3日、火曜日の晩、CurzonのMayfairで見ました。
たまたまこの日のこの時間帯、World Cupの英国 vs. コロンビア戦とぶつかっていて、場内は老夫婦とか女性たちばかりでたいへん静かなよい雰囲気だった。
丁度いまかかっている(もう終わっちゃったかな?)アメリカのRom-Comぽい” Book Club”の方はなぜかあんま見たくないのだが、こっちは見たかった。
原作はPenelope Fitzgeraldの同名小説 (1978)、で未読(読みたい)。
1959年、イギリスの海辺沿いの田舎町でFlorence Green(Emily Mortimer)が本屋を開こうと奔走していて、物件は”The Old House”ていう危険なくらいにぼろぼろであんなとこ住むのは無理、と言われるようなところで、地元の金持ちは人が集まるアートセンターに改築しようとしているのだが、彼女は負けずになんとしても、と買い取って開業する。近所のもしゃもしゃ髪の女の子Christine (Honor Kneafsey)が手伝ってくれて、丘の上に住む怪しげで頑固そうな老人Edmund Brundish (Bill Nighy)が本を送れと手紙で言ってきたり、他方でなんとしても建物を手に入れたい金持ちViolet (Patricia Clarkson)は汚い手を使ってきてFlorenceと対決して..
Florenceの本屋の運命やいかに、というお話しよりも建物を手に入れてこつこつ自分の本屋を作っていって、評伝とか詩の本を求めてきた老人Edmundにブラッドベリの『華氏451度』(1953)を送りつけて反応を見たり、その反応がよかったものだから今度は発売されたばかりのナボコフ『ロリータ』(1955)を送りつけて、あなたはこれについてどう思うか? これを店で売ってもよいと思うか? って聞いたりとか、そういうやりとりの方がたまらなくわくわくで、本屋を開く楽しみって、まずはこういうのなんだろうなってじーんとした。 ストーリーの成り行きはそんなに明るくぱっとくる話ではないのだが、最後のところで少しだけほっとする。 ここがあるだけでいいわ、って。
つまり、人はなんで本屋を開きたいと思うのか、開くとどんなことが起こるのか、それはどんなふうに本好きへと伝搬して更なる本への欲望をかきたててどこまでも広がっていくのか。それは本という分厚く綴じられた紙の束、読書という行為、本を手にいれるという行為、それらの大屋根となってくれる本屋をきれいに貫いていて、だから本屋はこんなにも必要とされるものなんだなって。図書館にもそういうとこはあるけど、あっちは神殿みたいなもんで、こっちの本屋は自分の掘立小屋で穴蔵で、でもどちらも極めて必要だし。
公の図書館が骨抜きにされ、町の素敵な本屋がどんどん潰されて、こういうのをビジネス(要は金)とかいうぜんぜん関係ない、読書経験なんてしたこともなさそうな屑共が動かしているのが今の日本で、だからほんとにあの国のなにもかもが嫌でだいっきらいでたまらない。でもあれらをあんなふうなのーたりんのバカ共がやっているのであれば、本好きの魂は、ジェダイのようにどこかにまだいっぱい残っているはずで、いつかきっと、とも夢を見たりもする。
ものすごく甘くて勝手なわがままだけど、先があと1年とか見えてきたら自分ちにあるのをぜんぶ並べて本屋とレコ屋をやってみたいな、ていうのはたまに思う。どこかの「業者」なんかに処分されるくらいなら自分で売ったりあげたりしてお片付けしたい。
地味な作品なので日本で公開されるかはわからないけど、本屋の日(確かあったよね?)にくっつけたりして公開されてほしいな。 いや、それ以上に本好きのためにはFrederick Wisemanの”Ex Libris: The New York Public Library”をお願い。(英国ではもうじき正式公開される)
Bill Nighyがすばらしくて、古典ばかり読んできた堅物なのにブラッドベリやナボコフに萌えておろおろしてしまう、そんな役は彼にしかできないわ。
FlorenceがChristineに贈る本が、Richard Hughesの”A High Wind in Jamaica”。
そして最後に、John Bergerに捧げる、ってでるの。(じーん)
7.12.2018
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