3.22.2016

[music] Joan of Arc -- March 21 2016

3月21日、連休最終日の晩に渋谷で見ました。 花粉でじゅうぶんぼろかすで、風邪もじゅうぶん治っていなくて、連休なんてぜんぜん連休じゃないじゃん(会社いきたくない)、て文句を言いながらも、この人たちならしょうがないか、しかも20周年だっていうしな、になった。

2014年の2月、雪の日のライブ以来の再会。
今回のメンバーは5人で、前回よりひとり多くて、このひとり - 初期メンバーだったというJeremy Boyleさんの電子音がなかなか、堅パンのように歯ごたえがあって見事だった。 あと、Melinaさんは前回よりだんぜんご機嫌だったようにおもう。

結成20年の集大成とか二日間で日によってセットリストが違うとか言われていたが、そもそもこのバンドに関して「集大成」なんてものがありうるのか、毎日同じセットでの演奏を期待するようなやつなんているのか、と胡散臭さ法螺吹き感たっぷりで、そういうところも含めて行ってみました。

こんな目で見てしまっている我々もよくないのかも知れないが、初めからものすごい立ち上がりで突風のように五感すべてをもっていく、みたいのをぜんぜん、いっさい期待していないので、オープニングの音出しでも、えーとこれはもう始まっているのよね、マイクチェックじゃないよね、とか自分で自分に確かめて、Tim Kinsellaを見て、あー、あの顔はもう入ってる、ONになってるよ、とか確認して、あちこちに散らばってぐつぐつ不穏に鳴りだしている音を自分の耳下にかき集めてくるの。

最初はあまりに自由奔放に散っていてどうすんだろこれ、みたいだった音の束がTimのうたを中心にJoan of Arc的な音の雲・外郭がゆるゆると立ちのぼってきて、その像がくっきり形を取りだしたのが中盤くらいから、そこから先はもうひたすらがちゃがちゃどかどか気持ちよくて、たまに伸びてくる電気クラゲの触手に触れてびりびりしたり。

ばらけてとっ散らかって収拾のつかない - と誰もが形容するであろう音の粒や束なのだが、それでも、というか、であるがゆえにというか、まんなかにあるのはTim Kinsellaの鼻歌のような声と歌で、どれだけ音の飛び道具や爆竹が辺りを殺伐とした風景に変えようとも、最後に残るのは彼の歌で、ていうか彼の歌をサルベージするために、これら散漫で凶暴で非協力的な、とっちらかった音の暗幕は用意されたのでは、と思えてくるのだった。 こうして彼の頼りないよれよれの声と歌は瓦礫のなかから立ち上がってやたら親しげに誇らしげにこっちに歩いてくるの。

(豪快にダイブとかしないで、これらの音にまみれつつ、ひとりひとりにうりうりぐりぐり触っていくのもTimらしかった)

こんなふうに見てみたときに、このバンドがエモ、ハードコア、ポストパンク、アヴァンギャルド、ジャズ、ノイズ、ドローン、などなどを「経由」とか「通過」とかせず食い散らかし状態のままずっと来ていること、それらの濃度ぱんぱんの詰め込み具合から、今回のライブを「総括」と呼ぶのはあまり間違っていないのかもしれない、て思った。

アンコール終盤のノイズの濃厚さ、じゃらじゃらした質感ときたら、ちょっとありえないかんじ。

このとりとめのなさ、納まりの、踏ん切りの悪さってどっかにあったかも、と思って、それってRed Krayolaあたりかした、とか。 でもあれがテキサスの音だとすると、こっちはイリノイの音なんだよね、おもしろいことに。

2年おきだから、次は2018年てことね。 次は6人でね!

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