26日日曜日の晩、Angelikaで見ました。(30分おきに上映してた)
午後に“This Is Our Youth”を結構真剣にみて、割とへろへろになったのでちょっと軽めで笑えるのを、て思った。
けどそんなに軽くも笑えるのでもなかったのだった。 おもしろかったけど。
Riggan (Michael Keaton)はかつて映画でBirdmanていうスーパーヒーローを演じていたものの失敗して転落して、ブロードウェイ演劇で新たなキャリアを築こうとしているもののいろいろ問題が噴出して大変なの。
映画の冒頭、彼は胡座をかいて宙にふんわり浮いていて、つまりは超人的な力を持っているかのような描写があるのだが、それがフィクションの世界でスーパーヒーローだった彼の妄執なのか、ほんとうにそういう力を持っているのかは明らかにされない。
Rigganに見えている世界、彼がコントロールしようとしている世界と周囲とのギャップ、軋轢、場合によっては和解と融解、というのは彼が舞台で演出しようとして難航しまくるレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」(どの短編だったのかしら)の世界にも通じているようで、あらゆる無知(Ignorance)や不寛容が舞台の上でも下でも裏でも、俳優たち(Edward Norton, Naomi Watts)の間にも家族(娘 - Emma Stone)の間にも静かにあたりまえのように拡がっていくばかりで、超人の力くらいでどうすることもできそうにない。 でも彼には。
ていうようなあれこれが、Alejandro González Iñárrituのステージ上からバックステージまで延々のびていく長回し(の多用)と共に描かれて、そこにこれまでのIñárrituの画面作りと同様の小賢しさを感じてうざいと思うかどうかは人それぞれだと思う。
が、今度のに関してはMichael Keatonがあまりにすばらしいので、よいの。 主人公の切羽詰まり具合としては”21 Grams” (2003)のSean Pennあたりに近いのだが、Times Squareをおむつ一丁で走りまわるMichael Keatonのかっこよさのが上をいく。 映画を見る誰もがかつて彼がBatmanだったことを知っている。 迷宮のようにとぐろをまいていくフィクションのなかで銃を手にするMichael Keatonの眼差しと凄みと。 誰かClint Eastwood翁でリメイクして。
Birdmanが悪党を退治するお話ではないにも関わらずそれがタイトルにある、というあたりも含めて、メタフィクションの解りやすく、しかし面倒くさい例示 - “The Unexpected Virtue of Ignorance”というのは果たしてどちら側の ー とか。
そしてEmma Stoneさんもとっても素敵なんだよ。
でも、Bryant Parkをあの角度から見下ろせるところに病院なんてないからね。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。