11日、土曜日の昼間にPicturehouse Centralで見ました。 こんなの初日に見るのがあたりまえー。
1972年の1月の二日間、Aretha Franklinとその楽隊&教会のコーラス隊がLAのNew Bethel Baptist Churchで行ったライブ – いつもとちょっと違うことをやってみようと思ったと - の模様を収めたドキュメンタリー。
ライブレコーディングの方はこの模様を収録した同名のアルバムが同年6月にリリースされている。 のに映像版がこんなに遅れてしまったのはライブ撮影の経験がなかった監督のSydney Pollackが音と映像の同期とか考えずに好きに撮りまくった結果、収録された20時間分の映像素材のうち、きちんと歌と同期できそうなところは150分くらいしかなくて、2007年に亡くなった監督はそれを後任のAlan Elliottに託し、受けた彼は気が遠くなるようなその作業をやり遂げた、と。 監督も主演も亡くなってしまったけれど。
Arethaのライブ盤は個人的には”Aretha Live at Fillmore West” (1971)が - これは世のあらゆるライブ盤のなかでもBob Marley & the Wailersの”Live!” (1975)と並ぶくらいの - 決定版で、でもこれだってじゅうぶんすごい。彼女を突き動かし、歌に向かわせる根源はここにあるのだ、ということを、彼女の歌に向かう表情と姿勢、それだけで瞬時に明確にわからせてしまう。
Arethaが歌うゴスペルは90年代にLincoln Center Festivalで聴いたことがあって、彼女のヒット曲はやりませんから、と注意書きがあったそのライブは、ゴスペル界の大御所数名と共に声を張りあげて聖歌をえんえん歌いまくるやつで、全体のエナジーがとてつもなくて、ああ彼女まだまだぜんぜんすごいじゃん、と思った(その少し前に見たコンサートがあまり元気ないかんじだったので余計に)。
彼女が小さい頃から慣れ親しんだ歌を、それらをよく知る人々と一緒によく知る人々の前で歌う。それは自身のヒット曲を歌っていく従来のライブとはぜんぜん異なるスタイルで、彼女自身が歌うことに救いを求め、それが天上に届き、その至福(Amazing Grace)がそこにいる人たちすべてに降り注ぐ、その様が仔細にドキュメントされていて、ゴスペルってそういうもんだからさ、と言ってしまえばそれまでなのだが、キリスト教やゴスペルを知らないひとにもここで起こっていることがなにやらとんでもないことだ、ふつーの音楽のライブとは違う、ライブで起こったことがないようなことが起こっている、ことは感じられるのではないか。
ただ、それって歌うArethaと対面する我々ひとりひとりの中と間で起こることなので、泣いて感動してひれ伏している観客の方をとらえるカメラはちょっとな、ていうのはあった(そんなの映さなくてもいいのに)。 あと、彼女の歌と同期させた編集はすごいと思うけど、たまに衣装が違ったりしているショットがあって、あれってなんだったのかしら(リハーサルの?)。
たぶんここから音楽ってなんになるの? とかなんの役にたつの? みたいな問いについて考えることができる、のかもしれない。けどわかんないひとには何いっても聴かせてもむりよね(最近ほんと頭きてどうでもよくなってきた)。
こういうのとは別に、Arethaの歌う演壇の横にひっそりと固まって座って、しれっとすごい音を出し続けるバンド – Cornell Dupree, Chuck Rainey, Bernard Purdieたちに痺れる。このバンドの演奏パートだけで、ずっと聴いていられる。
わたしにとって彼女の歌はほんとうに問答無用の特別ななにかなのだが、最近の「ディーバ」みたいのがだいすきらしい若者にどう見えて聴こえるのか.. わかんないけど、日本でも公開されてほしいとは思う(とにかくでっかい音で)。
あの頃のMickとCharlieの姿もちょっとだけ映るよ。
5.20.2019
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