なんで『向こう側から』に続けてこれなのか。 確かにこれも「向こう側」なのかもしれないが。
Valentaine Dayだから?
この特集を通してみると「ジャンヌ・ディエルマン」や「囚われの女」がすごいことはじゅうぶんわかるだろうし、70年代パンク女の子のかっこよさもわかった。
問題はこの作品なのよ。
公開当時も見ているしパンフだって買った(いいかげんに出ておいで)のだが、当時はなんかよくわかんなかったの。
80'sを「ゴールデン」と呼んでしまうことも、そもそもこの割とださださなミュージカルコメディにそういうタイトルが付いてしまうことも、どうなのだろうか、というのがずっとあった。
洋服店と美容室とカフェと映画館が並んでいるパリのブティック街があって、洋服店の若旦那ロベールは美容室の女主人リリ(Fanny Cottençon)が好きで、でもリリはジャンていう金持ち旦那に囲われてて、ロベールに片想いしているのは美容室のマド(Lio)で、ロベールのママのジャンヌ(Delphine Seyrig)のところには昔別れた恋人のイーライが米国から現れてずっと会いたかったって誘われて、書いていて恥ずかしくなるくらいぺったんこの、軽くキスしただけで簡単に落ちたり靡いたりする恋愛模様のまわりで80'sファッションとメイクの若者たちが歌って踊るの。
結局ロベールはマドとの結婚式の前日に戻ってきたリリに寝返るし、ジャンヌはぎりぎりのところでイーライから離れるのだが、これらの恋模様には主人公も中心もなくて、どいつもこいつも好き勝手に発情したり右往左往しているばかりで、みんな恋愛がすべて、永遠の愛を信じる!とか高らかに言うくせにアクションは常に言葉を裏切って止まらない。 - “Action Speaks Faster”
まあたしかにこういうのが80年代だったわけ。でもさー、当時はべつに特異なことだとは思ってないから、ふーんで終っていたのだが、90年代に入ってなんか様子が変わってくる。 本当の愛とか本当の自分とか、ボロ雑巾みたいなのを纏った小汚い連中がうめきだすわけ。んでそういうやつらが80’sを小馬鹿にしはじめて、世代論なんて大嫌いだったし別に相手にしたくもないんだけどサブカルだのなんだの持ちだしてしょうもない陣地取りみたいのを始めたのでうるせえやバーカ、とかそういうかんじになって、そら擁護したるわ、になった。 ほーんとどうでもいいんだけど。
映画はやっぱしちょっと恥ずかしかったけど、でもこれでいいのだ、だった。
少なくとも『街をぶっ飛ばせ』や『私、あなた、彼、彼女』の女の子が、『おなかすいた、寒い』しか言わなかった女の子が、ここの軽さ、個の希薄さ、常態化した片想いにパラダイスを見出したであろうことはとってもよくわかるし、75年に45歳だったジャンヌは平凡さの果てにここについに何かを見出したのだ、と信じたくなるの。
終って、数十年ぶりにスタカン聞いてスキップしながら帰った。
2.15.2016
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。