7.30.2014

[music] Lorde - July 29

29日の火曜日、会社の帰りに品川で見ました。 品川のここは初めて行った。

今年のFRFは始めの数回の発表見ただけで行く気なくしてやめてしまったのだが、前日くらいにスケジュール見たらあんなのもこんなのも... だった。(ほぼ毎年そうね)
夏のフェス文化、みたいのも定着してきたようだが、あんなのただの縁日だし、長靴買ったくらいで音楽好きだなんて言わせねえからな断じて。
それにフェスなんかよりも、開始時間19時とか、ドリンク代強制徴取とか、そっちのわけわかんない定着の方をなんとかしてほしいわ。
(なんか荒れてる)

Lorde。 Sold Outするようなやつとは思わなかった。 そういうライブに行くのはなかなか久しぶり。 Katy Perryに行くような心構え(よくわからんが)で臨んでみる。 19時05分くらいにさっさか始まる。

バックはKeyとDrumsのふたり、半分以上はマシーン。

黒のドレスで、髪をふり乱し、全身をくねらせ足を踏ん張って、でも絶叫して歌の骨格を壊すようなことまではしない。 自分の作った歌と言葉を、そのエモのうねりやよじれをきちんと伝えよう、伝えねばという、契りの場所で歌われる自分の王国、その神話 - あなたとわたし、家族、チーム、ラストの"A World Alone" で「ほっとけ」と言われる"People"まで。 漆黒の、パーフェクトな"Pure Heroine"。 ごくふつうにかっこいいし頼もしいし。

アンコールなしで1時間強。 まんなか辺の"400 Lux"以降はぐいぐいあがっていって、衣装替えもあったし紙吹雪は舞うし、「日本にこれるなんて信じられない」の語りはそのままポエトリーリーディングのようだった。

The ReplacementsのカバーやるならPILの"Flowers of Romance"のカバーとかやんないかしら。 絶対合うとおもう。

彼女の詩や言葉を聞かせるのにはあの打ち込み、あのドレープのかかったエレクトロの重厚さが適切なのかも知れないが、次からはもっと冒険してよいと思った。 合唱団のアカペラのみとか、うんとドリーミーなポップとか。ぜったいやらないだろうけど。 
でもぐいぐい先鋭化していってbjörkみたいにはなってほしくはないのだが。

でもみんな、17歳とは思えない貫禄、とか言ってるけど、確かにパフォーマーとして堂々としているけど、女性歌手の17歳のイメージってどんななの?  ものすごく幼稚なふうに見ていないか? とか。
そもそも歌詞を読んでみろよ、17歳とか貫禄とか、一切関係ない内容だし、失礼じゃねえか、とか。

客はさいてーな連中ばっかし - 年上の男が若い娘を連れてきて「この歌いいだろうまいだろー」みたいにやってるのが(ええ、ええ、たまたまなんでしょうね)、周囲にごろごろいたし、あの狭い会場の真ん中で迷惑を顧みず肩車してご機嫌を取るような最低のクズ野郎ばっかしだったし、とにかくLordeを薦めてくるような男には注意することですよお嬢さんたち。

(とっても荒れてる)

7.29.2014

[film] Third Person (2013)

24日の木曜日の晩、どしゃ降りで身動きが取れなくなってしまった隙に、渋谷で見ました。

パリのホテルの一室で画面を前に呻吟している作家(Liam Neeson)がいて、彼のところに愛人と思われる女性(Olivia Wilde)がやってくる。 彼女は自分の書いたものを彼に読んでもらいたいようで、単なる愛以上のなにかを求めている。 彼はなにかが気に掛かっているようでどんよりで小説にも彼女にも没入することができない。

ローマで洋服のデザイン横流しをやっている男(Adrien Brody)がいて、ひと仕事終えてバーで寛いでいるとロマ族の女性(Moran Atias)が入ってきて、バーからは嫌われて出ていくのだが、鞄を忘れていって、その鞄に入っていたお金を巡って喧嘩になって、彼は彼女の事情 - 子供を取り戻すために金がいる - に深入りしていく。

NYでホテル(Mercer Hotelだわ)のメイドをしていて情緒不安定なMila Kunisがなんとか子供に会わせて貰おうとひとり奮闘するのだが、いろんなことが起こるので、その子供の父親であるらしい画家のJames Francoと子供にはなかなか会うことができない。

捩れたり壊れたりしている関係が修復していく話でも新たな出会いがなにかを育んでいく話もでなく、3都市でそれぞれ進行していたドラマの時系列や登場人物の立ち位置が次第に明らかになってひとつの物語に収斂していく、ような話でもない。
むしろそっちに向かうかも、とか物語の全体とか俯瞰図を掴みたい、というこちらの安易な期待を裏切るかのように映されている時間も場所も一切表示されず、ある都市から別の都市への切替えは窓からの光、ドアの開閉、眼差しの向かう先、などイメージの連なりのなかでぱたぱたとすり替えられるようにして起こる。 物語の行方、よりもそのぱたぱたをコントロールしているのはなんなのか、の方に注意関心は向かう。

それぞれのお話はそれぞれに適度な緊張のもとで進んでいって、そのうちいくつか、あれ?みたいな階段外しがぽろぽろ重なってああそういうことね、となるのだが、そういうことをそういうこととして納得したくないひともいるんだろうなー、とか。
"Third Person"ていうのがなんなのか、も割と早い段階でわかって、でもその意味みたいなところが見えてくるのは終わりのほうで、でもだからといって、ねえ。

俳優さんがみんなうまいし個々のドラマの構成はすごくしっかりしていて、でもこれらの組み合わせをダイナミックに錯綜させつつ見せるのってヨーロッパの作家のほうが得意のような気がする。 アラン・レネとか。あーでも彼はこんなテーマはやらないかしら。

謎解きのスリルとか物語の整合感を求めるひとにはちょっと足らないかも、だけどぐだぐだにわけわかんなくなっていってぜんぶゴミ箱、みたいのが好きなひとにはよいかも。 嫌いじゃなかった。
最後にはなんかが爆発するのでは、ていう予兆がずっとあったのだがそれは来なかったなあ。
水のイメージが沢山出てきたので火もあるかと思ったのに。

パリのふたりにしてもローマのふたりにしても、なんでそんなにお互いつっかかってつんけんして、でも絡んで絡もうとするのか、そのへんの粘度があんまよくわからないのだが、作家も詐欺師も割とヒマだから、ってことでよいのだろうか。

でも、わかるわかんないは別として、Liam NeesonとOlivia Wildeのやりとりはなんか素敵。タフじゃないととてもついていけないかんじではあるが。 彼の部屋のドアまでバスローブいっちょうで来て、いじわるされてすっぱだかで逃げ帰るとこなんて、おもしろいねえ。 やってみたいかも。

7.27.2014

[film] Diavolo in corpo (1986)

連休最後の21日の午後、イメージフォーラムのマルコ・ベロッキオ特集で見ました。「肉体の悪魔」。
連休はもうほんとにだめでしんでて、1日いっぽん見るのが精一杯だった。  お片づけ?  ふん。
 
ラディゲの原作はおおむかし中学のころに読んで、もちろんこれっぽっちも残っていない。
でもこんなお話しだったかなあ? (←おきまり)

高校生のアンドレア(Federico Pitzalis)は授業中、学校の屋根づたいに飛び降り自殺騒動を見て、そのむこう側に立っていたジュリア(Maruschka Detmers)に一目惚れして追っかけて逢瀬を重ねるようになる。 のだが彼女には大金持ちでやかましい母親と政治犯で収監されている婚約者がいて、しかも精神科医である父親の患者でもあって、それは許されない恋であったとさ。

周囲のいろんな大人が柵や囲いを作って行くなと言うものの、そこにそんな境界があるわけではなく、女の尻を追っかける熱病のような情熱と刹那があるのみ。それを肉体の悪魔と呼ぶのか、と。

未成年のガキが許されない恋を通していろんなことを学んで悶え苦しむ、ということよりも肉と性の快楽に溺れて暴走するさかりのついたガキ、というほうがイタリア映画としてはふさわしいかんじがして、アンドレアもジュリアもその期待にじゅうぶん応えるふうに輝いている。 思春期の性の暗さも震えも湿気も貧乏くささも微塵もないのはすてき。

わたしがゴダール作品のなかで”Prénom Carmen” -「カルメンという名の女」がとりわけ好きなのはMaruschka Detmersさんが出ているからで、あの映画にはさかった野郎に男根をつきたてられるシーンがあったし、あのなかにも精神病院は出てきたねえそういえば。

夜中アンドレアが学校の壁よじ登って屋上に出たら満月で猫がわらわらいて屋根伝いにジュリアの部屋にいってセックスしてもりあがっていくシーンはすばらしいったらない。

ベロッキオの映画って、“Vincere” -『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』もそう思ったけど、エロいところはなんかとってもエロいねえ。

ファッションやインテリアも含めた色彩がよくて、白と赤と青の組み合わせがおしゃれなこと。
80年代中期のよいかんじが凝縮されているような。 でも今の感覚からしたら変なのかしら。

7.25.2014

[film] Maleficent (2014)

魔女でも妖精でもなんでもいいからとにかく、この気圧と湿気やめて、ということで20日の日曜日、日本橋で見ました。 3D。  日本橋のここってやっぱし画面暗くない?

妖精の国の妖精だったMaleficent(Angelina Jolie)は若いころ、人間の男と恋におちて永遠よねとか思っていたのに裏切られて羽をもがれてあったまきて魔女になっちゃって、羽をもいだ手柄で王様になった野郎の赤ん坊に呪いをかけるの。 呪いをかけられたほうは、赤ん坊を魔女の呪いから守るべく山里に隔離しておくのだが、その娘(Elle Fanning)はなかなかかわいく育って憎めないので困ってしまうの。 で、呪いのときがやってくると、まるで吸い寄せられるように娘は。

基本は"Frozen"(アナ雪)とおなじ枠組み、と見てよいのかしら。

■いまどきの純粋で一途な愛は、よいこをモンスターに変えてしまう。(この世の中はそういうふうにできている)
■モンスターを理解して対応できるのは子供とモンスターと、同じような純粋さを持ったやつ、のみ。
■男はなんにせよぼんくらで役立たずでしょうもない。 いらねえ。

足踏みどーん - 氷山べりべりべりー  - れりごー♪  で謳いあげられる男不要もしくは男社会不要論て、それはそれでぜんぜん構わないのだが、ディズニーがそういうのを打ち出してくる - 物語として物語るというより戦略的に打ち出してくる - ように見えてしまうところがなんかね、なんだろうね。

ディズニー(ランド)ていうのは、そもそもがでっかいネズミとか狂ったアヒルとか空飛ぶ子象とか、魑魅魍魎モンスターの世界で、女子供はそういうのに無我夢中になって、男はうんざりしつつもそういう女達をなんとかするためにそいつらを車で運んだり入園料とかグッズ代払ったり、ていう商売モデルでずうっとやってきているものだから、男は恒常的にバカになっていただいて、安定的な母権社会の活性化に資するようなファンタジーを量産していれば世界はじゅうぶん安泰、なのかもしれない。  

でもね、そうやって適度にはじかれたバカな男共が暇を持て余してテロだの戦争だのをおっぱじめて、女のほうは産めよ増やせよとか乱暴に言われて、それがなかなか気持ちわりい今の状態なのではないでしょうかみなさん! と。

だからほんとは、アナとエルサは男をぜんぶ氷屋にしちゃえばいいんだし、マレフィセントは男をぜんぶカラスとかロバとかに変えてやって、要は去勢しちまえば、そこまでやってくれれば許してあげようなのにさ、バカな男を結果的に野放しにするもんだからー。

などなど、お話とはあんま関係ないところで引っかかってしまうのだった。
ディズニーにはね、こういう昔話の新解釈、みたいなとこを狙うんではなく、シンデレラとか白雪姫とかこれとか、王道のクラシックを今の技術使ってゴージャスにリメイクしてくれれば十分なんですけど。 ← ていうのがじつは一番たちわるいやつなのかも。

Angelina Jolieの頬骨のとんがり具合がすごすぎて、そこにばかり目が行くのであまりこわくない。
もっとがんがんのゴスにすべきだったのに。

7.24.2014

[film] Daniel Schmid - Le chat qui pense (2010)

19日、渋谷でみました。 「ダニエル・シュミット―思考する猫」 
もういっこのタイトルがあるとしたら「ダニエル・シュミット―思考する山岳男根」、とか。

本人&関係者のインタビューと作品からのクリップを繋いでダニエル・シュミットの作品世界を概観する。
フランス語、イタリア語、ドイツ語、英語、日本語、いろんな言語が飛び交いいろんな国のひとが彼について、彼の作品についていろんなことを語るのだが、ダニエル・シュミットの世界は揺るがず、ダニエル・シュミットの世界としてただそこにある。
でも、揺るがないといっても完成度と様式美で圧倒する世界が頑としてある、というよりは葉が茂ったり散ったり雪が降ったり、季節ごとに、年を追って変容していく山肌を近くから遠くから眺めているようなかんじ。

「思考する猫」は落ち着きなく走り回る犬ではなくて、やっぱし猫、椅子に座ってじっくりと思考する猫で、その猫がやはり同様にどっしりと動かず、ゆっくりと歌って舞いながら朽ちてゆく男女の、その愛の行方を捕えようとする。

ていうようなことを、ダニエル・シュミットの個々の映画を見たり思い出したりしながらしみじみ実感できるかというとそこがまたくせもので、見ているときはなんかたるかったり眠かったりすることも多くて、このドキュメンタリーを見ながら、ああそうなんだねえ、と思うことも多かった。
なので、ダニエル・シュミットの映画のガイド・整理としてはとてもよいし、彼の映画に再び向きあってみたくなる、そういう内容だった。
彼の映画って、断片断片は古い写真のように残像として残っているものの、ストーリーみたいのってあんま残ってないねえ。

で、映画のあとの蓮實重彦さんのトークがあまりにすばらしく、ていうかそちらで語られたダニエル・シュミット像が山岳男根の件も含めてあまりに鮮烈だったので、映画のほうが薄らいでしまったくらい。 さっきまで見ていた映画のなかでダニエル・シュミットについて語っていたひとが、目の前に現れて同じひとのことを語る、というのはなんかダニエル・シュミットぽいかも、とか。

やっぱし人間て、熟れて腐れてなんぼだよね、とか。 もんだいはいかに腐るか、だよね、とか。

この人のトーク、前回は溝口の国際シンポジウムだったかも。 その前は2003年のコロンビア大学の小津の国際会議だった、かしら。

トークの内容は、おもしろいに決まっているのだが、いつも思うのは、なんでこの人のお話はいつなに聞いてもこうなんだろうか、と。 初めて聞くであろう人にも映画のことよく知らない人にもおもしろく聞こえるに違いないその語りって、ものすごい謎だわ。 元総長としか言いようがないわ。

トークの最後に紹介された(映画の最後にも出てくる)、シュミットの世界観 - 総体としては悲観的絶望的、でも細部において楽天的であること - そこに現れる奇跡 - が凝縮された「トスカの接吻」のオー・ソレ・ミオを歌うシーン。 各自が勝手にやってて、張りあげているのは大昔にそうであったはずの声で、なにもかも破綻し、腐れてぶっこわれて、お先まっくらなようで、でも奇跡的な調和 - 調和というのではないな、なんかアンバランスなかたちでバランスがバランスしている、みたいな。 あの画面のなかにいたおばあちゃんおじいちゃんとあらゆる過去の欠片とお茶目な音楽の神様などに、惜しみない拍手を。


ダニエル・シュミットのウィキペディアは更新されないねえ。  いまの3倍増し、ていうのが総長指令なのに。

7.23.2014

[film] Divergent (2014)

17日の木曜日は朝から人間ドックで、いまの身体とか脳みそとかで具合が悪くなっている箇所があるとしたらそれはぜんぶ仕事のせいだとおもうのに、血を抜かれたりスキャンされたり輪切りされたり電極貼られたり揉まれたり叩かれたり変な汁飲まされて撹拌されたり、とってもひどい目にあって、でもそれもまた仕事みたいなものなのだ黙って管理されとけ、という屈辱的なお仕置きをたっぷり味わってつくづくいやになったので午後も休んだ。

国立新美術館で「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」を見ました。
(オルセーのほうは、別にいいやあ、とか)

Ballet Russesは、2010年にV&Aで”Diaghilev and the Golden Age of the Ballets Russes, 1909-1929”ていうでっかい回顧展を見ていて、あれの規模と比べたら酷かもしれないけど、もうちょっとがんばってほしかったかも。 あれじゃ「総合芸術」の欠片も、当時のアートシーンばかりか今のバレエとかモダンにも影響を与え続けている革新性もわかんないただのマニア向け骨董衣装展、だよねえ。

で、美術館のあと、六本木でみました。

なにがあったか知らんが、柵で囲われ廃墟だらけになった近未来のシカゴでは5つのFaction(共同体) - Dauntless(勇敢), Erudite(博学), Abnegation(無欲), Candor(高潔), Amity(平和)によって仕切られていて、それぞれのFactionで育った子は大人になるときに性格診断を受けて自分の共同体を選ぶことができる。Abnegationの家族で育ったTris(Shailene Woodley)が試験を受けたら試験官(Maggie Q)があんたの結果はレアで分類できなくてやばいのでAbnegationにしといたから、て言われる。 結果を見たわけでもないし、どんくらい違っててやばいのかわかんないのだが、とにかくあたしは異端者(Divergent)なんだ、とTrisはFaction選択の儀でDauntlessを選んで修行の日々が始まるの。

Trisが「Dauntless - 勇敢」に入るために地道に訓練していく前半はなんかたるい。 Enderのように天才なわけでもKatniss Everdeen のように弓がすごいとか特技があるわけでもなく、表面は地味などんくさい女の子が這いつくばりながらがんばる、でもすごい進化とか天啓とかが現れるわけではないの。 ただ自分は自分の意思で「勇敢」に入ったのだから「勇敢」のひとになるのだ、という信念と根性、それのみ。

その努力が認められてFour (Theo James)との距離が近くなり、Eruditeの陰謀が明らかになるあたりからぐいぐい面白くなっていく。
なにか突飛な、とんでもないことが起こるわけでもないのに、ストーリーとしてはぜんぜん無難なだけなのに、銃撃戦のなか、ママ(Ashley Judd)と出会うとこなんて盛りあがるし、Ashley Juddかっこいいし、後を追うパパの後ろ姿だって。

ここに描かれた5つのFactionに分けられた屑みたいな世界はなにがどうなってそうなったのかとか、そこにおいて「異端者」だからどうだというのか、”The Hunger Games"以上に腑におちないことおびただしいのだが、Trisのまっすぐな目と自分の将来を決められるのは自分だけなんだ、そうに決まってるんだ、ていう強さはなんか清々しくてすてき。

彼女の戦いがこれから革命のほうにいくのか抗争のほうにいくのか、原作を読んでいないのでぜんぜんわかんないのだが、全体としては、純情やくざモノ、ということでよいのかしら。(ポスターの入れ墨とか、列車とか)

しかし、"The Spectacular Now"を見ていればTrisがPeter (Miles Teller)を撃つシーンでぜったい喝采するし、"The Fault in Our Stars"を見ていれば「お兄ちゃん(Ansel Elgort)… 」とか思ってしまう。 この人たち、ライジングスター、て呼んでいいの? (それにしてはなんかゆるゆるな…)

というわけで、人間ドックの結果がDivergentだってかまうもんか、と。

7.21.2014

[log] そのた July 2014 (2)

主にロンドンとシアトルでのあれこれ。機内映画以外の。

ロンドンのいちばんのヤマ、新装開店したFoylesはどんなんだったか。
同じ通りで少しだけレスタースクエア側に寄って、箱としてはでっかくなった。
引っ越しの様子はこんなぐあい ↓

http://www.theguardian.com/books/video/2014/jun/06/foyles-london-charing-cross-road-timelapse-video

前のお店も本屋として異様にくつろげる仕様だったが、それがスペース拡張と共に更にすごくなってて、回廊にも本、階段にも本、これなら半日でもだらだら遊んでいられる。
日本の大規模書店もこうはならないものかねえ、ぜんぜん違うんだよね。

(なんかね、ここ数年の日本の読書がどういうわけか「泣ける」とか「癒し」とか「驚愕」とか、そういう「体験」を供与(強要)する性質のものになってきている気がして、本屋はこれからどんどんその線で幼稚化・遊園地化して、やかましくなっていくんだろうね..  やだやだ)

今回は18:00の閉店まであと30分くらい、で大慌てで走り回ったので上のほうのフロアには行けなかった。とりあえず、”if you leave”(http://if-you-leave.tumblr.com/)の第4集があったので買い、その近くにあったこんな雑誌(http://wornfashionjournal.com/)も買い、料理本もなんか、と思って、Jewishごはんの大きめの本を買った — “Jerusalem” by Yotam Ottolenghi & Sami Tamimi.  最近のイスラエルの動向には真っ向から中指、だけどJewishごはんはなんか興味があるの。 なんなのだろうあれらは、と。 あああと30分あったら..  だった。 またくる。

そこからRough Trade Eastへ。
ここも日曜の晩は19時クローズで、バスがなかなか来なかったせいで到着したのは18:10くらい。 ほとんど泣きそうになって店内を走りまわり、少しでも引っかかったやつはとりあえず抱えこむ。
今もぐじぐじ後悔しているのはThe Theの“Soul Mining”の箱… 箱はやっぱし無理だろ、と思ってその下にあった”Giant”の12inchだけにしちゃったのがなあ…  くやしい。

Jim Jarmuschの“Only Lovers Left Alive” (2013) のサントラ、彼のバンド - SQÜRLの3曲入り12inchとかがあった(Limited 300 copyて..)。 映画でも聴くことのできた、あのぐるぐるまわるガレージサイケ音響が。

7inchだとIslandのピンクレーベルから出ていたThe Railsのデビューシングル。
歌っているKamila ThompsonさんはRichardとLindaの娘、プロデュースはEdwyn Collins、とか。

閉店5分前にレジに持っていったら、レジのおねえさんに「素敵なセレクションね」て誉められてちょっとうれしかった。 けど本も雑誌も見れなかったんだよう。あんなもんじゃないんだよう。

店を出たら夕立ちだったのでPoppies Fish & Chipsに駆けこんで、Wild Halibutがあったのでそれをおいしく戴いて、そのあとで映画みにいったのだった。

LuxemburgとBrusselsは、本雑誌でいうと、なんもなかったかも。
あんまないのはあんましだったので、Brusselsの空港でオランダ版Vogueとか買った。やけくそ。
あと、HeathrowのTerminal5のBAのラウンジにはCereal Magazineが置いてあったので貰っちゃった。 それくらいー。 

それからSeattle。

5時過ぎにホテルに入って、この夕方しかないからレコード屋レコード屋、とおもって、とりあえずSilver Plattersの住所をメモして、タクシーつかまえて、ここね! って言ったらあいよ、と応えたタクシーさんはなんでか高速にのってすごい勢いで郊外の方に走っていって、着いたところは確かにSilver Plattersだったが、まったくしんないお店だった。 でも負けずに何枚か新譜だけ買って、ホテルに戻るのにタクシー呼んでもらって、7時くらいに戻ったの。

「消えたシモン・ヴェルネール」のサントラ(by Sonic Youth)とか”Girls”の2nd Seasonのサントラとか。 Ex Hexのデビュー7inchとか。

帰宅して数えたら今回買ったのは、12inch 10枚、7inch 10枚、だった。たまたま。

あとで調べたら以前よく行っていたQueen Anneのお店はCloseしていたのだった。
あの界隈のレコ屋全滅だねえ。

シアトルではこれくらい。 朝うろうろしてて、スタバの1号店とかみつけてこれか、とか。

まだなんかあったか、も。

7.20.2014

[log] そのた July 2014 (1)

途中とか帰りの機内で見た映画とか。

ロンドンからシアトルに向かう機内で見たやつ。

Muppets Most Wanted (2014)
これは映画館で見たかったんだけどなあ。
前作の”The Muppets" (2011)はほんとにすばらしくて、今作も監督(James Bobin)、脚本(James Bobin & Nicholas Stoller)はそのまま。

前作で立ちあがったKermit一座は各地をどさ回りしてて、そこに新しいツアマネ(Ricky Gervais)がアプローチしてきて、そのとき極寒ロシアの刑務所で世界一邪悪なカエル - Constantineが脱獄して、彼はKermitとすり替わってなりすまして、Kermitのほうが刑務所に送られてしまうの。
じつはツアマネがConstantineの組織のNo.2で、彼らはツアーに行く先々で泥棒を重ねて、最後に女王陛下の財宝を狙うつもりで、Kermitの、Kermit一座の運命やいかに、なの。

お話は簡単に先が読めて、その通りに進んでいくのだがつまんないことは全くない。
それに刑務所の鬼看守役のTina Feyをはじめ、囚人達のなかにもツアーの舞台とかにもいろんなゲストがわらわら湧いてでるので目が離せないの。 個人的にはTom HiddlestonとかJames McAvoyとかChloë Grace MoretzとかSaoirse Ronanとか、ね。

でもマペッツ以外のキュートなところを担っていたJason SegelとAmy Adamsがいなくなって、Tina Feyとゲストのみになってしまった分、ちょっときつくなったかも。

あとひとつだけ文句いうと、Kermitが有名になってみんなに愛されるのはわかるのよ、けどConstantineが世界一邪悪なカエルでみんなに畏れられるって。
カエルだよカエル。 負けんなよヒト、って。

それからこれみた。 いや、みれなかった。

That Awkward Moment (2014)

マンハッタンに暮らすZac EfronとMiles TellerとMichael B. Jordanは親友同士でシングルで(Michael B. Jordanだけ離婚言い渡されてる)、それなりに楽しくやってて、俺らはずっと結婚なんてしないよな、ていう魂の誓いをするのだが、そうした途端にそれぞれに素敵な女の子が現れる。 なんとなく男子版SATCみたいなかんじだねえ、と思ったところで眠りの国に落っこちてしまい、気がついたらシアトルだったの。 またどっかで見る機会があったらね。 


ロスから成田への帰り便で見たやつ。  あんま見たいのなかった。

Bad Words (2013)
Jason Batemanが監督で主演もしている。
全米のSpelling Beeコンテスト(英単語の綴りを言って間違ったら脱落していくやつ)に40歳の中年男Guy (Jason Bateman) がエントリーしていて、これは子供のための大会だからだめです、て主催者に言われるのだが規約には中二を修了していないこと、てあるだろ俺は終えていないんだよ、とか屁理屈いっぱいこねて出場してしまい、周囲のブーイングや嫌がらせにも負けずに決勝まで勝ちあがっていくの。 やがて明らかになってくる彼の狙いと生い立ちと。

ていうのと、大会で出会ったインド系の子供チャイタンニャ - 甲高い声で人形みたいに話す変な子 - とGuyとのぶっきらぼうでぎこちない交流もあって、なんか悪くなかった。
笑うことを忘れてしまった大人 - Jason Batemanの苦虫が、なんともいえず素敵なの。

Spelling Beeといえば、ドキュメンタリー ”Spellbound” (2002)は必見。
しかし、”Floccinaucinihilipilification” なんて単語の綴り、わかんないよね。綴りの前に発音できないでしょ。

音楽はThe Black KeysとかBeastie Boysとかとっても渋めで、ラストになだれこんでくるSmashing Pumpkinsの”Snail”が本当にすばらしいのだった。

このあと、”The Grand Budapest Hotel”を見ているうちにころりと落ちてしまい(気持ちよかった)、次に気がついたら残り2時間を切ってて、しょうがないので”Captain America: The Winter Soldier”をものすごい早送りで見たりした。

あと、ロンドンのホテルの深夜TVで”Get Him to the Greek” (2010)と”The Naked Gun 2½: The Smell of Fear” (1991)みた。どっちも不朽の名作だよね。

7.18.2014

[film] How to Train Your Dragon 2 (2014)

11日の晩のシアトル、前日”The Fault in Our Stars”を見たのとおなじRegalのシネコンでみました。
ほんとは、いちばん見たかったのは”Boyhood”だったのだがやってなくて、”Begin Again”かこれかで悩んで、こっちにした。

予告で流れたMadagascarのペンギンの、見たい。

むかし米国で見たこれの1は結構お気に入りだったのだが、日本でのプロモーションは屈辱としか言いようがないくそったれのひどいやつ(主人公の名前を変えてしまうなんてありえない)で、これと同じことを再びやられたらはっきりと見たくなくなるので、それなら今のうちに見ておこう、になった。

主人公のHiccupもToothlessも少し成長して、ドラゴン集めをしている悪集団がいると聞いて探していたら20年生き別れになっていた母に巡りあって、父と母も再会して、やがてドラゴンを集めて悪巧みをしている悪いやつ(見るからに悪い)がいて、そいつらと戦うことになるの。

どっちにもアルファっていうドラゴンのなかのドラゴン、みたいなばかでかいやつがいて、悪いほうのアルファは、催眠術かけて小ドラゴンを洗脳する力があるの。 で、味方のドラゴンはみんな洗脳されちゃって持ち駒失うのだが諦めなくて、洗脳なんて関係ない元気いっぱいの子供ドラゴンに跨がってナード仲間たちと一緒に突撃していくの。 テーマは”1”とも共通していて、相手がドラゴンだろうがなんだろうが、ちゃんと心を通わせてみんなで力を合わせれば争いは避けることができるんだよ、ていう … 。 たぶん。

あとはHiccupと家族と仲間たちのあれこれとか成長とか。

筋はともかくいろんな変てこなドラゴンがいっぱいでてきてがうがう吠えながら自在に空を飛びまくるのがいいの。
飛行シーンといえば宮崎駿のをみんなほめるけど、ここのも気持ちいいよ。

ドラゴン、飼ってみたいかも。 犬よりも猫な気がする。 首の根っこのツボを押すと背びれがぞわっと生えるとことか、いいよねえ。

声優陣は、Jay BaruchelにCate BlanchettにGerard ButlerにJonah HillにChristopher Mintz-PlasseにKristen Wiigに … よい並びでしょ。 みんなこのお話が好きなんだとおもう。

再会したパパとママがデュエットするシーンがあって、その歌詞、Shane MacGowanなんだよ。それからjónsiの曲も入ってるんだよ。 つまり、The PoguesとSigur Rósのファンで自分の先祖はケルトとか海賊とか思っている飲んだくれも必見なんだよ。

Special ThanksのとこにGuillermo del Toroさんの名前があった。2大ドラゴンが激突するとこ、明らかに彼のテイストで、怪獣映画になっているの。

これでシアトル映画篇はおわりかしら。

[film] 22 Jump Street (2014)

7日の晩、National Galleryから戻って、ちゃんと会社行事のお食事をして、明日は朝早い飛行機だからみんな早く帰りましょう、ということになったので、そのまま散歩行くふりして横道に離脱し、Leicester Squareのシネコンでみました。 たなばたなんてこんなもんさ。

LondonのシネコンのCMて結構長くてうんざりするのだが、車のスピード出しすぎに注意(死んじゃうよ)、の啓蒙CMがリアル過ぎてこわい。

さて、この作品については、ぜんぜん心配していないし、かといってすごい期待もしていないの。 どうせぜったいおもしろいし、ぜったい見るし。

前作での囮捜査がうまくいったので、このプログラムは上層部からも評価されて、ぼろ教会だった本部も向かい側に新しいビルとして新調されて、Channing Tatumと Jonah Hillのコンビは、こんどは大学ね、と送りこまれるの。 その程度なんだけど、おもしろいからいいの。

大学なので前作のときのような(こんな高校生いるかよ!)ギャップはない。 ギャップを埋めるテンションとかふたりの前のめりのやる気が希薄になった分、Channing Tatumはアメフトに熱中して、Jonah Hillは恋愛にはまりこんで、要するに刑事コンビとしての活動はどんどん緩くなっていって、やがてSpring Breakの季節になって、事件のヤマも当然そのへんにどかーん、てくるの。

全体のおもしろさ、ばかばかしさでいうと前作のほうが上で、でもそんな比較にいったい何の意味があるというのか。
このふたりが走り回って、ジャンプして、落下して、バウンドする、まわりは犯罪者か変な連中ばっかしかで、それだけでいい ー  てただの動物記録映画とおなじかもしれないが、こいつらに期待しているのはそういう垂れ流しみたいのでじゅうぶんなんだ。 しょうもない感想だけど。

おもしろさ、でいうとエンドロールの続編大会がいちばん楽しかったかも。
23 Jump Street (Medical Schoolだって)はふむふむ、だったのだが、そのあとあれよあれよとカウントが上がっていって、2021 Jump Steet (宇宙...) くらいまで行く。 エンドロールだけのゲストもAnna FarisとかSeth Rogen(Jonah HillがSeth Rogenに替わっていたり)とか、やたらいろいろ豪華なの。

あとJonah Hillの恋愛相手がAmber Stevensで、彼女の部屋にはDevoのポスターが貼ってあって、両親に会いにいってみるとIce CubeとQueen Latifahが出てきたりする。 このふたりからAmber Stevensが生まれるとは思えないんだけど。

あとこのメンツなのにSpring Breakなのに、James Francoが出てこない(弟はでてくる)のがふしぎだった。
そうかしんじゃったからか。

[art] Making Colour

7日のLondon、4時過ぎに1時間くらい空いたので、地下鉄でCharing Crossに向かい、National Portrait Galleryで"Virginia Woolf: Art, Life and Vision"を見ようと窓口に駆けこんだら、11日からだよ、と言われて思いっきり踏み板外されて、くやしかったのでカタログだけ買って、隣のNational Galleryでやっていたこの企画展をみた。

西洋絵画で使われている色・絵の具がどこからどんなふうに調達され「発明」され、時代と共にどう変わっていったのかを具体的な展示作品と共に追っかけてみる。

各部屋は色別に分かれていて、最初に概要紹介のようなかたちで昔の色チャートや、印象派で使われていた基本色(案外少ない)とかターナーの絵の具箱とかがあって、そのあとBlue, Green, Yellow and Orange, Red, Purple, Gold and Silverの部屋を順番にまわる。

これらの色がどんなもの(例えば鉱物)から抽出されて絵画に使われる絵の具として認知され流通するようになり、新たな色の発見や試用に試行、ブレイクスルーみたいのはどこでどんなふうになされていったのか、それはその時代の技法・手法にどんな影響を与えたのか、そこに当時の科学(化学)や宗教や文化はどう絡んでいたのかいなかったのか、などなどなど。
むかしむかし、青色の主原料だったラピス・ラズリの鉱山はアフガニスタンにあって、とかいう説明を読むと、へえー、なのだった。

展示作品は基本National Galleryの収蔵品で、そんなに有名なのはなかったが、青の部屋にあったSassoferratoの"The Virgin in Prayer" (1640-50) とか、赤の部屋にあったDegasの"Combing the Hair"(1896) はなかなか鮮烈ですばらしいものでした。
フェルメールの色の解析はこないだのここの展示"Vermeer and Music: The Art of Love and Leisure"でもやっていた気がしたが、例えば17世紀オランダ・フランドル絵画の色彩(あの、狂ったみたいなやつら)の謎を掘る、みたいのがあったら見たいなあ。

まあ、これはテーマとしてはものすごいでっかいもんなので、以下の記事にもあるように次から次へといろんな疑問が湧いてきて止まらなくなるのだった。 あくまでも入口、とっかかり、という程度で。

http://www.theguardian.com/artanddesign/2014/jun/22/making-colour-review-bright-idea-on-paper

でも絵画を色で集約、構成しなおしてみる、っておもしろいねえ。 ひとくちに青といっても、赤といっても、ひとつとして同じようなのはなくて、その調合でその絵のトーンが決まってしまう。 あたりまえだけどさ。


これは西洋絵画だったが東洋絵画だとこれとはまったく別の経路とか視座(仏教とか)が出てくるはずで、収拾つかなくなってしまうかもしれないけど、見てみたいなー。

終わって、時間がまだあったのでこの近所のICA(Institute of Contemporary Arts)の本屋(ここ好き)に行ってみようと思って行ったら、月曜日だから、とCloseしていて、ぷん、てむくれて戻ったのだった。

7.16.2014

[music] Russian Circles

ねむくてだるくてしょうもないので15日の晩、体調がだめなので帰ります、と抜けておうちで着替えてからnestに向かい、当日券でみました。

Leave Them All Behind 2014はとっても行きたかったし、Jesu見たかったのだが成田ついた直後に駆けつける元気はさすがになくて、でもせめてこれくらいは、だったの。

着いたのは20:15くらいで、本編はまだ始まっていないらしく、しばらくしたらフード被り緑カッパの男が出てきてラップトップからノイズを流しはじめる。背後にはひんやりとしたモノクロの映像。それがJustin K Broadrick - a.k.a. JK Fleshだというのは後でチラシで知った。 Fresh Princeとはちょっとちがうね。

すーばらしくきちんとデザインされた極上のノイズでした。 MRIと思って入っていったら実はオーブンで脳内の奥までちりちりに焼かれる、みたいな。 たまにギターを手にし、たまに空に向かって吼える。中心のないところであてどない雲のように拡がっていくノイズ、でもビートを含めすべての音は鳴るべき場所で精緻に正確に鳴っているかのように聴こえる。(ところでダブステップてああいうのをいうの?)

Justinさんは、こないだのJesuのときは半ケツで、今回は緑カッパで、おしゃれ方面もあなどれないな、とおもった。

そういえばこないだ、Rough TradeのEastでGODFLESHの”Decline and Fall” EP(アナログ)を買ったのだった。早く聴きたい。


そしてRussian Circles。 もちろん、それまで聴いたことなんてなかったさ。
3人組、短髪に髭のB、長髪に髭のG、どちらも犬顔で、シベリアの収容所あたりで極悪に暮らしているふう、Dだけは一見ふつうっぽいが、目がなんかいっちゃったふうだったかも。

しかしまあ、その音の濃いこと強いこと、なんか独特だった。コード進行だけでいうとたぶんごく普通の70年代ハードロックふう、なのだが、いち音といち音の間に挟まった電撃と打突の絡みとうねりの艶かしいこと、気持ちよいこと。 表面は、うんと激しいわけでもやかましいわけでもないのに、圧倒されるわけでもないのに、そのひと皮隔てた向こう側で戦争が勃発して、その攻防が渦を巻きながらゆっくりと上昇していくかんじ。 ロシアの軌道たち。

バンドとしての暑苦しさはゼロ、トリオとしての有機的なうんたら、みたいのから離れて勝手に高速回転しながら飛んでくる矢と刃と。
あと3時間だって聴いていられるような気持ちよさがありました。

あーライブいきたい。 どこかいきたい。

[film] Tammy (2014)

6日、日曜日の晩のロンドンで、いくつか見たいのはあったのであんま考えずにLeicester Squareに着いて、近辺のシネコンをうろうろしてどうしようー、て考えて、あんま遅くなるのはいやだったので"Under the Skin"にするかこっちかで悩んで、こっちにした。

Melissa McCarthyがTammy(とってもTammyてかんじ)で、ファストフード屋に勤めているのだが、態度不良でクビになって、大荒れの状態で家に戻ってみると夫は怪しい女(Toni Collette)を家に連れこんでいたりして、行き場を失った彼女は、飲んだくれの祖母(Susan Sarandon)を連れて彼女が見たいと言っていたナイアガラの滝を目指して旅をすることにした、という孫娘とおばあちゃんのロードムーヴィー、みたいに見えないこともない。

"Identity Thief" (2013)でも"The Heat" (2013)でもMelissa McCarthyはめちゃくちゃな爆裂あばずれ機関車女で、でもほんとのとろは家族思いの割とよいこだった、ていうのが基本で、そんな彼女を愛してきたわけだが、今回は最初のほうだけそんなふうに調子よいのに後半に向かうにつれてちょっと様子が違ってくる。 Susan SarandonとKathy Batesていう2大おばあちゃんを相手に変にお行儀よくなってしまったというか、張りあってもしょうがないと思ってしまったというか、微妙におとなしいふうで、それでもおもしろいんだけどね。 でもね。

ほんとは"Thelma & Louise" (1991) みたいな爆走ぶちかまし系を期待したのだったが。

しかしSusan Sarandonも Kathy Batesもおばあちゃんの役なんだよねえ、とそっちのほうがショックだったり。(でもSusan Sarandonとは24歳ちがいだって)

彼女の相手役って、"Identity Theif"みたいな堅気の男がいいのか、"The Heat"みたいなまじめな女刑事がいいのか、つい考えてしまうのだが、やっぱし"Blues Brothers"をみたいよねえ。  Dan Aykroyd がパパ役で出てくる(ぜんぜんふつー)のはその辺のみんなの潜在要求を ー 。

音楽は冒頭に素っ頓狂に流れるThe Outfieldの”Your Love”が、なんともいえず愛おしくてたまんなくなるの。

7.14.2014

[art] The Glamour of Italian Fashion 1945 - 2014

日本に戻りました。 あっつくてなにもかもいやになる。

6日の日曜日、ロンドン着いてホテルに荷物置いて、最初に来たのがV&A。 最終週ということもあり売り切れていたりしたら嫌だったので出国前に16:00のチケット(時間制なの)買っておいたら、窓口に15:55に着いた。 すばらしい。

これの他についでにWilliam Kentの展示とWedding Dressesの展示もみたいのでチケットください、て窓口で言ったら、ものすごく慇懃に、お客様差し出がましいようでございますがイタリアンファッションの展示をご覧になるのには1.5時間かかります本日の閉館は17:00なのですよ、と言われ、なめんなよ、ていらついたが譲歩して、Weddning Dressesの展示だけむりやり買った。

Italian Fashionのほう。 今年のベストファッション展示はMETのCharles Jamesかなあ、と思っていたがこれを見てしまうと悩ましい。  

ライティングも展示も凝った演出、派手な見せ方は全くしていなくて、ただ年代順にドレスとか布地とかがとんとんとん、と並んでいるだけ。それだけなのにドレスそのものから漂ってくる堂々としたオーラがただものではない。 まずは服をご覧なさい、そこに全てがあるから、という圧倒的な自信。 シェイプにうねり、肌理、落ち着き、光沢、これらだけでそれを包むひとの全てを表現できてしまうかのような存在、輪郭の強さ。

時代のスタイルとかトレンドとか、あんま関係ない、ひたすらラグジュアリーでゴージャスな服飾を追求しているだけ、それってこういうことでございますよねマダム? ていう。

全盛期のRomeo GigliとかGianfranco Ferréがどれだけかっこよくてすごかったか、毎週TVの「ファッション通信」をみて、毎月Hi Fashion誌を買っていたよいこなら知っているはず。 それの実物を目の前にするとほんとに言葉を失って「ほんものだぁ…」しかでない。 やっぱしこういうのって目の前で見ないとだめよね。

客層はほぼおばはんばっかしだったが、これってグランジ以降とかファストファッションとかで育った子供たちにはどんなふうに映るのだろうか、て少しおもった。 十二単とか、そんなかんじ?

これはカタログかった。もちろんハードカバーの。

Wedding Dresses 1775 - 2014

この展示も上のと同様に、なんかすごかった。
客層はこっちのがやや若めで、むりやり連れてこられたと思われるやや伏し目がちの男共もすこし。

工芸品、としか言いようのない精度と密度で練り上げられた糸とか布の束とか重なりとか連なりとか。しかもそれは結婚式、ていう(原則)一回きりの儀式のための装束で個とか家とか、場合によっては国とかの威信とか思いとか、そんなあれこれを時間をかけてぶち込んだもんでもあるので糸とかレースはいくらでも何重にもとぐろを巻くし、白は白でも半端なく濃厚な白に見えたりする。

1階でいちばん目立っていたのはNorman HartnellがMargaret Whighamのためにつくったドレス。
尾長鶏か、みたいに尻尾(としか言いようがない)がびろびろに広がっている。
あと大画面でダイアナ妃の式の映像をえんえん流してて、女子みんなうっとり。

2階には、セレブの結婚、ていうコーナーがあって、Kate Mossのとか、Gwen Stefaniのとか、SATC映画版でキャリーが着たLANVINのとか、いろいろ。
その他のデザイナーだと、Charles James, John Galliano, Christian Lacroix, Vivienne Westwoodとか。

端から端まできれいだねえ(溜息)で終ってしまうのだったが、それのなにがわるいというのか。

で、ここを出て、時間もないからTaxiでFoylesに向かったのだった。

7.12.2014

[log] July 12 2014

12日の朝、シアトルからの帰りのAlaska機内でまずはLAに向かっているなう。

10日の夕方に着いて、11日はずうっと会議で缶詰で、今朝は5時半起きで荷物詰めたりしたのでなんかぜんぜんシアトルに滞在していたかんじがしない。 結局夜遅くに映画2本見ただけ、この一週間の通算だと、映画4、展覧会3、本屋2、レコード屋3、そんな程度だった。 せっかくの欧州はずっと雨だったし、つまんないねえ。

11日の朝は少し早起きしてPike Placeの市場にきて、Lowell’s restaurantていうとこで朝食たべた。
Corned Beef HashとHash Brown Potatoをケチャップでぐじゃぐじゃにしていただいていると、なんともいえない罪悪感とともに地の底のほうから震えるような快感が。

魚屋で鮭をぽいぽい投げるやつも、朝早いのにやってた。 あれって、死体を投げてるんだよね。

まだ空いていないお店も多かったので、仕事が終ってから19:30くらいに来てみたらもうとっくに閉まっていて残念だった。 またこんど、と。

今朝すこし早めにTACOMAに来たのは、ここの空港はいつもごった返しててぐじゃぐじゃだから、ていうだけではなくて、空港内にSUB POP SHOPがオープンしたからなの。 空港内のレコード屋ていうと、昔ヒースローにあったHMVなんかを思い出すが、あれよか断然よかった。 Tシャツとかのアパレルと、プリントとかポスターとかカードとかの雑貨、CDにアナログに本、当然のようにほぼぜんぶ、シアトルとかグランジとかSUB POPに関係したのばっかし。 7inchがなかったのだけ、ざんねんだった。

いろいろ悩んで、こないだのRSDで再発されたBuilt to Spillの1stと、”Bleach”の20周年のアナログてたしか買っていなかった(だんだん不安になってきた.. )のでそれと、”K Records and the rise of independent music”ていう本と、SUB POPのロゴが入った板チョコかった。
Pearl Jamのでっかい箱は、やめといた。
カウンターにSeattle Record Storeマップとか置いてあったけど、帰り際に貰ってもさあ。

他にも荷物の空きがあればほしいのいっぱいあったのだが、あんなにあるとはねえ。

あとBeecher’sていう地場のハンドメイドのチーズ屋さんが出店してて、試食してじーっと見ていたら涎が止まんなくてすごくほしくなったのだが、我慢してチーズクラッカーとグラノーラだけ買った。

では。ロスからふたたび機内へ。 帰りたくない仕事きらい。

[film] The Fault in Our Stars (2014)

順番ばらばらだけど、書きやすいのから書いていく。
今回の出張、アムステルダムも最初の予定にはあったのでこの映画のロケ地に行こうかて、ちょっとわくわくしたのだが、だめになった。 ま、あのベンチなくなっちゃったみたいだし。

10日、ロンドンからシアトルに着いた日の晩、21:40くらい、ホテルの近くのシネコンで見ました。
今回、こいつだけはなんとしても見たくて、ロンドンでは時間まちがってミスして落ちこんだ。

だいたいさあ、日本公開が来年2月なんて、ほんとーにくそったれ、Shame on You!! だわよ。
この映画の公開をそこまで遅らせても優先しなきゃいけないなにかって、なんなの? 
そんでまた、べたべたのプロモーション - ヘイゼルなら絶対"Fuck Off!!"ていう - でうんざりさせられるんだよ。まっぴらごめんだわよ。

YA小説「さよならを待つふたりのために」の映画化。 原作もすてきなので見る前に読んだほうがいいかも。 読んだって読まなくたって、どっちにしても泣くよ。 そして裏切られることはない。

不治の病でなんども死にそうになって酸素吸入器を転がしながら生きているヘイゼル(Shailene Woodley)と、同じような境遇で片足を失っているガス(Ansel Elgort)が出会って、恋に落ちて、やがてやってくるさよならと。

世に言われる難病モノ、にはカテゴライズしたくない。 ものすごくまっとうな、恋愛映画のどまんなか。 いっぱい泣くけど、悲しみの涙とはちがう。  でもこれで泣かないひとはあんま信用しない。

とにかくねえ、主役のふたりがすばらしいったら。
サポートグループの集会で出会った瞬間の目線の交錯、アムステルダムのレストランでおいしいお皿(あのリゾット、いいな)の前でふたりしてくにゃーてなるとことか、”I’m in Love with you, Hazel !”て繰り返すとことか、アンネフランクの家でたまんなくなってキスしちゃうとことか、もうぜんぶいいの。 儚い生に突き刺さろうとする愛の矢、ではなくて儚い生を輝かせる星としてある愛の瞬き。 そんな愛のありようをこのふたりの俳優さんは完璧に理解していて、存在のすべてをそこに投げ出してこのふたりでしかありえない世界を作りだして、でもそれは決してついていけないどこかのなにかではなく、恋愛てこういうものだよね、とまっすぐにいう。 

どのスチールもよくて、どれ見たって決定版、ていうかんじでふたりはそこにいるでしょ。

たぶん本を読んだひとそれぞれがイメージするヘイゼルがあると思うけど、ここでのShailene Woodleyさんはそれらをよい意味で蹴散らしてしまう、そんな迫力。 ”The Spectacular Now"(2013)のときはなんか老成しているように見えて、ちょっとおばさんぽいかもとか思ったりもしたのだが、あれはやっぱしわざとだったのね、というのがようくわかるおそるべき集中力とコントロールっぷり。 すごい奴かも。

そんな彼女を真正面から受けとめるAnsel Elgortくんも、堂々余裕で頼もしいったら。
Rik Smitsのユニフォームがほんとによく似合うのがうれしいねえ。

目の悪いアイザックを演じるNat Wolffくんは”Palo Alto"もよかったけど、これもいい。 強がりばっかりだけど壊れやすいキャラはこのひとが今いちばん。 

作家ヴァン・ホーテンを演じるWillem Dafoeは、原作の極悪非道なかんじはあんましなくて、そこだけちょっと、だったかも。

音楽は地味めで、きらきら弾けて盛りあげるようなのはほとんどないのだが、これもよいの。 Sun Kil Moonとかね。


あ、上映前の予告でかかったやつでは、 “Wish I Was Here”がねえ。The Shinsの音が被さるだけで”Garden State”のあれこれが蘇ってじーんとくる、まるでなんかの冗談みたいに。

荷物つめないと…

7.10.2014

[log] July 10 2014 (2)

ブリュッセルからの飛行機は30分遅れくらいで飛んですんなりヒースローに着いてしまった。
雨は降っていない夏のロンドン。 ターミナル5なので、Paul Smithのお店で本とか買って、お腹そんなに減っていなかったのでGordon Ramsayは諦めて、BAのラウンジにはいった。

ここのチーズのセレクション(3種)はほんとにすばらしくて、硬めのクラッカーもおいしくて、これでワインとか飲めたら… 飲めたら飛行機なんて乗りたくなくなるとおもう。

ここからシアトル。ロンドンからシアトル。 レコード屋とライブハウスを巡る旅だったらどんなに素敵なことでしょう。 でも仕事なんだよ。


行きの羽田からヒースローまでのBAで見た映画をすこし。

Frank (2014)

Jon (Domhnall Gleeson)はミュージシャン志望のうだつのあがらない若者で、頭に浮かんだのを曲にしようと思ってもうまくいかずにもんもん過ごしてて、そんなある日、海岸で入水自殺をしようとして病院送りになった男のバンドから替わりのキーボードとして今晩のギグに来ないか、と言われてライブハウスのリハに行ってみると、そこにいたのがバンドとFrankだった。 Frankはバンドのヴォーカルで、頭に張りぼてのでっかい被り物(どんなのかはWebで探してね)を付けていて、それを取ろうとしなくて取ることもできなくて、だれも素顔を知らないし表情もわからない。
でも音楽だけは天才で、彼から出てくる歌はそのまま極上の音楽になる。 Jonはそのまま田舎の一軒家でのレコーディングに付き合うことになって、マネージャーの自殺とかいろいろあって、やがてバンドはやがてSXSWに向かうのだが、現地でバンドは分裂、Frankは行方不明になってしまう。

Jonの、バンドの成長譚と、謎に満ちたFrankの存在と彼の抱える哀しみと音楽と、いろいろ、でもちょっと暗めにひねくれた英国の青春/音楽映画としてとてもよかった。 バンド仲間と音楽があれば幸せとかほざいている日本のガキ共に見せてやれ。

どうせわかってしまうので書くと、FrankのなかにいるのはMichael Fassbenderで、深いバリトンで歌われる歌はなかなかすばらしい。あと、バンドメンバーとしてMaggie Gyllenhaalがいて、バンドのドラムスでちょっとだけ演技もしているのはAutoluxのCarla Azarさん。 なので、バンド映画として見たときの出音とか演奏風景のクオリティはすばらしくよい。そのままバンドデビューできるくらい。

Domhnall Gleesonくんは、”About Time”に続いて大人になりきれないぼんくらで、これが”Brooklyn”だとどうなるのかしら。


The Angriest Man in Brooklyn (2014)

これはアメリカ映画だけど。
Robin Williamsが癇癪もちの在ブルックリンのおっさんで、毎日頭にくることばっかしで、脳検査の結果を確認しに病院に行くとそこにいたのは、いつもの主治医ではなく代役で回されてきたMila Kunisで、彼女も猫がアパートの窓から飛び降りたりしてものすごくダークになってて、よくなかった検査の結果について、どれくらい悪いんだ教えろってがーがー言われた彼女はつい、あと90分よ、90分の寿命、て返してしまう。

もう夕方だったので、生きられるのは夕方6時すぎくらいまで、と彼は絶望して放心して町中に出て行ってしまい(病院側は大慌て)、別れた妻(Melissa Leo)に会ったり、幼馴染に会ったり、喧嘩してた息子(Hamish Linklater)に会ったりしながら自分を見つめ直して、みたいな心あたたまるホームドラマなの。

ぶちきれまくるRobin Williamsとそれに逆ギレしてわめきちらすMila Kunisのコンビは悪くなくて、でもあの勢いとテンションのまま最後まで行ってほしかったかも。へんにあったかくしなくていいから。  でもやっぱし、怒るのはよくないよね。

自分がそうなったらどうしようか。 90分じゃ映画1本も見れないから、中古レコード屋行ってカードでものすごい値段のいっぱい買ってふんぞりかえる、くらいかなあ。(殴)

主人公が彷徨う歩くブルックリンのFlatbush近辺のごちゃごちゃしたかんじはよかった。(マンハッタンの雑踏とはまたちがうの)


Cuban Fury (2014)

もういっかい英国映画にもどる。

子供の頃にサルサの魅力にやられて、いろんなコンテストで優勝しまくっていたのに大会直前のアクシデントがきっかけでもう踊るのを封印したまま大人になったのがNick Frostで、いまは機械メーカーのサラリーマンで、新たにやってきた女上司(Rashida Jones)がサルサ好きというのを知って、Mix Tape作ったり、ダンス教室に行ってみたりして彼女の気を惹こうとするのだが、以前のように身体はいうこときいてくれないし、同僚(Chris O'Dowd)はねちっこく妨害してくるし、いろいろたいへんなの。

かつてのサルサの師匠とか恋の指南をしてくれるサルサ教室のおかまさんとかそれぞれにおもしろくて、“Shall We Dance?” よりも好きかも。 Nick Frostがはじけたようにぶんぶん踊りまくるし、特に駐車場でのChris O'Dowdとのダンスバトルは必見。

アナログ盤とカセットでサルサのMix Tape作るところがいいのね。インナーもこまこま描いて。 John Cusackかおまえは、とか言われたりして。

ハリウッドでリメイクしてもおもしろいだろうなー。いろんなキャストがいくらでも浮かんでくる。


さて、シアトルまでの滞空時間は9時間くらい。なにを見ようか。 (いや、はしゃいでないでねろ) 

[log] July 10 2014

今日て木曜日? の10日? でしょうか。

滞在していたのはブリュッセルの空港目の前のホテルで、朝起きたら窓の外は霧でまっしろ、まっクリーム色で、飛行機が飛べるようなかんじがしなかったのだが、特にすることもないので空港に来ておみあげ買おうと思ったけどぜんぜん惹かれるものがなくて、しょうがないのでラウンジに来てシリアルたべてトースト焼いてクリームチーズとNutellaをべたべたにしたやつを頬ばって、ぷん、の状態。

これからロンドン経由でシアトルに飛ぶの。 まずはロンドンまで飛んでくれれば。

ブリュッセルはとにかくひでえ雨で、ずっとミーティングだったので関係ないのだが、晩だけGrand-Placeに行ってチョコレートとか買ってムール貝食べた。

バケツ一杯に入った小さめのBouchot musselはさくらんぼのようにおいしくていくらでも食べられるのだが、バケツを掘りすすんで横に貝殻の山ができていくにつれなんか大虐殺、みたいなかんじがしてならなくて、ぜんぶ食べてあげないといけませんね、になったの。
しじみとかあさりではそんなふうにはならないのに、あのバケツがよくないのだろうか..

帰るころにちょうどサッカーの準決勝が始まってレストランのある辺りはなかなか盛りあがっていた。
しかし夜10時なのに空はほんのり明るいんだねえ。 たとえどしゃぶりでも。

書き忘れたけど、ルクセンブルクからブリュッセルに行くとき、ルクセンの駅で買ったプラムタルトがおいしすぎてうっとりしていたらどっしりしたプラムの塊がシャツの上にきゃーきゃーなだれこんできて、なかなかうんざりした。 初日にもパスタソースでやられているので今回選抜されたシャツはほんとうにかわいそう、ということで。

では。 次はロンドンで。 ロンドンまで行けて、なんかネタがあって、ヒマだったら。

7.09.2014

[log] July 9 2014

8日の水曜日の朝、ルクセンブルクからベルギーのブリュッセルに電車で向かっているなう。
緑の原っぱの上をおいしそうないろんな牛とか強そうな馬とか匂いそうな羊とかがびゅんびゅん飛び去っていく。

ルクセンブルクは悲しいことにずうっと雨で、ホテルは町の中心部ではなくなんでか山のなかだったので本屋もレコード屋も映画館も関係ないまま(だからぁ.. 以下略)、夕食のときに町に出て小雨のなか30分くらい歩きまわった程度、で終ってしまった。 本屋を見つけたので飛びこんでみたがほとんどがフランス語のだったので諦め。

広場のある町のまんなか(たぶん)はもろヨーロッパのかんじ(... 安易)でよいなあー、だった。
これで天気さえよければねえ。 ホテルのある森のほうは、車で進んでいくだけでヨーロッパの森だあ、とそれだけでなんか盛りあがる。 道端で車が燃えていたり暗い樹の影からあたまのおかしい男が出てきたり、といった映像が浮かんでは消えていったのは、どっかのなんかの映画のせいだろうか。

なので、食事がおわってホテルに9時すぎに戻ってもすることなくて、ふてくされて横になったら落ちてて、気がついたら朝の5時、

電車もなんかよいねえ。もろ「世界の車窓から」ふうなんだけど。
ブリュッセル(2回目、たしか15年ぶりくらい)にはなにがあるのだらう。
“From Brussels with Love”のクレプスキュールくらいよね。 でも仕事だからね。

(Wifiが繋がらなかった。 もうブリュッセルついた。ここも雨だわ)

7.08.2014

[log] July 8 2014

いまは8日、火曜日の朝7時のロンドンで、ヒースローのBAのラウンジで、ここからルクセンブルク大公国に向かうの。 WilliamsburgじゃなくてLuxemburgなの。行ったことない国。 そんなところでいったいなにをしようというのか、こっちが聞きたいくらいだが、仕事なんだよ。たぶん。

6日の午後、ロンドンに着陸したのは13:10くらい、とってもよい陽気で、ホテルに入れたのは15:20くらい。 そこからV&A行って、Foyles行って、Rough Trade行って、PoppiesでFish & Chips食べて、映画いっぽんみた。だいたいいつものお決まり。 7日は仕事の隙間にNational Gallery行って、会社のお食事の後、夜中に映画いっぽんみた。

突然夕立に降られたり、タクシーが動かなかったりバスが来なかったり、映画の時間割まちがったり(いつものこと)、なんでこんなときにー(泣)、はいっぱいあったものの、短時間で行こうと思っていたところは、とりあえず行けた。 日曜日の閉店時間18:00、ていうのはなんとかならないものか。 

行きの飛行機はBAで、見てない英国映画がいっぱいあって嬉しくてはしゃいでしまい、でも寝ないといけなかったので、見れたのは3本だけ。 そのうち書きます。

ルクセンブルクにはいったい何があるのか。 (待っているのは仕事だ、おちつけ)
本屋とレコード屋と映画館は、探せばきっとあるのだろうが滞在いちにちじゃ無理だよね。

ではまた。 しかしまだ火曜日なのか。

7.05.2014

[log] July 6 2014

せっかくのひさびさのすてきなお天気なのにあれこれあって1時間しか寝てなくてしかもそのたった1時間で寝挫いて首が回らずほんとさいてーなのだが、とりあえず羽田にきてこれからロンドンにむかうの。
ロンドンでふた泊したあと欧州大陸に渡り、ちょこちょこ移動した後いきなりシアトルに横っとびして西まわりで次の日曜の夕方に戻ってくるの。 お仕事なんだよ。 たぶん。

こんどは(いっつもだよ..)団体行動だし小刻みな移動だらけなので自由になりそうなのはこれから向かう午後のロンドンくらいしかない(ああかみさま..)。 そこに全神経を集中させたいところなのだか、はしゃいで買いものしすぎるとそのあとの移動が面倒になるよねえ。レコ袋抱えて引っかかったり重量オーバーしたりしたら恥ずかしいよねえ。 でも新装開店したFoylesは行かなきゃいけないし、しばらく御無沙汰だったRough Tradeだって無視したら失礼というものよね。

時間がないので美術館関係はがんばってもV&Aくらい。 ああでもでも、National Portrait GalleryのVirginia WoolfとTate BritainのKenneth Clarkがだんだん行きたくなってきた。 O2アリーナのMonty Pythonが昨晩までだったのはよかったのかわるかったのか。

とりあえず飛行機のなかは寝て(もういっかいいう、寝て。)向こうで思いっきり走り回れるようにしておくこと。 

では。 よい日曜日となりますように。

[film] Edge of Tomorrow (2014)

低気圧じごくはつづく。 4日、金曜日の晩に六本木でみました。ほんとは日仏で「侵入者」見たかったのに。

“All You Need is Kill”は邦題なのだった。原作のまんが(? 読んでない)がそうなのだと。
アメリカじゃこのタイトルでは当たらないだろうしねえ。

そんな遠くない近未来で、またしても地球はどっかから現れた未知のエイリアン(クモヒトデのお化けみたいなの)にやられてて、やられっぱなしで、ドイツがやられてフランスがやられて、次は英国、というときに、米国のメディア担当将校Cage (Tom Cruise)が意地悪されて突然前線(ノルマンディ?)に送りだされてしまう。 軍人じゃないのに戦闘スーツを着せられ、安全装置の外しかたも知らなくて見よう見まねでとりあえず目の前に現れたやつを倒すのだが結局やられてしまう - - となんでか、部隊に配属された前日に戻ってしまうの。

で、同じこと - 素人が前線に行って闘うけど殺される - が繰り返されるのだが、その繰り返しのなかで出会ったRita (Emily Blunt)に戻ったら自分を探せ、て言われて探しだしてみたらRitaも同じ経験をしていて彼女からいろいろ教わったり訓練したりしてなんとかしよう、てがんばるの。

要は最初の戦闘で自分が倒したやつが時間をなんとかする能力を持っていて、その返り血を浴びてしまったCageに(自分の死をなかったことにできる地点に戻す)ループ能力がついてしまったのだと。そのループを止めるには敵の、イソギンチャクのお化けみたいな親玉をやっつけるしかないの。あと、輸血されるとその能力はなくなっちゃうから注意してね。

えー、こういう過去未来を行ったり来たりするのってあたまこんがらかるのであまり深く考えないようにしているのだが、身体は粉砕されて前日にリセットされても記憶だけは残って蓄積されていく、ていうのがよくわかんなかった。 そういうループ設定てありなの? あるもんなの?(...しるか)

ただ、ノルマンディーという近代史の転換地点を境に果てしなく反復される歴史と蓄積されていく知識、向上していく能力、ていう構図はよくもわるくもおもしろいかも、て思った。知恵や知識はリセットされないで残るのだ(→ 英雄伝説)、ていう設定ってポジティブだ(おめでたい)よねえ。

でもよくよく考えてみれば、毎日職場で殺されて翌日また起きあがって同じ職場に通う、って今の日常とたいして変わんないかも。 だからがんばれっていうこと?  やなこった。

あとはまあ、Tom Cruiseて、ほんとにえらい。”Oblivion”で何千という自分のクローン見たって、今作で何百回も同じ時間と修羅場を繰り返すことになったって、それが自分の仕事なのだやるしかないのだ、って前向きに前進していく。 自分だったらとっとと他人の血輸血してもらってこんなループ止めて周囲を呪いながら消えてしまうはず。

さて、こんなことして遊んでるばあいでは。

[film] S21: The Khmer Rouge Killing Machine (2002)

もう、ここ数週間の低気圧は、Killing Machineとしかいいようがなくて土日もいちんち1本見るのが精一杯でしんでる。 29日の日曜日の昼、渋谷で見ました。

『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』- 『虐殺の記憶を超えて―リティ・パニュ監督特集』の一本。

“The Act of Killing”という映画の予告を見て内容を聞いて、それがみんなに「衝撃」と言わせてしまうなにかを抱えているのはなんとなくわかるのだが、カンボジアで起こった国家ぐるみの大虐殺行為をあまり知らないままに見てしまう(まだ見てないや、終っちゃった?)のはどうなのか、という気が少しだけしていて、そういうときにこれが上映されるのを知ったので。

クメール・ルージュの政治犯収容所「S21」- 一万数千の処刑と虐殺が行われ、生き残ったのは3人だけ、そこで生き残ったひとと暴行・虐待をしたひとを収容所跡地で対面させ、当事者達によって当時の「現場」を「再現」してみよう、という。

加害者側は当然のように「好きでやっていたわけではない、従わなかったら自分が殺されていた」と繰り返すのだが、だからと言ってBad Karmaが許されるわけではない、と自分の親にまで突き放されてしまうので泣きながら対面の場にやってくる。

被害者で生き残り側の画家のおじさんは、当時の情景を絵にして見せて、こうだったよな、とか言ってみるのだが、加害者側はそれを前にしても同様に「従わなかったら…」というだけで、当時の収容所での事実に関する証言は普通に出てくるし、見回りや監視の再現も澱みなくすらすら出来てしまうところがおそろしい。
つまり、すべては上から命令されたからやっただけで、その行為がなぜ、どうして悪いことだったのか、が現在に至っても明確に理解できていないらしい…

例えば加害者側がふつうに使う「敵」という言葉、でもこれって同じ国に住む、ぼくらの隣人だよね? 同様に死体をばらす際に使われる「粉砕」という言葉、これっていくらなんでも酷くない? とか言われてもなんだか噛みあわない、ここがこの映画の、明らかにされた地獄絵以上におそろしいところなのだと思った。 善悪の彼岸で行われてしまった虐殺と拷問、その行為の「善悪」について今に至るまで当事者の一部では整理がついていない、「悪」が悪として認知されていない、という事実が。

だから教育がだいじなんだよ、なんて綺麗ごとをいうつもりはなくて、今の日本の最悪さも結局のところここだよねえ、としみじみしてしまうのだった。 前の戦争をちっとも反省していない(反省する必要なんてなかった)連中の子孫が勝手にありもしないどこかに仮想敵を置いてふたたび戦争を、人殺しを夢見ている、んで、その暴走をわれわれは止めることができない。 くそったれ。

上が(集団が)そう命令したから人を殺した、この映画の能面つけたような旧看守達と同じように人を殺すのだね君たちは?  「敵」を「粉砕」するんじゃないよ、「人」を「殺す」んだよ。「自国の防衛」の裏にあるのは、ただの「戦争」でありただの「人殺し」なんだよ。 わかってるよね?

ほんとくそったれだわ、と低気圧頭痛が更にひどくなったのだが、映画のラストに出てくる「粉砕」された破片とそれを掬いあげる手、の映像を忘れないようにしよう。 同じ監督による「消えた画 クメール・ルージュの真実」も見にいこう。

7.01.2014

[film] Madame de... (1953)

気圧と天気のせいでぜんぜん外に出る気になれない今日この頃で、これだけはと起きだして出かけた。
フランス映画祭のサブ企画(どうみてもこっちのがメイン)の「女優たちのフランス映画史」。
「たそがれの女心」。

前にBFIで見たのと同じリストアされたバージョンだと思うが、とにかくこれは何十回見てもすんばらしい恋愛映画の名作なの。

Madame De… (Danielle Darrieux) は浪費がたたって金欠になり、結婚記念に夫の将軍(Charles Boyer)から贈られたイアリングを出入りの宝石商にうっぱらう。
で、夫にはそれを無くしたか盗られたかした、て言う。
もともとイアリングを将軍に売った宝石商は、これは一大事、と将軍にそれを言いつける。
将軍はそういうことか、と思いながらそのイアリングをまた買い戻して、自分の浮気相手の女への手切れに手渡す。
渡された女はコンスタンチノープルで、ばくちのかたに売ってしまう。
それを買ったのが男爵(Vittorio De Sica)。
男爵がMadame De... と知り合って仲良くなって、Madame De...にイアリングを贈る。
最初はつんつんしていたMadame De...も男爵を愛するようになり、そうなると厭わしかったイアリングがとっても大切なものになる。
妻の挙動とかリサイクルされたイアリングをみた将軍はあったまきて男爵に決闘を申し込む。

同じところを何度も何度も行ったり来たりぐるぐるまわり続ける、それが恋というもの、とか、生活の苦労がない金持ちはいいよな、とか、みんないろいろ言いたいことはあるだろう、けど、この映画に描かれた恋の儚さ、それゆえの美しさはとんでもなく別格だとおもう。

金策に困って売り飛ばすくらいどうでもよいものだったイアリングが叶わぬ恋の象徴のように輝き、同時にその恋(どうにもならない)はちゃらちゃら遊んでばかりだったMadame De…を絶望と消耗のなかに落っことしていく。 でもそうなればなるほど、Madame De...の透明でしっとりした美しさが際立ってきてすごい。  「近松物語」のおさんの最後みたいに。

その蜻蛉のリアルを演じきったドリューは、自身が宝石みたいに永遠になってしまったかのように美しいの。


上映後、ジャン=マルク・ラランヌさんによるレクチャーがあって、すんばらしく充実していた。

なぜ「女優」(男優ではなく)を通してフランス映画史を語ることが可能なのか、だってみんなそれぞれに唯一無二ですごいんだから、これを見てみ、とクリップを次々と並べていく。 
確かに。 異議なし。 フランス映画って、女優が際立つ映画のことを言うのね、ておもった。

テーマにあがった女優さんと出てきたクリップは以下の通り。

ダニエル・ダリューは「たそがれの女心」から2シーン(リストア前の日本版DVD画像、しょぼいったら)、(革命女)ブリジット・バルドーは「軽蔑」、(狂気女)イザベル・アジャーニはもちろん「アデル」、もうひとりの”イザベル” ユペール(不安女)は「ピアニスト」(ナイフぐさー)、(変貌女)マリオン・コティヤールは「インセプション」、(過去の記憶の総ざらい)レア・セドゥは「マリー・アントワネットに別れをつげて」、そして全てを代表して燦然と輝くカトリーヌ・ドヌーヴは「終電車」と、まだ公開されていない“Elle s'en va” (2013) -(ルーファスの”This Love Affair”がすてきに流れる)。

ビノシュは出てこないしビュル・オジェもいないし、とかいろいろあるのだろうが、これはこれでものすごい説得力だったの。 フランス女性おそるべし、でした。

そういえば、この特集で上映される”White Material” (2009) は、イザベルがかっこいいようー。


関係ないけど、月火、仕事でデモに行けなくてとってもがっかりだった。
とにかく今の首相と政権をどれだけ嫌っているか、しぬほど気持ちわるくて糞恥ずかしいと思っていることか、誰にも負けない自信がある。 あーむかつく。 ぜったい憶えてろよ。

昔、ブッシュ・ジュニアが再選されたとき、BAMの上映後のトークに出てきたジャームッシュが映画とはまったく関係ないのに怒りまくっていたことを思いだす。 突然「あの選挙はいんちきだ!!」て激昂していた。 それ見てあんなふうに怒ったっていいんだ、と思ったのだった。