11日のお休みの日の夕方、有楽町で見ました。『白鯨との闘い』。
映画の冒頭にHerman Melville (Ben Whishaw)が出てくるので「?」となるのだが、これの原作は2000年に出版されたNathaniel Philbrickによる“In the Heart of the Sea: The Tragedy of the Whaleship Essex”で、この本は同年のNational Book Award(ノンフィクション部門)を受賞している。
原作は1820年の捕鯨船Essex号の海難事故をまだ見習い船員だったTom Nickerson (Brendan Gleeson)の目線で追ったもので、Melvilleは「白鯨」を書く際にここで描かれた鯨襲撃をモデルにしたとされているのだが、映画にはイシュメールもエイハブ船長もピークオッド号もモービィ・ディックも出てこないし、「白鯨」とは航路もちがうし、あれはBased on Actual Eventではぜんぜんないのよ。
ではなんで映画の冒頭にMelvilleが出てきて事件の生き残りであるTomと対話するところを描写するのかというと、この映画もまた、19世紀のMelvilleがそうしたように現実の悲惨な出来事をベースとして新たに象徴的に我々の物語を語りますよ、ということなのだと思う。
鯨油確保のための捕鯨基地として栄えるナンタケットの一等航海士Owen (Chris Hemsworth)はEssex号で南に下って太平洋に向かおうとしていて、最初の一頭は見事に仕留めるのだが、ぼんぼんで見栄っ張りの船長Pollard (Benjamin Walker)の傲慢かつ愚かな判断で嵐にぶつかって船はぼろぼろ、戻ることも考えるのだが、エクアドルで補給/修理しているときに巨大な鯨の噂を聞いて、手ぶらで帰るよりはこいつを仕留めていったらどうか、と欲を出して再び太平洋に乗り出していく。
後半はまさかのマッコウクジラの大群に遭遇して狂喜するも群れの中から現れたばかでかい鯨(白鯨というほど白くはない)に一瞬で船を叩き潰されて全員が海に投げ出され、3槽の小舟で陸地を求めて大海を彷徨うきりきりとしたサバイバル劇が中心となる。
その先に輝かしい勝利とか制覇とか大逆転が出てくる見込みも兆しもまったくなく、自分たちの飢えや狂気との辛くしんどい戦いが延々続くばかりで、ネタとしては盛りあがらないはずなのだが、なぜか手に汗握ってしまうの。 自業自得じゃんしょうがないじゃん、ていうのと、でもそれでも、その自業自得をあたまからひっかぶって懸命に生きる、というところに我々の日々が被ってくるせいかもしれない。
(あと、Thor - Owenが簡単に死ぬわけないわ、ていうのもあるか ... な)
最後にTomがMelvilleと別れる際、西部では地面から油が出てくるんだって、もう命懸けで鯨を捕る時代は終わったんだな、ていうシーンがあるのだが、ここがとっても象徴的で、自然に抗いつつ海に出たり地面掘ったりそれで人が死んだり殺されたり、といったことのしょうもなさを敢えて言っている。 こちらをじっと見据える鯨の目の強さと刺さりまくる切り返しも静かにそれを訴えかけてきて、たまらないの。 あの鯨さんはゴジラであってもおかしくなかった。
だからさー、邦題の『白鯨との闘い』なんて嘘八百で、「白鯨」とは勝負にすらなっていないの映画見れば一目瞭然だし。
例えば原発問題を津波との闘い、の方向にすり替えるのと同じことで、ほんと幼稚で愚かで、うんざりだわ。
ついでにEssex号の件を調べていたら、航海の途上にガラパゴスのフロレアナ島で、あそこのゾウガメを数百頭食用に積んだとか、いたずらで火を放ったら全島に燃え広がってフロエアナのゾウガメ(ガラパゴスのゾウガメは島ごとに種が異なるの)とモッキンバードが絶滅した、とかあって、おまえらなあ(怒)、になった。 天罰だ天罰。
嵐雨と波とぼろ船と荒縄と火、これに鯨、さらに飢えと漂流のしょっぱさ。 どS系海洋パニックとしては映像のすごさも含めてお腹いっぱいで、当分いらないかんじ、にはなった。
2.22.2016
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