22日、水曜日の晩の2本目、CurzonのSOHOに移動してみました。平日の夜のはしごはきついのだがこの日のこの回しか上映がないみたいなので。
これもドキュメンタリーで、これもアメリカのNJの浜辺の町、Asubury Parkの歴史を追ったもの、でもあるし、ここの土地からなんでBruce SpringsteenとかSteve Van ZandtとかSouthside Johnnyといったここの土地、としか言いようのないRock & Rollが出てきたのか、を当事者関係者のインタビューを通して掘っていく。 おもしろいのは町の歴史から入っていくはじめのほうで、町は元々運河を挟んでEast sideとWest sideに分かれていて、West sideが白人富裕層向けのカジノリゾートのような形で発展していく反対側で、East sideはそこでの労働力を供給するアフリカン・アメリカンの居住区として雑多なコミュニティを形作っていって、アフリカン・アフリカン専用の海水浴場ができたのもここが最初だったのだそう。
で、West sideのエンタメゾーンのホールで夜毎に豪勢なライブ(Frank SinatraとかHerman's Hermitsの前座でThe Whoとか)が繰り広げられる一方、East sideではJazzやBluesを中心としたアングラでヒップでキャンプなクラブカルチャーができあがって、新しい音楽を聴きたい連中はここにきな、になっていたと。Upstage Clubもそういう中のライブハウスで、若者たちの音楽に理解のあったここのオーナー夫妻が夜中の2時くらいから朝までステージを若者たちに解放して、好きなようにセッションしていいから、って放置したのだと。
ここに食らいついてはまりこんだのがBruce SpringsteenとかSteve Van Zandtとか、元気いっぱいの地元の若者たちで、ここから彼らはSteel Millと一緒にやるようになり、Bruce Springsteen Bandができて、David Sanciousが加わってE Street Bandになって、このころのBruceの写真を見ると、グランジみたいな髪ぼうぼうの匂ってきそうな風貌なのだが、こういう中から注目されて登場した彼が今みたいになっていったのは当然だしわかりやすいかも、って。
そうやって平和だった町が突然1970年7月の7日間続いた暴動(人種差別起因)で焼け野原になって全ては失われて、その後何回か復興計画再興計画が立てられていったものの、かつてのような勢いはなくなっていて、それでも近年になって細々と音楽フェスが開かれるようになり、School of Rockのような学校もできて、この町がそもそもどういうところだったのかを懸命に思いだせるようになってきたのがつい最近の。
で、映画の最後は、そういう町興しイベントのひとつなのか、ホールにBruce Springsteen、Steve Van Zandt、Southside Johnny、その他関係者全員集合して、地元の子供たちバンドも加わって、昔彼らがやっていたであろうRock & Rollのスタンダードのセッションを繰りひろげていくの。もちろん悪くはないのだが、なんかおまけのようなかんじで、Bruceもそんなに楽しそうには見えなくて、もう失われたものは戻ってこないのよ感が漂っていて、今のBruceの目からするとそうなのかもね。
ていうか、これと同じように壊されたり壊れたりして失われた地方都市って、理由はいろいろであるにせよ他にもいっぱいあるはずで、(音楽が効く効かないはともかく)それってなんなのだろう? って。 やっぱしライブハウスとか映画館とか本屋とか図書館って、ぜったいに地域には大切で必要で、そういうのが消えると町も死んでいっちゃうんだよ、って改めておもった。 そしてSpringsteenなんてもちろんいない(これは日本のことよ)。
ああ5月がもう..
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