今月の8日にThe PoguesのPhilip Chevronが亡くなって、もう"Thousands Are Sailing"を一緒に歌うことはできないんだなあ、としょんぼりしていたら、更に寂しくなるお知らせが届いた。
こんなに素敵な秋日和、Perfect Dayだというのに。
きっと今週のHalloweenに合わせたんだね("Halloween Parade")。
最後に姿を見たのは、2011年2月のThe Stoneで、Hal WillnerとPhilip Glassのデュオの観客としてだった(2列前にいた)。
たまにうとうとしてて、終わると立ちあがって喝采してた。
ライブで最後に見たのは、Bowery Ballroomでの"The Raven"のお披露目だったか。
NYにいると割といろんなとこに出没していて、一見すると変な服を着たおじいちゃん、だった(晩年はね)。
「ぼくはきみの鏡だ」("I'll be your mirror")と歌い、「ぼくは接着剤みたいに、きみにずっとずっとくっついていくよ」("I'm Sticking with you")と歌い、「きみが扉を締めちゃったら、ずっと夜のままになる」("After Hours")と歌い、「きみだけがぼくを繋ぎとめていてくれる」("Perfect Day")と歌った。
そんな彼は「大御所」でも「多大な影響を与えた」ひと、でもなかった。 彼の歌は常に鏡として朝も晩も自分の目の前にあり、"Sweet Jane"も"Rock & Roll"も"Walk on the Wild Side"も最高の鼻歌で、街中をスキップするときにあんなに軽やかに、爽快に鳴る音はなかった。
Bowieが欧州人の閉塞と悲愴感をもって一緒に心中しよう!と叫んだのに対し、彼はアメリカ人の軽さと人懐こさでいろんなところに我々を誘い、鏡の裏側を、扉の向こう側を見せてくれた。ちょっと苦い、窪んだ目に悪戯っぽい笑みを湛えて、そこに立っていてくれた。 それがWild Side - ドラッグだろうがSMだろうが退廃だろうが悪徳だろうが - にあったとしてもちっとも怖くないし、気にならなかった。 彼の詩には過去の偉大な文学作品と同様の真理を貫こうとする意志と光があり、題材はどうあれどこまでいってもパーソナルできわめて倫理的なものだった。
そして、ナイーブな詩の向こう側には、奈落の底から鳴り響く、アヴァンギャルドな音の雲への志向があり、ごりごりと強く硬くしなるギターアンサンブル(Robert QuineやMike Rathkeとのコンビネーションの凄まじさはもっときちんと評価されるべき)があった。
そういう世界を、欲望と愛が轟音をたててぶつかりあい、エクスタシーをもたらす何か、そういう強く深く震える音 - そこにリアルな世界まるごとが含まれるような音を - 彼は求め、そこにわれわれを誘導した。
Perfect Dayを過ごすきみとぼくがぶらさがっているしょうもない世界が抱える光と闇、そこに吹く風と熱とはこんなふうだよ、と教えてくれた。
彼がいま一番我々に聴かせたい音は、彼がいまいる場所で鳴っている音なのだとおもう。白い光と白い熱の溢れるところ。
すごく聴かせたがっているとおもうし、我々もそれをほんとうに聴きたい。 聴けないのがさびしいよう。
ご冥福をお祈りいたします。
10.28.2013
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