには言葉使いも含めてmasculinityとかmisogynyぽい要素とか暴力とかそういうシーンがたっぷり入っているのでそう言われることも多いのだが、自分のなかにどちらかに傾斜するようなところは全くないよ、と。

ドラッグについて聞かれ、自分はヘロインを20年近くやってきて、最初の10年はよかったけど、後の10年は(そこから抜けだすための)地獄があって、今のドラッグの問題の根幹はドラッグが違法とされていることにあると思う、って。(ここで合法化したポルトガルの例を)

既に死んじゃった人でもよいので、デュエットしたい人とその曲は? にはElvisと“Stagger Lee”かな、って。(そうして”Stagger Lee”を演奏)

何度も繰り返し見てしまう映画は”The Hunchback of Notre Dame” (1939)  -『ノートルダムのせむし男』だって。
あの映画のCharles Laughtonはすばらしいよ、と。

「Brexitについてどう思いますか?」と聞かれて、Brexitに対する自分の思いはたまに揺れたりすることがある - ある時はMost Worstだと思い、ある時にはNearly Worstだと思う、って。(拍手)

長くなったので切るけど、まだまだ一杯あって、とにかく観客の熱さもそれに対する彼の反応もいちいち面白くて、時間が経つにつれ、彼がこんなふうに聴衆と直接の対話を始めた、ということと、彼の音楽やライブのスタイルがきれいにひとつになっていくようだった。自分はミュージシャンなのだから自分のすべては音楽とライブのなかにある、とにかく聴いて、という人がいるのはわかるけど、Nick Caveはそれだけでは我慢できなかった。 それは自分の言葉をなんとしても届けたいと願う切実な(or 絶望した)詩人のそれなのかもしれないけど、とにかくとんでもなくエネルギーを使うことだろうし、こんなのこの人にしかできないことだねえ、と思った。

弾き語りはどの曲もとんでもなく力強く、”Avalanche”に続いての”The Mercy Seat”のすばらしさとか、ものすごくよくてびっくりしたのがGrindermanの”Palaces of Montezuma”だったり。”The Mercy Seat”についてはRick RubinからJohnny Cashがこの曲をカバーしたいって言ってると電話を貰ったときの反応(自演)とかおかしくて。

たぶん、あそこにいた殆どの人がNick Caveの誠実さに打たれて、彼をもっともっと好きになったのではないかしら。

2時間40分びっちり、あっという間だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。