22日、日曜日の午前、渋谷でみました。 この日はごぜんがゾンビ、ごごがヴァンパイアだった。
(たぶんそうとうネタばれしている)
なんでかゾンビになって彷徨っている若者"R"(自分の名前も思いだせない)がお腹減らして外に出て、そしたらゾンビ退治にきた若者たちとぶつかって、餌食にした青年の脳みそを食べたら彼がつきあっていた彼女Julie - Teresa Palmerの記憶が体内に入ってきて(ヒトの脳みそを食べるとそういうことが起こる、という設定)、Julieを好きになって彼女を自分の巣(空港にいる飛行機のなかにある)に持ち帰って、逃げたら危険だから、とかいいつつ引き留めている。
彼女はそんなの嫌なので逃げようとするのだが、たどたどしくゾンビと会話したりしているうちに(どうもこいつはそんなに危険ではなさそう)だんだん彼に惹かれていって、でもゾンビってヒトじゃないし、こわいパパ(John Malkovich)にはどう説明するのよ、とかいろいろあって、でもそうしているうちにRの身体に変化が起こってくるの。
出会うはずのない、相容れるはずのないふたりの間で、記憶を共有したことから恋が始まり、始まった恋がそのひとを変えていく。 ゾンビものである、ということを取っ払ってしまえば、ごくふつーの恋愛の過程で起こることをふつーにポジティブに追っている、とも言える(こわいパパへの紹介なんかも)。 監督の前作 "50/50" (2011)も難病という衣を通しておなじことを言おうとしていたような。
たんじゅんにロミオとジュリエット(R&J)をやりたかったのかもしれないけど。
あと、シドニーからの帰りの機内でもういっかい見た"Oblivion"にも近いかも。
記憶を失っている主人公、アナログレコードに求めるなにか、そして何より、共有された記憶、思い出こそがすべて、それがあるのであれば相手はクローンだっていいんだ、という恋愛至上主義なところも。 まあ、どっちもロマンを求める男目線なのであるが、基本。
ただゾンビものとして見たばあいはどうなんでしょ。ヒトを好きになったりときめいたりすればヒトに戻れる、つまりヒトを食うか好きになるかの二択、をゾンビに求めるのはかえってかわいそうな気もするし、ふれあいなんてしたくないゾンビだっているだろうし、でもどうせならその辺の逡巡を出してもおもしろくなったかも、とか。
ヒトに戻れたり、噛まれないようにする(World War Z)という解決法をゾンビ映画に許してよいのかどうか、というテーマは別途(別途ってなんだよ)きちんと議論されるべきであろう。
アナログ好きのゾンビなので音楽は極めてまっとうでベタベタでよいの。 John Waiteの"Missing You"が流れるとことか。 そして最後に流れるのがThe Nationalで、The CureとThe WhoとThe Nationalで終わる映画はよい、とうことにしているので、文句ない。
9.28.2013
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