6.10.2019

[film] Pájaros de verano (2018)

5月30日、木曜日の晩、CurzonのBloomsburyでみました。英語題は”Birds of Passage”。

監督は”Embrace Of The Serpent” (2015) -『彷徨える河』のCiro Guerraと、”Embrace..”のプロデューサーだったCristina Gallegoとの共同になっている。

コロンビアの北部の砂漠地帯にスペイン語ではない独自の言葉を喋るWayúu族の集落があって、女家長のÚrsula (Carmiña Martínez)が仕切っていて、大人の行事に参加できる年齢になった若い娘のZaida (Natalia Reyes)が儀式で鳥の舞い(? とても素敵)を踊るのが冒頭で、それを見て彼女を見初めたRapayet (José Acosta)は、結婚したい、と申し出るのだが長老はおまえは部族の外の者だから、と羊何頭とか牛何頭とかの貢物の条件をうんと上げてきて、でもRapayetはなんとか調達してきちゃったので、ZaidaとRapayetは夫婦になって、子供もできる。

Rapayetがなんでそんなことをできたかというと、幼馴染と一緒にアメリカ人相手のドラッグ(マリファナ)の取引に手を染めていったからで、でもそうしてもっともっとの需要供給の原則で外貨を稼ぐようになってくると部族のしきたりや掟との間にいろんな軋轢がでてきて、でも始まってしまった交易を止めることはできなくて、それが内外に暴力と報復の連鎖 - ドラッグマフィアのそれと同じ - を生んでいく。 それでも部族や家族のなかはなんとか守られてきて、しかしやはり、それも傲慢に育ってしまった若者- Leonídas (Greider Meza)に穴を開けられると戦争が始まって…  というふうに60年代末から80年までの間に、ある部族が衰退して崩壊していくさまが章を切って描かれる。

“Embrace Of The Serpent”でも期せずして西洋文明を持ちこんでしまった白人の視点と視界が原住民の記憶のありようを揺らしていく様が描かれたが、今作はもっと直截に近代の金と暴力の論理が女性と風習が支配してきた部族をまるごと潰して砂と風のなかに散らしてしまう。 そのドラマが前作では密林と河のなかで起こり、今作では砂漠を通過していく風と鳥のイメージと共に生起するのだが、それによって決して全てが失われたわけではない(明確ではないけど)こともなんとなく示されてはいる。

実際に当時コロンビアの地方で起こっていたと思われることをドラマ化したようなのだが、ドラッグに係るギャングの抗争って、町や組織のないこんなところでも、コーヒーに変わってマリファナが栽培され、組織ではなく一族の商いとして始まっていった、というあたりが興味深い。コミュニケーションのマナーもあくまでも一族のしきたりや風習の中で閉じようとしていたのに、内部の若く無軌道な欲望がそれを中から壊して -  というのはアメリカの同ジャンル – それこそ”The Godfather”のシリーズなんかでもいくらでも語られてきたスタイルで、でもそれが砂漠のなか、女系の、占いやお告げが支配する世界でも起こる。ほんとはここで、ラテンアメリカ文学のマジックリアリズム的ななにかが起こることを期待したりもしたのだが、現れるのは真っ赤な鳥くらい。

家長のÚrsulaやZaidaを演じる女優さんたちの面構えがすばらしくかっこよくて、これに対する男優陣はみんなろくでもないチンピラみたいなのばかりで、ほんとしょうもなくて、こうして今の世の中は小汚いチンピラまみれに なっていったのだわ、って。

あと、”Embrace Of The Serpent”のモノクロの世界に対して女性の纏う衣装の赤とか砂漠の荒涼感、そのスケールが素敵なので、できればでっかい画面で見てほしい。

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