5.26.2017

[film] The Levelling (2016)

14日の日曜日、Tate Britainのイベントに行く前にBFIで見ました。

2014年のSomerset Floods(という災害があったのだ、とこの映画で知った)のしばらく後、大学に通っていたClover (Ellie Kendrick)は弟が亡くなったという連絡を受けて実家の農場に戻ってくる。 乳牛はまだいるけど家は住める状態には復旧していなくて、父(David Troughton)と犬がぼろぼろの状態で暮らしている。

弟は自分ちでやったどんちゃんパーティの最中に銃で死んで、それが酔っ払っての暴発事故によるものだったのか、自殺だったのかは不明で、弟が亡くなった現場を掃除したり部屋を整理したり、搾乳を手伝ったり、自分の気持ちを整理して落ち着こう落ち着こうと思って未だに打ち解けなくて弟が亡くなってから更に疎遠になりつつある父との間で今後のことを話そうとするのだが、父はいいから葬儀が終わったら学校に戻れ、しか言わない。

弟は家業の牧畜を継ぐのだか継がされるのだかの境目にいて、災害からの復旧がぜんぜん進まない今の状況でのそれは彼にとってはじゅうぶんな重荷で前途もまっくらで、自殺だったとしたらこれが動機としてじゅうぶん考えられるのだが、父は弟の最後の頃の様子について口を閉ざして語らずに酒ばかり飲んでいて、このままだと跡取り不在で牧場は閉鎖、乳牛は屠るしかないのだが、ここを出て大学に逃げてしまった自分にはどうすることもできないしその資格もないし、という苛立ちがCloverを二重にも三重にも縛って苦しめて、どうする?

すべては災害のせい、と言ってしまうのは簡単だし事実そうなのだろうが、それにしてもあまりに(出てくるひとたちみんなが)過酷でかわいそうで、おそらくこういう状況はここだけではなくて、日本の被災地でも同じようなことが起こったり今も続いているであろうことは容易に想像がつくし、そういう成り行きの普遍的なところを最小限の人物構成と家族単位で緻密にきちんと描いている。

マンチェスターのテロを受けてのMorrisseyのTweet - 政治家たちが「怖れない」とか「分断されない」とか言うのは簡単だ - ではないが、災害から「立ち直る」とか復旧の辛苦に「負けない」とかも同様にスローガンのように言ったりすることはいくらでもできて、でもそれらにどう対処すべきかを具体的に指し示すことってほんとうに難しい。 被災状況が、その悲惨さが露わになればなるほどひとりひとりに立ち入られたくない領域は出てきて、それを守るには黙って消えるしかないのだろうか。だから、そういうのを災害と呼ぶのだ、とか元に戻って間抜けなことを思ったり。

そういういろんなことを Ellie KendrickさんとDavid Troughtonさん、この二人の静かな演技と後ろ頭と切り返しが考えさせてくれて、とてもよい小品だとおもった。

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