7月1日の日曜日の昼間、CurzonのBloomsburyのRenoirで見ました。2日続けて同じとこで、森を舞台にした映画を見る。
“Winter's Bone” (2010)のDebra Granik監督の新作、であれば見ないと。 本当にすばらしかった。
オレゴンの凍えて湿気の多い森の奥のほうで、親子と思われる男女が樹々の隙間に寝床(テントなんてちゃんとしたものではない、夜露を避けられるシートを張ったようなの)を作ってそこで暮らしている。
ふたりはWill (Ben Foster)とTom (Thomasin McKenzie)の親娘で、やばいことをしてどこかから逃げてきたふうではないし、なにかを固く信じてそこにいるふうでもないし、修行修練しているふうでもないし、そこでの生活のあれこれは手慣れて落ち着いたもので、食料や物資が不足するとリュック担いで町に出て行って買い出しをしたりしているし、緊急の場合の逃げ道とか逃げ方とかも日々訓練していたりする。
森の入り口にはホームレスの人たちがいるし、森には開発で人も入ってきたりするので無人の聖域ではなくて、やがてTomが見つかって、その後に集団で来られて森の中を逃げるものの捕まってしまう。
ふたりは別々にされて犯罪者である可能性も含めて尋問されたり検査されたりするのだが、そういうのは出てこない。 Willはイラク戦争に従軍していた過去があってその辺から社会が嫌になって、というのは考えられるのだが、学校に行っていないTomへの教育もちゃんとしているし、森での生活にはなんの問題もなかったようだし。
やがてふたりには道具一式揃った簡素な住宅と、Willにはクリスマスツリー用の木の畑での仕事を与えられて、Tomは近所でうさぎに触ったり養蜂を教わったり(うさぎいいなー)人と付き合うことを学んだりして、もう森での生活は卒業かも、になったかんじがあったのだが、でもWillは …
ここから先、お話が急展開するわけではないのだが、ふたりがそれぞれ最後にくだす意思と判断は、人は社会 - 人と人の間でどう生きていくべきか、等について、ものすごくいろんなことを考えさせてくれる。
特に最近の自治体のありよう - ITとかを使ったサービスセンター化していてその見返りのような形で強制参加とか課金(税金)とかして、結果的に統制とか網のなかに入ることを強いる - そういう緩やかな(でも実は野蛮な)支配って、世界中で進行しているのだろうな (日本はここに従来からのムラ意識をベースとした排除とか選別とか見せしめ、が入るので更にきつい - まじで抜けたい)と思わせて、つまり何を言いたいかというと、社会に関わらないで生きたいひとがそうっと生きたり逃げたりできるようなパス(場所も時間も機会も)がない世の中ってだめなんじゃないか、って。 だって実際そういうひとはほんとにいっぱいいるし、自分だってそういうとこあるし、などなど。 ひとは社会のなかで生きないといけないのです、とか小学校から学ぶけど、違うよね、って今更に。
“Leave No Trace” - 逃走の線を。
というのと、でっかくて深い森の威容に対比されるふたりの小さな影と、でもそれが実物大の姿なんだよね、って。
激しい演技をするわけではない消え入りそうに微細で繊細なBen Fosterの演技と“Winter's Bone” でのJennifer Lawrenceにも例えられるThomasin McKenzieの組み合わせはすごくて、このふたりが言葉少なく親娘の情を交わすとこなんてクラシックの名画みたいになる。
演技と同様に、ものすごく地味に響いてくる音楽は元TindersticksのDickon Hinchliffeさん。 ね?
関西の豪雨災害について、一刻も早く回復されますように。
上に書いたようなこととの関連で思うところはありますが、まずは人命、猫命、犬命の救助を。
7.09.2018
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