3日の午後、CurzonのSOHOで見ました。
オリジナルのタイトルは”Ma vie de Courgette”、米国だと”My Life as a Zucchini”、になる。オリジナルの仏語字幕版と英語吹替版があったのだが、時間がうまく合わなかったので、英語吹替版にした。 英語吹替版のキャストは、Will Forte, Nick Offerman, Ellen Pageとか、わるくないでしょ。
さて、英国にきて4ヶ月が過ぎて、米国英語と英国英語の違いで泣きそうに... とまでは行かないけどあーあ、になることが多いなか、一番ありえないわと思ったののひとつが"Courgette"で、なーんで「ズッキーニ」が英国では"Courgette"になるんだよ? ぜんぜんちがうじゃんかよ、だった。 でも、あたりまえだけどだれも教えてくれない(ただの野菜の名前だし)。 という割とどうしようもなくどうでもよい系のギャップを踏みしめつつ、このストップモーションアニメを見ました。
あと、Gilles Parisの原作を脚色したのは"Tomboy" (2011)、"Bande de filles" - "Girlhood" (2014)で常に子供のありようを描いてきたCéline Sciammaさんで、これだけで見なきゃ! になるよね。
ママとふたりで暮らすCourgette(ズッキーニ)は、どこかに行ってしまったパパの絵が描いてある凧とかでひとりぼんやり遊んでいて、ママはいつも台所でTV見ながらビール飲み散らかして怒鳴るのでちょっと怖くて、そしたらある日、ママは梯子階段から落っこちて突然あっけなく死んじゃって、Courgetteは施設に送られることになる。
施設にはそれぞれにいろんな事情があって親から引き離されている子供たちが共同生活を送っていて、ひとりひとりいじめっこだったり動かなかったり病気みたいだったりいろいろで、Courgetteも当然のようにちょっかい出されておまえズッキーニじゃなくてジャガイモだろ、とか言われて騒動になったりするのだが、だんだんにみんなと馴染んでいく。
やがて施設にやってきたCamilleていう女の子をちょっと好きになって、両親のいない彼女を引き取ろうとする邪悪な叔母とみんなで戦ったり、世話役の警察のおじさんとの交流とかいろんなエピソードを通して、Courgetteは、ぼくはぼくで、ズッキーニ、いやCourgetteでいいんだ、になっていくの。
クレイアニメぽい、ほんわかぽんこつな風合いが施設の子供たちひとりひとりの凸凹の風体にうまくはまっていて、はまりすぎていてちょっと出来過ぎでずるいわ、と思ったりもしたのだが、最後のシーン、施設の先生に赤ん坊が生まれたところに子供たちがやってきたところのダイアログではらはらと崩壊する。 全ての親も、教育関係者も、そうでなくてもみんなが見るべきだわ、って思って、さらにテロのあとでなんかたまんなくなって、Courgetteたちの像を自分のインスタに貼った。 この子らのためにも、くらいでよいのだと思うし。
6.06.2017
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