6.12.2019

[film] Gloria Bell (2018)

8日の昼、CurzonのBloomsburyで見ました。公開翌日、ほぼ初日。

“A Fantastic Woman” (2017)のSebastián Lelioがこれの一つ前に撮った”Gloria” (2013) - 『グロリアの青春』(未見)を自身で英語版にリメイクしたもの。

Gloria Bell (Julianne Moore)はLAにひとりで暮らしてて、とうに離婚していて、子供たちふたり - ヨガのインストラクターをしているAnne (Caren Pistorius) - スウェーデン人のサーファーの彼がいる – と妻に出ていかれてひとりで赤子の面倒をみているPeter (Michael Cera) -  はもう独立していて、そんなふうだけど心配するほどではないので、まずは自分よ、って70年代のヒットばかりがかかるダンスクラブでひとりで踊ったり歌ったりしていて、そこでArnold (John Turturro)ていう、彼自身も離婚している男と出会って仲良くなる。

Arnoldは絵の具玉でシューティング戦争ごっこをする用のパークを経営していて、離婚した妻やふたりの娘から頻繁に電話がかかってくるので少し距離を置いて注意深く付きあっていくのだが、Peterの誕生日のパーティに呼んであげたのに彼女のEx-夫がいるだけでむくれて勝手にいなくなるとか頭にくることもあったりして、連絡を取らないでいるとストーカーみたいに電話攻撃してきたり、なかなかうまくいかない。

他にも情緒不安定で叫んでばかりのGloriaの近隣の部屋の男とか、気付くと部屋に来ている猫(いいなー)とか、緑内障で死ぬまでずっと目薬ねとか( - なかまー)、子供ができたので彼のところに旅立っていくAnneとか、あーあーなことも結構あって、車のなかでひとり歌ったり、集団で大笑いするセッション(こっちでもたまに路上でやってるの見かける)とかいろいろがんばってみるのだが、きっと少し愛が足らないからだ、というのは自分でもわかっている。

こうして最後にいちかばちか、意を決してArnoldとLas Vegasに旅立つのだが..

これの予告 - フロアで掛かっているLaura Braniganの”Gloria”にあわせてGloriaが小声で歌っていると寄ってきた男性に「踊りませんか?」と誘われて「いえ、ありがとう」と返すとこ – ここだけでああこういうJulianne Mooreを見たかったのよ、と思い、実際その希望は結構かなえられたのだが、でもまじめに辛そうなところも結構あって、そんなのふつうに誰でもあるようなやつでは、と思うものの、でもなー、とかうじうじしていたら最後のとこでものすごくすっきりして、よかったー、になった。  “A Fantastic Woman”にも少しだけあった、あんなシーンが。

それなりにがんばって死なずにきて、社会的にもいろいろ言われなくてすむくらいの年齢とか位置とかまでなんとかきて、もう自分の好きなことやっていいんじゃないか、と思ってはみたものの… ていうよくあるやつで、かといってそれなりの体裁ってもんもあるし”Young Adult” (2011) のCharlize Theronほどに若くもないのでやさぐれるわけにもいかないし、ていう投げやりと倦怠と緊張の行ったり来たりでもううううんざりだわ!っていう張力がJulianne Mooreのあの柔らかい微笑みの裏側で充満したり萎んだりを繰り返していく、それだけでうっとりしてしまう。

これが日本にくるとまた(捏造された)女の幸せ強化強要キャンペーンになっちゃうんだろうな。「ほっとけ。もう構うな」っていう映画なのに。 想像しただけで吐きそう。

音楽はひとりで歌っても楽しい昔のこてこてヒット曲ばっか(それ以外のオリジナルはMatthew Herbert)で、楽しいのだが、もうちょっとだけ時代を手前に寄せて、でもあからさまに恥ずかしい80’sヒットみたいなの(をかけるところはいっぱいある)まで行かない曲とかかけるとことか、あったら喜んで行くのになー、とか。

この次は、これと同じ軽いかんじのをMarion Cotillardさんで見たい。

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