今日は9月11日で、14年目なので、国会前のデモに行った。
New Yorkはまだ朝の8時くらい、14年前だと火曜日の、本当に気持ちよく晴れたあの朝を想って、湿った闇のなかで声をあげる。
あんなに気持ちよく晴れていた14年前の朝、沢山のひとが一遍に一瞬に、誰も望まないかたちで突然に、家族と、恋人と、友人と、引き離されて死んでしまった。 あの朝、そんなことが起こるなんて、誰ひとり想像もしていなかった。誰ひとり受けとめることができなかった。 でもそれは起こった。
道を歩くひとみんながうなだれて、たまにあの方を振り返って声を出さずに泣いていた。2nd Aveから振り返るとダウンタウンのほうは煙で曇ってなにも見えなかった。あんな気持ちよく晴れた朝だったのに。
あの日亡くなった沢山の人たちと同じように、自分のある部分もまた亡くなったのだと思うし、あの日から半年以上立てられていた人探しのボードに貼られた沢山の笑顔の写真と悲痛なメッセージをいまだに忘れることができない。
デモが糾弾している元凶の根、そのひとつが14年前のこの日、あの朝に生まれたことは確かだと思う。
今の総理とおなじくらいバカだった当時の合衆国大統領は、二度とこの悲劇を繰り返さないように、と仮想の敵と偽の疑惑をでっちあげて兵を送った。 それはパンドラの箱で、それに連なる暴力の鎖は未だに断ち切れていないままだ。 突然襲ってきたらどうする? という疑念と汚れた大義から始まった一連の活動ははっきりと失敗したんだ。 その負の連鎖に自分から繋がれにいってどうするの?
それにね。あの日亡くなった人たちがそんなことを望んでいたとはとても思えないんだよね。
(70年前の戦争で亡くなった人たちも)
改めて(何度でも)ご冥福をお祈りします。
そして誓う。 ぜったいに忘れない。 本当に止める。
本日のお勉強: 懈怠(けたい)ではなく精進を!
9.11.2015
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。