6日の土曜日、「サンドラの週末」を見て、髪切って、夕方から六本木で見ました。
Thomas (Dylan O'Brien) は気がつくと四方がでっかい壁で囲まれた野原に捨てられてて、その時点では自分の名前すら覚えていない。 まわりにいたのは若い男子ばかり、一番古くからいるのは3年前、そこから月にひとりずつ同じようにデリバーされているのだと言う。彼らは自分たちの保身と秩序維持のためにコミュニテイを作ってまわしていて、なんのためにそんなことをしているのかというと、巨大な壁の奥は迷路になっていて、迷いこんだら出れなくなるし、中にはこれまた巨大なロボ蜘蛛みたいのがいてやられちゃうから、こまこま調査しつつ脱出の機会をうかがっているのだと。
はねっかえりでせっかちなThomasは勝手にあれこれ仕掛けてみんなの反発をかうのだが、そんなある日、これが最後だから、ていう付箋つきではじめて女の子 - Teresa (Kaya Scodelario) - が搬送されてきて、彼女はThomasのことを知っているようだしなんか様子がちがう、とざわざわする。
彼らをここに送りこんだ連中はだれで、迷路を作った連中がだれで、ふたつは同じ連中なのか違うのか、目的は同じなのか入り組んでいるのか、わかんないこどだらけなのだが、気がついたらそこにいてそうなっていた子供たちにとってはいい迷惑、ということだけは確かで、ごめんねがんばってね、ていうしかないの。
“The Hunger Games”でも”Divergent”でも、こういう、気がついたらディストピア、生き残りたかったら知恵と勇気で生き残れ、ていう最近の若者映画が指し示すある兆候、ってわかりやすいし、若者が苦しみながらなにかを乗り越えていくのは見てて楽しいのでよいのだが、まずそうなるまえにおめーらがなんとかしろよ大人ども、て強く思う今日この頃なの。 負の遺産被害妄想もやればできる明るい未来妄想もいいかげんにしろよくそじじい! てほんと思うわ。 映画とは関係ないけど。 いまの腐れた日本の話だけど。
映画は全三部作らしいので、まだあんまし。
なんとなくわかるのは、子供たちはなんかの組織だかプロジェクトだかで飼われていた実験動物らしい、てことくらいなのだが、すごい規模のように見せといて、案外しょぼかったんじゃねえか → 迷路、ていうのはちょっと気になる。 ロボ蜘蛛さんもいろんな仕掛けも、3年間ずっと待ちかまえてたのに30分くらいで勢いで抜けられちゃったよね? 作った奴、責任問われるわよ。 あんなの、カットニスだったら弓矢でいっぱつだよ。
あと、あの年頃のガキばかりを3年間野原に放置しといて、みんなあんなクリーンなわけあるもんか、とか。
“Love Actually”で空港を全力疾走したあのガキが出ていたので期待したのだが、あんま走らなかったのはざんねん。 そこに愛がなかったからだと思う。
6.14.2015
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