3.20.2016

[film] Steve Jobs (2015)

20日の土曜日のごご、”Son of Saul”の後に雨に打たれながら歌舞伎町に行って、見ました。

同じ人物を主人公に置いていながら、Ashton Kutcherの”Jobs” (2013)とは、やはりぜんぜんちがう。

これはもう圧倒的に脚本のAaron Sorkin仕事であって、”The Social Network” (2010)と同じように、ひとりの狂った(なにかに取り憑かれた)男の独白のような語りや呟きが周囲を熱狂させ、がんじがらめにし、敵まみれにしたりしながらも、でっかいITのマーケットを動かし、やがてコミュニケーションや仕事のありようを一変させてしまう。 誰もが簡単に口にする「ITが世界を変える」とかいうおめでたい光景、その狂騒の異様さを、その渦中にいた変人の語りを通して解剖してみせる。

例えば世界的なベストセラーとなった本とか音楽とかアートとか映画とか、そういうのを作った本人が変人だったり変態だったりていうのはまだなんかわかるのだが、このケースは消費財で産業プロダクトで従来からある経済・消費・伝達活動に大きく影響する「道具」の開発で、しかもJobsの場合、自分でコード書いているわけでもデザインや設計をしているわけでもない。 いったいなにをやったのこいつは? ていうのは誰もが思うところではないか。

映画は1984年、1988年、1998年、それぞれアップル社にとって大きな転機となった製品の発表会の直前、その舞台裏でのJobs (Michael Fassbender)とその側近とか周辺の人たちとの会話劇が中心になる。 基本はJobsがまさに発表しようとしているその内容 - これからの方向性に対して、過去に仕事でいろいろあったSteve Wozniak (Seth Rogen)とかJohn Sculley (Jeff Daniels)があれこれ言ってくる、ていうのと、認知するしないも含めてどうしてくれんのよ、の妻と娘Lisaとのやりとりと、それらの間で振り回されてぶち切れそうになっている側近のKate Winsletと。基本のパターンは製品が変わっても年を経てもおなじようで、これがSteve JobsがSteve Jobsである所以なのだ、と。

あんたが偉いし昇り竜なのはわかるけど、誰のおかげでここまでこれたのか忘れて調子こいてんじゃねえぞおら、ていう彼らに対して、Jobsがぶつぶつ言い訳みたいなのも含めてやり返す(決着はもちろん、つかない)。 それだけといえばそれだけ、なのだが。
つまり、ビジネスにおける協業やコラボとは全然ちがうところでこの人はひとりやり抜いてきたのだ、と。

モノトーンでサイボーグのように見えないこともないMichael Fassbenderとぐにゃぐにゃふにゃふにゃ系のSeth RogenとJeff Danielsの対峙 - でも噛み合っているとは思えないやりとり - も絵にしてみるとなんとも言えずおもしろい。

たぶん、アップルウォッチャーの人たちからすれば既知の史実ばかりでつまらん、みたいになるのかも知れないが、この映画はそういうところを狙ったもんではないの。 アップルの知識いらない、そしてJobsの偉人伝とも違う。 いちばん威張ってすごいだろ、て言っているのはAaron Sorkin自身のような気もした。

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