6.06.2019

[film] Godzilla: King of the Monsters (2019)

1日土曜日の午後、BFI IMAXで見ました。これ見るならここしかないかんじ。

前作 - Gareth Edwardsによる”Godzilla” (2014) が結構好きだったので(「シン・ゴジラ」はやっぱり好きになれないけど)、あれのラストで示された怪獣たちがわらわら出てくるらしい今作は心配だった。元の東宝のだって怪獣がいっぱいになるとおちゃらけたりしょうもない結末に行ったりすることが多かったし。 ふつうに考えたって制御不能の怪獣たちが暴れて収拾不能の事態になったところに人間のドラマをはさみ込むのはバカよね、って思うし。 でも思ってたほど悪くなかったかも。

古生物学者のEmma (Vera Farmiga)と娘のMadison (Millie Bobby Brown)がいて、別れた夫のMark (Kyle Chandler)がいて、彼らは2014年のSan Franciscoのゴジラ襲来の際に息子を失っていて、そういうのもあって超音波を使って怪獣をコントロールできる機器”ORCA”の開発をしていて、そいつでモスラを目覚めさせたところで、元英国軍人のテロリストJonah(Charles Dance) が現れて機械とEmmaとMadisonも含めてかっぱらい、Markの方はDr. Serizawa (Ken Watanabe)とDr. Graham (Sally Hawkins)からコンタクトを受けてふたりの行方を追い、つまりは彼らが追っかけている怪獣のところ – 南極にいくと、氷のなかに眠っていたのは”Monster Zero” – ギドラ - で(南極から出てくるのはガメラじゃないのか)、そいつを目覚めさせたらゴジラもやってきて戦いはじめて、Emmaは山にいたラドンとか、他のやつらもみんな目覚めさせて大騒ぎになっていくの。

息子の死で縒れてしまったEmmaの主張は、2014年のゴジラの襲来で見えた人類淘汰に向かう道筋って地球を本来の姿に戻すために起こりうるべく起こった避けられないことなのだ、だからギドラもゴジラもこの際みんなどかどかやっちゃっていいのよ、って怪獣たちを叩き起こして、でもMadisonはママそんなのだめだよ、ってORCAを持ちだしてBostonのFenway Parkに駆けこんだらそこに怪獣みんなやってきて。 これをやったのが母と娘、っていうのはたぶん意味あることなの。

Oxygen Destroyerの利用(Aquamanが怒るよ)から、Dr.Serizawaの心中から、怪獣を超音波でコントロールするという発想から、傷ついたゴジラが冬眠状態から復活したり、モスラがQueenだったり、元の東宝シリーズへの言及が痒いくらいにいっぱいあって、そんな気を使わなくても、というかそんな気遣いなんて蹴散らす勢いでもっともっと連中には暴れてほしかった、ていうのはあるかも。

けっきょく、人類がこれまで絶滅させてきた動物たちや壊してきた環境に対してなーんも配慮しようとしてこなかったのと全く同様に、怪獣たちも人類の淘汰なんて知ったこっちゃないしどうでもいいし、なんかの守り神でも祟りであるわけもなく、ただそのスケールと自身の情動とか反射みたいの(のみ)で生きているだけで、だから人類の思いとか祈りとか怪獣にとってはどうでもいいんだって、どぉーん(潰)。 ていうのが破壊と殺戮と共に明らかになっていった最後のほうは悪くなかったかも。でもラスト、あんなお辞儀なんてする必要なかったのに。怪獣にKingもくそもあるかよ。

ほんとうは、ここのモスラをあのモスラだと言うのであれば、モスラに対する畏れとか信仰をORCAとは別の、人類の自然に対する最後の結節点として明確に出せたのではないかと思うのだが、なんか端折られてしまったようなのは残念。 モスラがあんなふうにやられた時点で人類はもうだめだってわかるようにしないとー。

次のにKongが出てくるのであれば、舞台はNY(エンパイア・ステート)になるに決まっているし、メカギドラが出てくるのかも知れないし、JonahはX星人だった ... に決まってる、のね?

Serj Tankianの”GODZILLA”はご愛嬌だったけど、伊福部昭の音楽がBFI IMAXでがんがん流れるのってなんか最高だったかも。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。