今年もやってきたSundance Film Festival in London – 4日間のうち、2日間行って計3本見ました。 2日の土曜日の午後に見たやつ。
主人公はJennifer Fox (Laura Dern) - 監督と同名で、つまりこれは監督自身の身に起こったお話しなのだと。
Jenniferは、ドキュメンタリー映画作家で、恋人 (Common)と一緒に暮らしていて、ある日母親Nadine (Ellen Burstyn)が興奮して電話してきてこんなのが出てきた、と言う。それはJenniferが13歳の時(始めは15歳だと思いこんでいたが後で違うことがわかる)に自分に起こったことを書き留めたもので、そこからJenniferは当時の人達に会ったり写真や手紙を掘ったり漁ったり、自身の過去を、そこに書いてあることを確かめるために奔走を始める。
13歳のJenniferは乗馬教師のMrs. G (Elizabeth Debicki) のところに預けられて、Mrs.Gはすらっとかっこよくてみんなの憧れで、そこには彼女の恋人であるというBill Allens (Jason Ritter)もいて、彼はランニングのコーチで、彼らは情熱的にいろんなことを教えてくれるしJenniferをいっぱい褒めて励ましてくれるし、彼らの元で週末にトレーニングをするのが楽しみになっていって、やがて週末に泊りがけでトレーニングに行こうと誘われて、断る理由もないのでJenniferは付いていって。
というようなことを現在のJenniferは13歳のJenniferとの間を往ったり来たり、自身の中で過去の像と対話したり母親のところで昔の写真とかを探したり話をしたりしながら、当時のJenniferが紙の上に“Beautiful Tale”として残そうとしたことはなんだったのか、をじりじりと追っていく。その緊張感ときたらとてつもない。
それは現在のJenniferにとっては断然苦痛で、なぜならそれは13歳のJenniferが受けた性的虐待に関わることだったから。
13歳の彼女が記憶の底に(なかったこととして)沈めてしまったものを掘り起こして、彼女を単なる犠牲者ではない地点まで引っ張り起こして、救いださなければならない、それをしなければ13歳のJenniferだけじゃない、今の自分だって救われない。犠牲者のままで終わってたまるか。
最初はなぜそこまでするのか、自分のことなのに思いだせないのか、とか見ている我々は思うのだが、そんなに簡単なことではないということが彼女が受けた傷の深さ、重みと共に見えてきて – それはトラウマと呼ばれる - そのJourneyが監督自身 – Jenniferにとってどれほど大変なことだったのか、そこから更にこれまで、世界中でこれと同様の”Tale”がどれだけ埋められて、なかったことにされてきたのか、等々に気付かされて慄然とする。
ラストシーンは目に焼きついて、これを単なるドキュメンタリーではなく、こういうドラマにしたかった理由はここに込められているんだな、ってわかってじーんとするの。
音楽はCarole Kingが2曲。 エンドロールで流れる”Way Over Yonder”がねえ ...
上映後、監督とのQ&Aの前にアナウンスがあって、これを見て混乱したり何かが溢れてきて耐えられなくなったりした人がいたら扉の向こうにカウンセラーが待機しているので遠慮なく言ってください、と。 実際に質問しながら泣きそうになっている女性もいた。激しいシーンはないのだがそういう強さで訴えてくる作品だと思う。
映画のなかではLaura Dernの(いつものことながら)凄まじい演技に感動するのだが、彼女の演技は即興がものすごく多くて、それで相当足されてよくなった部分も相当あった、と。 恋人のCommonと喧嘩するシーンなんて5時間くらいああでもないこうでもないと延々やっていたんだって。
#MeTooとの関係については、これがムーブメントになる数年前から製作準備は進めていたのでこれがきっかけになった、ということはなくて偶然、ではあるけどよいことよね、と。
これ、日本でも絶対に絶対に公開されてほしい。ついていかなければいい、だの、拒否できたはず、だの、いろんな幸せのかたちだの、子供に対してまでそんな吐き気がするような卑怯者の論調が平気で蔓延って誰ひとり咎められない、そんなの絶対におかしいし狂ってるし腐ってるし。
6.04.2018
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