まったく追えていなくて嫌になっているBFIのRainer Werner Fassbinder特集、5月2日、火曜日の晩に見ました。
英語題は"Fear of Fear"。
上映前にUniversity of KentのDr. Mattias Freyによる簡単なイントロがあった。 これがTVドラマとして撮られたということ、Margit Carstensen主演なのでMartha (1974) - これはSingleの話だけど - と比較されることが多いが、こっちは心の病の行方を描いたものではなく、あくまでふつうの生活を送ろうとする主婦のお話 - 少なくともFassbinderはそういう意図をもってこれを作ったのだ、って。
主婦のMargot (Margit Carstensen) には少しだけ忙しいけど優しい夫がいて、かわいい娘がいて、妊娠して息子もできて、世間的にはごくごく普通の家庭の主婦なのだが、たまに視界が歪んでものすごい不安に襲われていてもたってもいられなくなる。 彼女もその症状は自覚していて、起こると娘にあたってしまったりすることがあるのでなんとかしたいと思っている。 そういうふうにしてお酒をあおったりバリウムを求めて近所の医者のところに行ってよくわからぬままに彼と関係を持ってしまったり気がついたら手首を切っていたり、その変な挙動は同じアパートの別のフロアに住む母(Brigitte Mira)や妹(Irm Hermann)にも知られて呆れられて、だんだんに理解者も見てくれるひともいなくなって、孤立が深まるとさらに彼女の視野は歪んで狭くなっていって、その恐れが別の恐れを呼んでという連鎖と循環がひたすらおそろしい。
不安や恐れはFassbinderの映画のベースとして、基調音として空気みたいに常に流れているものなので、これもそういうものとして見ておけばよいのかも知れないが、ここまでふつうの、なんの変哲もない家庭のなかにそいつが家具のように持ちこまれて居座ってしまうと、改めてその異物感に驚かされるし、それがありがちな「向こう側の世界」に突き抜けて殺戮や異常行動に簡単に行かないがゆえにかえって、なんて厄介なものか、て思うし、なによりも我々はMargotの恐れや不安がどんな性質の、どんな感触のものか、どんなふうにやってくるのかわかる/知っているということの、なんとも言えない居心地のわるさ。 これこそが"Fear of Fear"ていうものなんだろうな、と。 (そういうのわかんない、というひとはFassbinderなんか見ないで一生幸せに暮らしてな)
ラストは隣人としてただそこに突っ立っているだけ、ていうすさまじい演技を繰り広げていたKurt Raabが、あのひと自殺したんだって、という声が聞こえて、救急車がちらっと見えて、ぷつんと切れるように終わる。 それもまたこわいの。簡単に向こう側には行けませんよ、行くの? って。
それにしてもMargit Carstensenのきりきりとおっかないこと、目を離すことができない磁場の強力なこと。
最近の映画で近いとこだとWoody Allenの"Blue Jasmine" (2013) 、だろうか。 Cate BlanchettとMargit Carstensenを並べてみるとなんか… 映画監督としての力量みたいのは置いておいて、FassbinderとAllenて明らかに特定のタイプの女性を崇めて、ある特定のタイプの女性を畏怖して怖がっているのではないか、とか。
5.17.2017
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。