5.09.2019

[film] Knock Down the House (2019)

4日、土曜日の昼間、ICAで見ました。

1月頃、アパートのケーブルのアンテナを取り替えるとかでTVが見れなくなった時期があって、その時にNetflixは入ってるみたいだから見てれば、と言われて”The Crown”とか食べ物ドキュメンタリーとかこんまりとかを見た。こんまりのはどうしたらよいのかまったくわからず(←しょうもない)。
で、これもNetflixで見れるのだが、落ち着きないから家で見てもぜったいだめなので、上映しているところを探したらここ1館でなんとかやっていた、と。

今はすっかり有名になったAlexandria Ocasio-Cortez (以下AOC)が政界に刺さりこんだ2018年NYでの予備選の戦いっぷりとその結果をドキュメントしたもの。

冒頭、出かける準備をしつつ、女性ってさー、出かける前に自分で決めなきゃいけないことが山ほどあるよねー、とか言いながらメイクをする姿があり、メキシカンレストラン(Union Squareの..)でふつうに働いている彼女の姿があり、要するにそこらにいるごくふつうのー。

従来の民主 - 共和の対立構造とか枠にとらわれない新しい風や声を議会に送りこもう、という草の根の取組みで全米全土から選ばれた30名のうち、AOCを含む4名 – NYのAOC、West VirginiaのPaula Jean Swearengin、MissouriのCori Bush、NevadaのAmy Vilela – の女性候補の戦いを描く。

なんで女性なのか? はもういいよね。男の政治家(≒土建屋)共 が「力強く」推進して作りあげてしまった現在の社会インフラが制度や環境の不良や劣化、それらを支える倫理の崩壊も含め国境を越えてあれこれ問題を起こしてきているところで、今はぜったいに弱者や弾かれ虐げられてきた人達の声を聞いて寄り添う必要がある、それをやらないと内部から瓦解する(もうしている)、それはガサツで乱暴な男ではできない – できているのだったらこんな問題起こってないし、そもそも問題の在り処を連中は認識できてないようだしー、どうせどっちみちうざい野郎どもはのさばってくるんだから無視無視、ていうこと。

環境問題や医療保険や人種問題、各候補で重点を置いている施策もそれに込める思いも候補者それぞれで、でもそれをどう組織化して的確に有権者に伝えるのか、はなんにせよ簡単じゃない、けど、だから、ドキュメンタリーとしてはおもしろい。

NYの場合、民主党の重鎮・現職が長年ずっと根を張っていて、誰がどう見たって立ち向かうのは無理、だったのだが、現職は民主党としてTrumpを倒すことばかり言ってて地元の、足下の声を拾えていない、だいたいNYに住んですらいないっておかしくないか? ていうのがAOCの主張で、街角に立っていろんな集会に出て喋るのを続けて、とてもそこまで行けないと思われていたディベートの土俵にまで持ちこむ。

並行して彼女の家族やパートナーのことも描かれるし、とにかく彼女がずっとあの勢いで元気いっぱい喋って笑っているのって、わかりやすいし、少なくとも嫌いにはなれない。

結果はもうみんな知っている通り、AOC以外の3名は落選してしまうのだが、AOCが決まった瞬間が実に痛快でたまんなくて、「ええーうそうそうそまいがーしんじられなーい」みたいな女の子のそれ。 Knock Down the House ! – やったれ。

その後の彼女の活躍は言うまでもない、というか誰も予想していなかったくらいのところまで行っていると思う。当選したあと、Washington DCの議事堂の前に行って、小さい頃に観光に来たとき父親に言われたという言葉 – あの建物はわたしたちのものなんだよ – がとってもしみる。 そりゃそうだ、なんだけどね、国会も国会議事堂も国民のものなんだよ、わかってる? 

にっぽんの政治がつくづく嫌になったひとにこそ見てほしい。かえって遠い目になってしまうかもだけど、なんだか元気にはなるよ。 終わったらみんな拍手しちゃうくらい。

I, I, I, I, I, I, I, Kathy Acker

映画をやっているとこの隣の展示スペースでやっていたやつ。先頃日本でも『血みどろ臓物ハイスクール』が復刊されたKathy Acker (1947 – 1997) に捧げられた展示+読書会とかイベント多数で、英国では初なのだそう。

彼女の主要著作8つ毎にブースが分けられていて、参加している作家は40人くらい、関連する文献書籍も並べられていて、どんなテーマを取りあげたどんな作家だったのか初めてのひとにもわかるかんじにはなっている。 他方で、もっとぐちゃぐちゃな臓物のひとだと思っていたので整理整頓されすぎていないか、とか。 アーティストは知らない人が殆どだったけど、Genesis P-Orridgeとか、Raúl Ruizとか、David Wojnarowiczとか、The Mekonsとのライブパフォーマンスの映像も流れていた。
あと、彼女が着ていたVivianのジャケットとか。

昨年Whitneyで見たDavid Wojnarowiczの展示でも思ったのだが、彼らのようなひとを今のLGBTQの枠でとらえなおす、ってどうなのかしら?  やれば、とは思うけどそれで整理してなんかわかった気になってしまうことだけは避けなければ。

売店で『アホだら帝国』のペーパーバック(古本)を買ってかえった。
時間がなかったのでもう一回きたい。

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