24日の木曜日の晩、どしゃ降りで身動きが取れなくなってしまった隙に、渋谷で見ました。
パリのホテルの一室で画面を前に呻吟している作家(Liam Neeson)がいて、彼のところに愛人と思われる女性(Olivia Wilde)がやってくる。 彼女は自分の書いたものを彼に読んでもらいたいようで、単なる愛以上のなにかを求めている。 彼はなにかが気に掛かっているようでどんよりで小説にも彼女にも没入することができない。
ローマで洋服のデザイン横流しをやっている男(Adrien Brody)がいて、ひと仕事終えてバーで寛いでいるとロマ族の女性(Moran Atias)が入ってきて、バーからは嫌われて出ていくのだが、鞄を忘れていって、その鞄に入っていたお金を巡って喧嘩になって、彼は彼女の事情 - 子供を取り戻すために金がいる - に深入りしていく。
NYでホテル(Mercer Hotelだわ)のメイドをしていて情緒不安定なMila Kunisがなんとか子供に会わせて貰おうとひとり奮闘するのだが、いろんなことが起こるので、その子供の父親であるらしい画家のJames Francoと子供にはなかなか会うことができない。
捩れたり壊れたりしている関係が修復していく話でも新たな出会いがなにかを育んでいく話もでなく、3都市でそれぞれ進行していたドラマの時系列や登場人物の立ち位置が次第に明らかになってひとつの物語に収斂していく、ような話でもない。
むしろそっちに向かうかも、とか物語の全体とか俯瞰図を掴みたい、というこちらの安易な期待を裏切るかのように映されている時間も場所も一切表示されず、ある都市から別の都市への切替えは窓からの光、ドアの開閉、眼差しの向かう先、などイメージの連なりのなかでぱたぱたとすり替えられるようにして起こる。 物語の行方、よりもそのぱたぱたをコントロールしているのはなんなのか、の方に注意関心は向かう。
それぞれのお話はそれぞれに適度な緊張のもとで進んでいって、そのうちいくつか、あれ?みたいな階段外しがぽろぽろ重なってああそういうことね、となるのだが、そういうことをそういうこととして納得したくないひともいるんだろうなー、とか。
"Third Person"ていうのがなんなのか、も割と早い段階でわかって、でもその意味みたいなところが見えてくるのは終わりのほうで、でもだからといって、ねえ。
俳優さんがみんなうまいし個々のドラマの構成はすごくしっかりしていて、でもこれらの組み合わせをダイナミックに錯綜させつつ見せるのってヨーロッパの作家のほうが得意のような気がする。 アラン・レネとか。あーでも彼はこんなテーマはやらないかしら。
謎解きのスリルとか物語の整合感を求めるひとにはちょっと足らないかも、だけどぐだぐだにわけわかんなくなっていってぜんぶゴミ箱、みたいのが好きなひとにはよいかも。 嫌いじゃなかった。
最後にはなんかが爆発するのでは、ていう予兆がずっとあったのだがそれは来なかったなあ。
水のイメージが沢山出てきたので火もあるかと思ったのに。
パリのふたりにしてもローマのふたりにしても、なんでそんなにお互いつっかかってつんけんして、でも絡んで絡もうとするのか、そのへんの粘度があんまよくわからないのだが、作家も詐欺師も割とヒマだから、ってことでよいのだろうか。
でも、わかるわかんないは別として、Liam NeesonとOlivia Wildeのやりとりはなんか素敵。タフじゃないととてもついていけないかんじではあるが。 彼の部屋のドアまでバスローブいっちょうで来て、いじわるされてすっぱだかで逃げ帰るとこなんて、おもしろいねえ。 やってみたいかも。
7.29.2014
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