9.14.2018

[film] The King (2017)

2日、日曜日の夕方、Curzon Bloomsburyのドキュメンタリー小屋で見ました。

監督のEugene Jareckiがどこから調達してきたのかElvis Presley – “The King” - が所有して乗っていた馬車 - 1963年製のRolls-Royceにカメラクルーと乗りこんで、王の生誕の地MississippiのTupeloから彼の遠征とその時代を追う形で旅をしていって、その土地土地で後部座席にはそこのミュージシャンとかいろんな人が乗りこんで王のことについて語ったり演奏したり。彼らの語りや演奏を通してアメリカにとって、アメリカの50-60年代にとってElvis Presleyとは何だったのかを浮き彫りにしてみよう、という企画。

車の旅はTupeloからMemphis – Nashville - New Yorkまで行って、そこからHollywood - Las Vegasに行って最後には王墓のあるGracelandで終わる。前半の東に向かう旅はブルーズやソウルが白人のロックンロール〜ポップスとして大衆化していく過程を追い、後半の西に向かう旅はそこで描かれたアメリカの夢が映画を含むマスなカルチャーとして産業化していく過程を追う。

これ、ものすごくおもしろくて、誰もが知っているElvisをそれぞれの立場、職業、人種、ジェンダー、地域、時代などなどで切って繋いでいくと、あの時代の成長とか夢とかその破綻とか挫折とか、そういうのをぜんぶひっくるめた「アメリカ」の像みたいのがぼんやりと見えてきて、それはへーこんなのあるんだ、と誰もが眺めていう63年のRolls-Royceの恰好をしているの。そいつはまだなんとか動くけど、ちょこちょこ故障して動かなくなって手間がかかったりする。

たぶんその感じ方もひとそれぞれ、コンプリート・ベストみたいなところとは距離を置いてそれぞれにとってのElvisのベスト盤を編んでいくような、そんな趣きがある。こんなことができるのはElvisだけで、たぶんDylanだとちょっと違う。 Warholが彼のポップアートで目指したのはこういうのだったのかもしれない。

ポピュラー音楽は勿論、公民権運動以降のアメリカ文化全般(その伝搬のしかたとかショービジネスの拡がりとか)に興味があったり齧ってみたいひとには最良の映像と語りの資料だと思う。 Elvisってそんなに興味もなかったのだが、旅が進むにつれて、あーそうなんだねえ … そうなのかー … そうかー …そうだねえ… のように自分の反応も変わっていった。

いろんな人が出てきていろんなことを言うのだが、例えばChuck DはBlack MusicやレイシズムとElvisの関係について、Greil Marcusは、ポピュラー音楽に”Happy”という概念を持ちこんだのはElvisだったとか、 John Hiatt - 車に乗りこむなり泣きだしてしまうとか、 みすず書房の名著『エルヴィス伝』の著者Peter Guralnickも出てくるし、撮影時、大統領選が間近だったNYで乗り込んだAlec Baldwinは真顔で「トランプは負けるから」と言っているし、Emmylou Harrisはクイーンのようだし、Lana Del Reyはプリンセスのようだし、でも最後まで一番べらべら喋り続けていったのはEthan Hawkeだったり。

たぶん、旅の途中でトランプが勝って大統領になったことで映画のトーンとか語りの熱が若干変わったのではないかしら。 誰もがElvisがアメリカの文化に対してやったことを讃えつつも、それを神格化する方向には注意深くなり、なぜElvisを中心としてああいったことが起こり得たのかを各自が考えつつ語っているかのような。

あと、映像で出てくる68年のComeback Specialって死ぬほどかっこいいのでなんなのあれ、と。
ちょうど本 - “The Comeback: Elvis and the Story of the 68 Special” by Simon Goddard - も出るみたいなので読んでみようかしら。

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