9.27.2013

[film] Man of Steel (2013)

21日、土曜日の午後に六本木で見ました。 もうぜんぜん時間ない状態で。

Christopher ReeveによるSupermanがその顔、タイトルデザイン、音楽(John Williams)も含めてものすごくパーフェクトなものだと思ってきたので、新しいのなんてべつにいらないんだけど、だったし、プロデューサーがChristopher Nolan、監督がZack Snyder  と聞いた時点でああこれはもうぼくらのスーパーマンではなくて現代におけるヒーローのありようを模索して真面目に苦しむ全身青タイツの男になっちゃうんだろうなー、と思って、まあほぼそのとおりだった。

クリプトン星の危機に伴って放出されて地球に落ちてきたカル・エルが地球人のパパママに育てられて大きくなるのだが、その過程で他人とは違っている自分の力とか資質、周囲には容易に受け入れられない自分に気づいて悩んで、それでも人類の危機に立ち向かうことを通して和解して、それによってヒーローとして覚醒して活躍する。 なんてうつくしいアップワードスパイラル、希望のS。

バットマンがいじいじ悩むのは勝手なのよ、ヒトの子だし、あんなの金持ちの道楽みたいなもんだし (まあそれでも十分、勝手に悩んでろ、だったけどさ)。
でも宇宙から落ちてきた来た子が地球人の親に育てられて地球の子の間で育ったからといって、おんなじように悩んだり、悩みを包んで同調しようとしたりするもんかしら、教育とか親の圧力とかって、そこまで宇宙や星や種を超えて強く効くもんなのか。

だからカル・エルが幼少期を振り返りつつ一歩一歩ポジティブに進んでいく前半はたるいのだが、まあ正義の味方が正義の味方になるために必要なプロセスなのかも、とっととやっちまえよ、とか思うんだけどね。 こういうプロセスを経るものだから後半はそれなりに働いてもらって当然よね、ていう親の目上司の目でつい見てしまいがち。

だからヒーローの活躍にどきどきはらはらして、うっそーとか言ったりする世界はないの。 これを見て興奮して風呂敷を首に巻いて箪笥の上とか木の上から飛びおりたくなるようなことはないの。スーパーマンは最初からスーパーではなくて、ロイス・レインがそう呼んだだけで、形容としてはあくまで"Man of Steel"なのね。 鉄の意志と鉄の身体をもってて壊れないオトコ。 地球を突き抜けることはあっても地球のまわりをぐるぐる逆回転したら時間が戻っちゃうようなすばらしいことは起こらないの。 そういう世界を期待したかったのだけど。

でも、3Dの効果と感触はすばらしくよくて、空を飛ぶところもAvatarなんかよかすごいし、喧嘩のときのぶつかりあいのどーん、べきばき、の肉に重くめりこむかんじは、Zack Snyderぽくマッチョしてて、いかった。


あと、Hans Zimmerの音楽もぴっちりタイツのようにはまって、攻めまくっていて気持ちよいこと。

ベン・アフレックのバットマンが登場するという"2"でもふたりでうじうじしていたらしょうちしないから。 ふたりで"Canteen Boy"みたいなことやってくれないかなあ。


で、これを見たあとで、ミニオンにもう一回会いたくなって、続けて"Despicable Me 2"を見ました。 ロンドンでは2Dだったが、こんどは3Dで。 ぴーひょろが手前にくるし、シャボン玉は浮いてるし、やっぱし楽しかったねえ。

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