LAの夏休みの後から、かな。 どこまで追いつける、かな。 むりか、な。
9月5日の土曜日の昼、川崎市民ミュージアムの映像ホールの特集『終戦70周年記念 戦争の記録と映画・戦争映画の視点』ていうので見ました。
『海に出た夏の旅』。 原題は"Летняя поездка к морю"
Web上にはあまり情報がなくて、製作は78年なのか80年なのか、とか。
ソビエトの戦争映画で、42年、戦争用の食糧調達のために少年たちとそれを監督するおじさんひとりが船で無人島に送られる。 そこは断崖絶壁にウミガラスのコロニーがあるところで、少年たちは3人ひとくみで、一人が綱を巻いて崖を降りて卵(おいしいらしい。おいしそうだ)をとり、二人が上でその綱をひっぱる。 とか、鉄砲でウミガラスを撃って(群れているのでどれかには当たる)、羽をむしって食肉にする、とか。 ひねた子、いじめっこ、寡黙な子、おしゃべりな子、いろんな子がいて、みんなよい顔で、過去に自分の子供を失っているらしい監督のおじさんは、厳しいけどそんな意地悪ではなく、静かに少年たちを見守っている。
冒頭、モノクロで描かれる戦時下の街の緊迫した空気感と、カラーに変わってからの少年たちの無人島での共同生活と、どちらも過酷でどちらも死がすぐにそこにあるし、少年たちは喧嘩してばかりだったりするのだが、カラーのなかの少年たちのひとりひとりの姿、その真剣な刺すような眼ざしがとてもよいの。自分たちもウミガラスのように群れているだけで、そのうちどこからか飛んできた銃弾にやられてしまうこともぼんやりわかっている、でも誰もそれを言わないし、そういう暗黙の了解のもと、無人島で言われるまま卵を拾っている、戦争っていうのは例えばこんな不条理のなかを生きることでもあるのだと、不条理なんて知らない子達の姿は語るだろう。
女医の健診とか、空から落ちてきたドイツ兵とか、少しだけ楽しいエピソード、いくつかの辛く悲しいエピソードを経て、画面は再びモノクロになり、少年たちが今度は兵士として戦場に赴くところで終わるのだが、画面がカラーになることは(おそらく)もうないの。
監督の作為やメッセージがあるのだとしたら、この色の切り替えくらいなのだが、それだけでも十分戦争の異様さ歪さを示すことができる。
しかしここの椅子、なんでこんな座りにくいの?
映画の後、(せっかく遠くまで来たのだから)隣のミュージアムでやっていた『木村伊兵衛写真賞 40周年記念展』ていうのも見た。
好きな作家、嫌いな作家いろいろあって、「木村伊兵衛」という固有名のもと語られてしまう賞の、写真(表現)のありようって、なんなのかしら、と思いながら見る。表現者の意図から(おそらくは)離れたところで木村伊兵衛的な構図とか被写体、というふうに括られてしまう何か、それによって排除されてしまう何かがあるとしたらそれは? とか。
9.29.2015
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