3.27.2016

[film] D'Est (1993)

少し戻って2月27日の夕方、飯田橋のアンスティチュでのアケルマン特集の最後、として見ました。
(4月の馬車道のは行けるかしら)

「東から」。 “From The East”。 110分のドキュメンタリー。
ソ連崩壊後の東欧の都市を描いた、という情報はあるものの、具体的に地名、群衆の、人の名が表示されることはないし、ナレーションもないし、人の声は入ってくるけど撮影のために録られたような会話もインタビューも一切ない。

カメラは(おそらく車のなかで)たいへんゆっくりと横移動していくのが殆どで、道を歩いている人たち、仕事に向かう(?)人たち、仕事を終えた(?)人たち、道端でなにかを待っている人たち、同じくなにかを売っている人たち、駅のベンチでなにかを待っている人たち、自宅の室内にいる人たち(たまに歌っていたり)、などなどがそれぞれたっぷりの長回しでランダムに並べられている。 これだけで110分。なのにまったく、ぜんぜん目を逸らすことができない。

外はとにかくとっても寒そうで、道も道端は雪が積もったり氷でかちかちで、みんないっぱい着こんでペンギンのように互いに寄り添って震えているかんじ、駅の構内も人が流れているかんじがしなくて滞留している。人は沢山溢れているのに景気がよくて賑わっているかんじはしない。 屋内でも屋外でも。でも屋内のほうがまだ親密な空気があるような。

というようなことが粒子が粗くて暗い画面 - それは粉雪なのか小雨なのかノイズなのかわからない - から窺うことのできるすべてで、カメラは一定の距離を保って人々に近寄ることなく、まるでサファリで動物たちを撮っているかのように息をひそめて移動している。 ニュース映像であれば景気や先行きに対する人々の不安の声やコメントを当然のように入れるのかもしれないが、ここではそれをしない。 そうすることが「正しい」と思ったからではなくて、それがこの人々とこの事態に接する/それを撮影する態度としてできる精一杯である、と語っているかのように。

彼女の作品でいうと、例えば『8 月15日』(1973)、そして『家からの手紙』(1976) あたり。
前者の女の子の独白の声、後者の母からの手紙を読む声、この『東から』にこれらの声はない。
それはなぜか、を考えてみること。

そしてこれに連なるドキュメンタリー『向こう側から』(2002)では登場するいろいろな立場の人々にあれこれ喋らせている、ということ。

今、彼女がシリアからの難民やフランスやベルギーの状況を撮ったとしたらどんなふうになっただろうか? カメラは4Kのデジタルになるので画面はとてもクリアで精密で、そこにはどんな言葉が? ノスタルジックな意味ではなく、これを真剣に想像し、考えてみることがいまの自分たちひとりひとりに求められているのだと思う。 彼女の映画を見るということはそういうことなのだから。

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