23日、金曜の晩、BloomsburyのCurzonで見ました。 英語題は"Slack Bay"。
自分にとっては血も涙もない鬼畜系の監督 - "Twentynine Palms" (2003) とかいまだにトラウマ - Bruno Dumontの「コメディ」だという。
確かに笑えないこともないのだが、なんかわけわかんないけどおかしい、ていうよりは、わかんないことはないけどどう受けとめたらよいのかわかんないので笑うしかない、という、そういう系の笑い - かと言ってブラックなかんじでもないの。
フランスの海岸 - たぶんこれがSlack Bay = 閑散とした入り江 - でムール貝を採ったり、観光客の浜辺や入り江の横断を担いだり船で渡したりして暮らしているBrufortの家があって、父母がいて、Ma Loute (Brandon Lavieville) はそこの長男で、彼の下に幼いガキ共3人がいる。
そこを見下ろす高台の別荘に毎年恒例の避暑にやって来たのが貴族でお金持ちっぽいVan Peteghemの一族で、André (Fabrice Luchini) とIsabelle (Valeria Bruni Tedeschi) の夫婦と子供たちとかで、後からAude (Juliette Binoche)もやってきて、いつもからから陽気でかしましい。
あと、この浜辺の近辺で人が消えたり行方不明になったりしている、というので巨デブの捜査官Machin (Didier Desprès)とその部下たちが現場周辺をいつも捜索してまわっている。
ていう3つの集団の動きとその間でぽつんと咲いたMa LouteとAudeの娘Billie(Raph)との恋 - をひと夏の浜辺の上で追っていて、爽やかな夏の思い出が残る、というよりは浜辺で立ち尽くしてぼーぜん、系の。
たぶんそうだろうな、と思っていたとおり、まともな人がほとんど出てこない。「まとも」っていうのはそれはちがう、とかそっちじゃない、とか、そういうことよ、とか突っ込みも含めて交通整理のようなことをしてくれるひとをいうのだが、そういうのがなくて、いるとしたら天を仰いで嘆き悲しんでばかりのIsabelleくらいなので、ことの成り行きを見ているしかない - どんなことが起こっても- ヒトがヒトを食べたって、ヒトが空を飛んだってそういうもんなんだ、と受けとめるしかない。
というわけで、由利徹が憑依したとしか思えないAndréのやばい動きがあり、絶えずきゅうきゅう音を立てて風船のように移動したり転がったりしているMachinがいて、すっかり豪快な大阪のおばはんに変貌してしまったので目を合わせられないJuliette Binocheがいて、そういう外から来た人々の反対側に無表情で殆ど喋らず、目配せのみで不気味に動いて「仕事」をしていく地元のBrufortの家の人たちがいて、その間で、たまに男装をしたりするBillieとMa Louteが動物のように出会って動物のようにふうぅって引っ掻きあって離れて、こんな場所に神はあるのか、と嘆くといないこともないよ、ほれ、とか。
そんなふうに見ているしかないのだったらしょうもないんじゃないの、かというとそうでもなくて、これまでもフランスの田舎の不寛容で冷酷非情な光景(with 宗教)を切り取ってきたBruno Dumontは、ここの入り江の光景にこれらの半腐れした人々の表情や挙動を的確に置いたりスラップスティックに飛ばしてみたり、見て楽しい一枚の絵にしている。 シュルレアリスムの絵にこんなのあったよな、みたいな。
シネマヴェーラの「妄執・異形の人々」特集への数年後のエントリーは絶対確実なやつで、だから、原題の"Ma Loute"よりは場所を示した英語題の"Slack Bay"のほうがよいかなあ、とか思った。
なにが起こるか予測つかないので最後まで釘づけ、というとこはあんまコメディぽくなかったかも。
最後に"FIN"が出るとなんかほっとしたし。
6.26.2017
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。