20日の水曜日、Meltdown Festで、Queen Elizabeth Hallで見ました。
Queen Elizabeth Hall はRoyal Festival Hallの隣にあるやや小さめのホールで、普段はクラシックの小規模編成のとか、現代音楽系とかをやっている。 最近だとSteve Reichの”Different Trains”とか、Tyondai Braxtonの世界初演のとか、The NationalのBryce Dessnerの世界初演のとか、そういうの。
前座はJo Quailさんという女性の電気チェロ奏者で、ステージには床に固定されて直立している電気チェロがあり、Joさんは、これを叩いたり擦ったり弾いたり揺すったり、もちろん通常のチェロとしても奏でて、それらの音をエフェクタかけてループさせてひとり万能オーケストラにする。 この電気チェロって、打楽器にもベースにもふつうの弦楽器にもなんにでも使えるのね。
関係ないけど、「うずらのジョー」って、ちょっとかっこいいよね。
休憩を挟んで、Low – ついにこの3人組のライブを見れる。
これまでレコードはちょこちょこ買って聴いていたのだがライブは見たことがなかった。
東の珍獣トリオYo La Tengoほどポップでも人懐こくもなくて、盛りあがるような代表曲もほぼなし、音はゆったりがりがり不穏で不機嫌でヴォーカルふたりがデュエットしても不安を煽るばっかりで、でもどこか不敵に揺るがないこの北の珍獣トリオをライブで見てみたい、という欲望が常にあった。
開演30分前になると背後のスクリーンに30:00から00:00に向けて始まるカウントが表示されて、これが00:00になる手前でメンバーが出てきて、きっかりに演奏が始まる。背後のスクリーンには満月に寄っていったり引いていったりとか空港内のシャトルとか滝とかいろんな、超スローで、でも魅力的な動画が映しだされて、それらは彼らの音と同様どこまでも無骨で、ただそこにあるだけ撮られただけ、のような風景・背景として映しだされて誰も気にしない、そんなふうな。
音はそれまでベースが出しているのかギターが出しているのか不明だったあのチリチリビリビリの弦ノイズがほぼ電気ギターのそれであることがわかり、AlanとMimiのヴォーカルハーモニーも、どっちがどっちだかわからないくらいに絶妙に絡まったそれであることがわかり、でもだからといって彼らの音の魅力、その不思議が解きほぐされたかというとそうでもないまま、でもだからといってその魅力が減衰したかというと、もちろんそんなことはないまま、肌の上にチリチリと纏わりついてくる微細電流に痺れっぱなしなのだった。 ノイズミュージックの、ノイズの洪水に身を浸すのとはやや違う – 背後の映像にあるような海を眺めたり月を眺めたりしてひたすら無為に過ぎていく時間の感覚の生々しさがそこにはある気がした。
各自楽器を一回も替えず、ほとんど喋らない状態で進行したが、Alanさんが最後の方でRobert Smithに対する感謝を述べて、娘も喜んでいたと、でも息子は(丁度同じ時間帯にメイン会場の方でどかどかやっている)Deftonesの方に行きたいって(とやや悲しげに呟いた)。
本編ラストの曲だけNeil Youngふうに地を這うギターノイズが荒れ狂って、ギターを歯でがしがしやったりして(フリだけ?)、ノワール風にぶっきらぼうにステージを去って、アンコールなんてやらないでしょ、と思っていたのに再登場した。
もうじきリリースされる新譜 “Double Negative”のコンセプトなのかなんなのか、黒い厚紙の上部がふたつの丸でくり抜かれたマスクが全員に配られて、観客全員がそれをつけた状態でステージ上からカメラのひとが撮影してた。 いったい何に使うのかは謎。
物販コーナーで、クリスマスの靴下(昔出たクリスマスアルバムの時の)があって、ちょっと欲しくなったが我慢したの。
6.27.2018
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