9.29.2013

[film] Byzantium (2012)

22日のごご、"Warm Bodies"のあと、六本木に移動してみました。

Neil Jordanが女ヴァンパイアふたりのお話を、廃れた海辺のリゾート街を舞台に描く、それだけでじゅうぶん見る価値があるというもの。

これもどこまでバラさずに書けるんだか。

ヴァンパイアの女ふたり、Clara (Gemma Arterton)とEleanor (Saoirse Ronan)がいて、Claraのほうが強そうでやかましくて、Eleanorはひっそりとおとなしい。 冒頭でClaraが追ってきた男の首をちょんぎってふたりが逃げた先が海辺の街なの。 そこで彼らが滞在する先がかつてByzantiumというホテルだった建物で、金稼ぎのためClaraはそこで娼館をはじめて、Eleanorは学校にいったり海辺を彷徨ったりしていて、そうしながら語られていく彼らの関係と過去、街の人達との間の波風と、やがてやってくる追っ手と。

死ねないまま生き続ける苦しみを断つ、或いは潮が引くように生を彼岸に送りだす、死ぬことができないまま200年過ごしたEleanorがやっているのはそういうことで、Claraは自身も体を売ったりしながらその時々の快楽を供してお金を稼いでいる。 そしてEleanorは自分の物語を紙に書いてはちぎって捨てている。

"Let Me In" (2010)の Chloë Grace Moretzのように闇のなかに身を潜めることもなく、Twilight Sagaのように積極的に課外活動をすることもなく、Eleanorは病人や老人の間に幽霊のように寄り添って静かに彼らをリリースする。 彼らの記憶はEleanorのなかに流れ込んでいくのか、Eleanoirの顔は既に老人のようで、確かに200歳も生きて向こう側に行けない疲労感と寂しさがあって、それでも決して助けを求めない。どうなるとも思っていない。

どうなるとも思っていないもうひとりがClaraで、彼女は面倒になると相手を片付けて、やばくなったら別のところに逃げるだけ。 それはそれでかっこいいの。

こういう対照的なふたり、でも決して運命に抗わなかったふたりにやってくる追っ手のことは、書いたらつまんないので書きませんけど、ふうんー、だった。 そうかーそうなのかー、だった。
見事な女性映画でもあるのね。

追っ手のひとりであるDarvellを演じているのは"Control" (2007)でIan Curtisだった彼。
Claraを演じているのは"Hansel & Gretel: Witch Hunters" (2013)でWitch HunterのGretelだった彼女。 どっちにしても魔界に首をつっこんでいる。
でもなんといってもすごいのはSaoirse Ronanさんで、200歳のヴァンパイアである19歳の高校生、を見事に演じている。 彼女、本当にそうなんじゃないか。

脚本は"Jane Eyre" (2011)を書いたMoira Buffiniさんで、すばらしいねえ。

9.28.2013

[film] Warm Bodies (2013)

22日、日曜日の午前、渋谷でみました。 この日はごぜんがゾンビ、ごごがヴァンパイアだった。

(たぶんそうとうネタばれしている)

なんでかゾンビになって彷徨っている若者"R"(自分の名前も思いだせない)がお腹減らして外に出て、そしたらゾンビ退治にきた若者たちとぶつかって、餌食にした青年の脳みそを食べたら彼がつきあっていた彼女Julie - Teresa Palmerの記憶が体内に入ってきて(ヒトの脳みそを食べるとそういうことが起こる、という設定)、Julieを好きになって彼女を自分の巣(空港にいる飛行機のなかにある)に持ち帰って、逃げたら危険だから、とかいいつつ引き留めている。

彼女はそんなの嫌なので逃げようとするのだが、たどたどしくゾンビと会話したりしているうちに(どうもこいつはそんなに危険ではなさそう)だんだん彼に惹かれていって、でもゾンビってヒトじゃないし、こわいパパ(John Malkovich)にはどう説明するのよ、とかいろいろあって、でもそうしているうちにRの身体に変化が起こってくるの。

出会うはずのない、相容れるはずのないふたりの間で、記憶を共有したことから恋が始まり、始まった恋がそのひとを変えていく。 ゾンビものである、ということを取っ払ってしまえば、ごくふつーの恋愛の過程で起こることをふつーにポジティブに追っている、とも言える(こわいパパへの紹介なんかも)。 監督の前作 "50/50" (2011)も難病という衣を通しておなじことを言おうとしていたような。

たんじゅんにロミオとジュリエット(R&J)をやりたかったのかもしれないけど。

あと、シドニーからの帰りの機内でもういっかい見た"Oblivion"にも近いかも。
記憶を失っている主人公、アナログレコードに求めるなにか、そして何より、共有された記憶、思い出こそがすべて、それがあるのであれば相手はクローンだっていいんだ、という恋愛至上主義なところも。 まあ、どっちもロマンを求める男目線なのであるが、基本。

ただゾンビものとして見たばあいはどうなんでしょ。ヒトを好きになったりときめいたりすればヒトに戻れる、つまりヒトを食うか好きになるかの二択、をゾンビに求めるのはかえってかわいそうな気もするし、ふれあいなんてしたくないゾンビだっているだろうし、でもどうせならその辺の逡巡を出してもおもしろくなったかも、とか。

ヒトに戻れたり、噛まれないようにする(World War Z)という解決法をゾンビ映画に許してよいのかどうか、というテーマは別途(別途ってなんだよ)きちんと議論されるべきであろう。

アナログ好きのゾンビなので音楽は極めてまっとうでベタベタでよいの。 John Waiteの"Missing You"が流れるとことか。 そして最後に流れるのがThe Nationalで、The CureとThe WhoとThe Nationalで終わる映画はよい、とうことにしているので、文句ない。

9.27.2013

[film] Man of Steel (2013)

21日、土曜日の午後に六本木で見ました。 もうぜんぜん時間ない状態で。

Christopher ReeveによるSupermanがその顔、タイトルデザイン、音楽(John Williams)も含めてものすごくパーフェクトなものだと思ってきたので、新しいのなんてべつにいらないんだけど、だったし、プロデューサーがChristopher Nolan、監督がZack Snyder  と聞いた時点でああこれはもうぼくらのスーパーマンではなくて現代におけるヒーローのありようを模索して真面目に苦しむ全身青タイツの男になっちゃうんだろうなー、と思って、まあほぼそのとおりだった。

クリプトン星の危機に伴って放出されて地球に落ちてきたカル・エルが地球人のパパママに育てられて大きくなるのだが、その過程で他人とは違っている自分の力とか資質、周囲には容易に受け入れられない自分に気づいて悩んで、それでも人類の危機に立ち向かうことを通して和解して、それによってヒーローとして覚醒して活躍する。 なんてうつくしいアップワードスパイラル、希望のS。

バットマンがいじいじ悩むのは勝手なのよ、ヒトの子だし、あんなの金持ちの道楽みたいなもんだし (まあそれでも十分、勝手に悩んでろ、だったけどさ)。
でも宇宙から落ちてきた来た子が地球人の親に育てられて地球の子の間で育ったからといって、おんなじように悩んだり、悩みを包んで同調しようとしたりするもんかしら、教育とか親の圧力とかって、そこまで宇宙や星や種を超えて強く効くもんなのか。

だからカル・エルが幼少期を振り返りつつ一歩一歩ポジティブに進んでいく前半はたるいのだが、まあ正義の味方が正義の味方になるために必要なプロセスなのかも、とっととやっちまえよ、とか思うんだけどね。 こういうプロセスを経るものだから後半はそれなりに働いてもらって当然よね、ていう親の目上司の目でつい見てしまいがち。

だからヒーローの活躍にどきどきはらはらして、うっそーとか言ったりする世界はないの。 これを見て興奮して風呂敷を首に巻いて箪笥の上とか木の上から飛びおりたくなるようなことはないの。スーパーマンは最初からスーパーではなくて、ロイス・レインがそう呼んだだけで、形容としてはあくまで"Man of Steel"なのね。 鉄の意志と鉄の身体をもってて壊れないオトコ。 地球を突き抜けることはあっても地球のまわりをぐるぐる逆回転したら時間が戻っちゃうようなすばらしいことは起こらないの。 そういう世界を期待したかったのだけど。

でも、3Dの効果と感触はすばらしくよくて、空を飛ぶところもAvatarなんかよかすごいし、喧嘩のときのぶつかりあいのどーん、べきばき、の肉に重くめりこむかんじは、Zack Snyderぽくマッチョしてて、いかった。


あと、Hans Zimmerの音楽もぴっちりタイツのようにはまって、攻めまくっていて気持ちよいこと。

ベン・アフレックのバットマンが登場するという"2"でもふたりでうじうじしていたらしょうちしないから。 ふたりで"Canteen Boy"みたいなことやってくれないかなあ。


で、これを見たあとで、ミニオンにもう一回会いたくなって、続けて"Despicable Me 2"を見ました。 ロンドンでは2Dだったが、こんどは3Dで。 ぴーひょろが手前にくるし、シャボン玉は浮いてるし、やっぱし楽しかったねえ。

[film] The Wolverine (2013)

戻ってきました。 溜まっていたのをなんとかしないと。

20日の金曜日の晩、六本木で見ました。

これのひとつ前の"X-Men Origins: Wolverine" (2009)の続き、ではなく、時系列でいうと"X-Men: The Last Stand" (2006)から繋がるお話しだった。
最期の戦いのあと、Jean Greyの幻影というか亡霊に悩まされている(こっちに来て、と言われている)Loganが日本に連れていかれて、長崎の原爆投下の直後に助けてあげた日本人から取引をしたいと言われる。 死にかけているその老人は戦後大企業を立ちあげて富も権力もヤクザも思いのままで、うさんくささを感じたLoganは断って、そしたら老人は死んじゃって、その葬儀に出たところで騒動に巻き込まれて、老人の孫で財産を継ぐ予定のマリコさまと一緒に東京とか長崎とか各地を逃げることになるの。

老人の家に泊まった際にLoganは体内になんかを仕込まれて、ミュータントの治癒能力を奪われて、マリコさまを嫉妬して追ってくる父(真田広之)とかマリコさまを守る忍者とかあれこれあって大変で、最後にはお城でロボット対決になるのでびっくりする。

このシリーズのテーマのひとつともいえる時代を超えて不死の身体を持ってしまったミュータントの死生観、をサムライのそれにぶつけてみる、それをストーリーとして浮きあがらせるために日本の伝統的なお家騒動と、これまた日本の伝統的な原爆問題 ~ ぜんぜん反省しない日本のバカ老人共にまで拡げてみせる。

この風呂敷の的確さとでっかさの前には日本の描写や会話が変だとか展開がトンデモだとかそんなのどうでもいいわ。
そういう国のそういう文化としてガイジンさん達はこっちを見ているんだって教えてくれているんだよ。 ありがてえじゃねえか。

殺陣とかとっくみあいとかも、ワイヤーを使わない接近戦の刺しあい殴りあいがすばらしいのと、その反対に新幹線の屋上でのびゅんびゅんした横流れの喧嘩とか、お城の手前で忍者がLoganの背中に紐つき矢をびゅんびゅん突きたててひっ捕らえられるところとか、遠くから捉えられた虫とか鳥みたいな動きがすごくて痺れる。

この映画に関しては、Wolverineの死にたい願望の克服とかそれを乗り越えた強さとかよりも、彼が向きあったじじいの業のどす黒さしょうもなさのほうがより印象に残って、これはこれでよかったのかもしれない。 いまだに原発は必要なのじゃ、ってだだを捏ね続けている老人たちはこういう連中で、こいつらを黙らせるにはWolverineを連れてこなければいけないのか、と。

James Mangold的には、"Kate & Leopold" (2001)の流れに置いてみるのもありかもしれない。 現代の生活に疲れていたMeg Ryanのところに18世紀の貴族 - Hugh Jackmanが現れたように、マリコさまのところに祖父の時代からWolverineがやってきてなにかを変えてくれたお話し、という。

あと、冒頭のロボットみたいなクマとエンディングのロボットは対になっているのよね、きっと。

9.26.2013

[log] September 27 2013

昨晩メルボルンからシドニーに移動して空港前のホテルに3時間泊まって、さっきシドニーの空港にきました。 空港前でよかった。 これで車に乗ったらまちがいなく...

それにしても、カンタスのFirstのラウンジは気合いたっぷりですごい。 カンガルー放牧できるくらい。

今回はほとんど仕事しかしなかったのだが、ほんとは初日に1本見たりしたのだが、最終日に少しがんばったのでそのへんを書いてみよう。

最終日は、なにがなんでも3時くらいに終わらせるんだから、とがんばって、無理やり終わらせて、ホテルに戻って着替えて3:30にタクシーつかまえて動物園に行った。

入口に着いたのが4時くらい、お日さまはかんかんだったのだが風が強くて、チケット買おうとしたら、「風が強いのでカンガルーは見れないけどいい?」 ...ありえない、風に弱いカンガルーなんて聞いたことない。 「ウォンバットは?(泣きそう)」 「ウォンバットもおなじく...」 「コアラは?」 「コアラはだいじょうぶかも」 「カモノハシ(Platypus)は?」 「やってる」 「4:30で閉めちゃうけど、それでも見る?」 「いい。はしるから(涙目)」  と地図もらってコアラを目指して走ったのだが、コアラのとこはもう閉まっていて、その反対側でキリンがぶんぶん首を揺らしているだけで、柵のとこにいた孔雀に威嚇された。 そこからミーアキャットみてカモノハシみて、ゾウガメはいなくて、爬虫類みてカエルみて、隙間からペリカンみて、遠くにいるライオンみて、トラもゾウも見れなくて、クマは遠いから諦めて、キーキー言いながらじゃれあっているカワウソみて、その時点で5時近かったがだれもなにも言ってこなかった。 かなしかったのでウォンバットの小さいぬいぐるみ買った。 園内にいろんな鳥がうろうろしてて七面鳥も放し飼いでたのしかったので、またぜったいくるから。 それまでに風につよいウォンバットを殖やしておいてほしい。

動物園を出てから帰りのことを一切考えていなかったことに気づいて、少しこまった。バスも電車も見当たらない。しばらく歩いていたらタクシーが来たので乗って、最初はホテルに戻るつもりだったのだが、運転手さんがよいひとぽかったので、メモしておいたレコード屋の住所を見せたらそんな遠くない、というので目的地を変更して行ってもらった。

レコード屋は、地図をまったく見ていないのでどのへんなのか見当もつかんのだが、Gertrude St. ていうとこにあって、NY Timesの"36 Hours in Melbourne"ていう昔の記事に出ていた"Northside Records"ていうとこで、自主レーベルを作ってFunk系の45回転をリリースしたりしていて、数は多くないけどセレクションはなかなか渋くて、買おうかどうしようか悩んだのがふたつあったのだが、ぎりぎりのところでとどまって店をでてしまった。

http://www.northsiderecords.com.au/

この通り沿いのお店がどこもなかなか素敵なふうだったので歩いてみたらレコード屋の反対側に"Books for Cooks"ていう料理本の新古書店があって(Notting Hillにも同名のお店があるけど、別みたい)、奥のほうまで古今東西の料理本とか雑誌(GatherもDiner Journalもあった)がざーっとあって、一瞬気が遠くなって、あと3時間くらいいたくなったが、諦めて雑誌3冊くらい買ってでた。 こんなに食べもの雑誌ばかり買ってどうするのか。

http://www.booksforcooks.com.au/

他にも、レコードと映画と本のお店とか、オーガニックの食材屋とか、いろいろあって住むならここだね、とおもった。 かんじとしてはシアトルに近いかも。申し分のない気候のシアトル。

んで、ホテルに戻ってから車で空港に行って、カンタスでシドニーに向かい、9時発の飛行機が1時間くらい遅れて、シドニーに着いたら11時過ぎてて、空港前のホテルだからあとは寝るだけ、と思ってたのにホテル着いたら入口にチェックインのとんでもない行列ができててあんぐり。 どっかの便がキャンセルになって客が押しよせたということらしいのだが、並んで並んで部屋に入れたのが1時半で、5時に起きて支度して、さっき空港にきた。 もうこんなのやめたい。


初日にみた映画は"Frances Ha"で、Almodóvarの"I'm So Excited!" とどっちにしようか悩んで、2回目だけど気分はFrancesだったので、こっちにした。

2回目のほうが、より痺れた。 "Modern Love"の疾走シーンはもちろん、特に最後の公演のあと、目を合わせてにーってするところとか、ほんとうにほんとうにほんとうに素敵なんだよ。

では、そろそろ。

9.25.2013

[log] September 24 2013 - Mel

24日の朝にシドニーに着いて、更に1時間半飛行機にのってメルボルンに着きました。

シドニーの空港にはToby's Estate Coffeeがあって、Williamsburgのはまだ行けていないのだが、Snail danishとミルクをたのんだ(コーヒー飲めよ)。 
Danishはちゃんと温めてくれて、これまでたべたDanishとは違ってみっしりしていた。 

行きの機内で見たのは1本だけ。

In Time (2011)
近未来、ヒトは25歳で歳をとるのが止まって、そこから一年生きられる分の時間を貰う。 それが腕にデジタルメーターとして刻印されてて、働くとその分時間を貰って、働かないとその分時間は消費されるし、コーヒー1杯も4分とか時間換算で買ったりしてて、数値がゼロになるとヒトは死ぬの。 100年分とかの時間を持っているひとがお金持ちで、住んでいるエリアもタイムゾーンで分かれいて、ヒトの時間を盗む泥棒がいて、時間を管理する警察もいる。 Justin Timberlakeがゲットーに住む労働者で、ある日命を救ってあげた金持ちから100年分の時間を貰って、その金持ちはその後すぐ自殺しちゃったものだから、彼が犯人として怪しまれるのだが、金持ちに復讐すべく金持ち地区に乗りこんでいって、そこにいた金持ちの御嬢さま(Amanda Seyfried)を誘拐して逃げるの。一緒に逃げて泥棒とかしているうちにAmanda Seyfriedも洗脳されてきて革命だ革命! てなってふたりで戦うの。 設定がちょっとマンガ的にめんどくさいのであんまし乗れないのだが、Amanda Seyfriedがどんどんビッチに変貌していくところはなかなかよいとおもった。 それくらい。

機内の設備は、いまのNY線、ロンドン線のやつより古いやつで、なんか懐かしかった。 コントローラーはこっちのでよかったよね、とか(まだいう)。
映画見たあとは日本の時間にあわせて普通のよい子として寝た。

メルボルンは暑くも寒くもなく、春のさわやかな陽気できもちよい。雲がとてもきれい。
古い建物がいっぱいあって、路面電車が走っていて、変な鳥がわんわん鳴いてる。

でも仕事がぱんぱんでぜんぜん外で遊べないのでわりとふてくされている。
同じ地面の上にカンガルーもウォンバットもカモノハシも暮らしているのに会いにいけないなんて。


しょうがないのでホテルのTVをつけているのだが、"Top 20 Forgotten Aussie Artists of the 80's"ていう番組をやってて、半ば唖然としつつ見ている。 ベースがごりごりいうファンク系が多いのだが、ここまでしらないバンドばっかしだとは ...


9.23.2013

[log] September 23 2013

昨日から低気圧頭痛がじんわり来ていてうんざりなのだが、なんとか成田に来て、これから赤目でシドニーに飛んで、朝にシドニーからメルボルンに移ってお仕事して、金曜日の夕方に戻ってくる。

オーストラリアは初めてで、これで五大陸制覇したじゃん、とか喜んでいいはずのネタなのに、なんかのらない。

なんとか気分をあげねば、ということで、NEXに乗ってからTot Taylorの"Australia"を(たぶん20年ぶりくらいに)聴いて、それから旅行(じゃないから出張だから)用に仕込んでおいたSplit Enzの"I Got You"とか聴いて、Flash & The Pan聴いて、The Triffids聴いて、どれもこれも何十年ぶりかであれこれたまんないのだが、いいよねえ 〜 以上の感想が浮かんでこなくて、これからオーストラリアいくぞー  - (奥のほうから)えいえいおー! - なかんじがやってこないのはどうしたものかしら。

やっぱし、カンガルーとウォンバットとカモノハシの国、変てこ動物の宝庫に行くのに彼らに会えないのがつまんないのだとおもう。 3日間のうち、30分だけでいいからウォンバットと遊ぶ時間をくれたらあとはなんでもやるんだけどなあー。 道端とかにいないかなー。

暇だったついでにオーストラリアのバンドの出どころを調べてみると、The Triffidsはパース、The Go-Betweensはブリスベンだし、Split Enz とThe Cleanはニュージーランドなのね。
AC/DCとかINXSとかメジャーなやつらはシドニー(でもSPKとかCrime & the City Solutionとかもシドニーだった)。 メルボルン出だと、The Birthday Party、Hunters & Collectors、Crowded House、Dead Can Danceあたり。 そういえば、こないだVinylでもリリースされた"The Birthday Party Live 81-82" がすばらしくよいの。 当時、このバンドのことを完全に誤解していたかも。

こんなていどで、メルボルンにはなにがあるのか、まったく調べていないの。
Time Out Melbourneのサイトがあったのでとりあえず見ているけど、なんだろ。
"Bowery to Williamsburg"ていうカフェがあったりするのだが、なんだろ。

雑誌Frankieが作られているのはクイーンズランドなのね。

レコード屋は...   むりだよねえ...
   

9.22.2013

[film] Amalka (197x -)

12日の木曜日の晩、ユーロスペースで見ました。「アマールカ」。
同じ時間、代官山でMichael Rotherをやっているのはわかっていながら、心身共にへろへろのどろどろに疲れきっていて、そんなじぶんにまけたのです。

70年代にチェコのTVでやっていたというよい子向けの「おやすみアニメ」だそうで、眠らせられるもんなら眠らしてみろや、と乗りこんでいった。

いち話7分のが13話ぶん。「ベルリン・アレクサンダー広場」よか少し短い程度よ。 楽勝よ。
「ベルリン...」において森が大きな意味を持っていたのと同じく、アマールカにおいても...(殴)

で、ものすごーく寝た。 さすがチェコ。 さすがおやすみアニメ。
どのお話も冒頭でお花がゆらゆらさらさら揺れるんです。それが催眠術になるのね。(いいわけ)

日本語のナレーションやめてオリジナルのチェコ語にして音楽のレベルもう少し下げたらもっともっとぐっすり眠れるよ。(ひらきなおり)

というわけで、だいだい各話の真ん中くらいに目が覚めて、そのときには各話の騒動とかトラブルはほぼ収束に向かおうとしていたので、書けるほどの内容は残っていないのだが、でもぜんぜんぱっとしないザリガニとか、どうしようもなく性悪なカッパとか、変なやつらばっかし相手にしないといけない森の精も大変だねえ、でもアマールカが森の片隅でこういう奴らをなんとかしてくれるから(こんな奴らの相手することにどんな意義があるのだろう?)われわれも安心して眠れるんだねえ、ぐうぐう。

各話毎に替わる音楽はぜんぶDavid - Bacharachの曲を日本人がカバーしたもので、オリジナルでもよかったかも。 それか無音でも。 ぐうぐう。

それにしても、3連休のかんじがぜんぜんしないのは。

[film] El Dorado (1963)

もうずいぶん前に思える7日の午後、アンスティチュ・フランセの『地中海映画祭 2013』、で見ました。 63年のイスラエル映画。こんなの、こういう企画でもないと見れないし。

見終わって、監督の名前がずっと引っかかっていてえーとえーと、て悩んで、このメナヘム・ゴランて80年代にヨーラム・グローバスと共にCannonフィルムを立ち上げ、スタローンやヴァンダムからゴダールの「リア王」、カサベテスの"Love Streams" (1984)までをプロデュースしたあのゴラン、かの"The Apple" (1980)を監督したゴラン…?、と思いあたって、うわあー、と。 2010年のLincoln Centerでこのひとのトークを聞いて、"The Apple"を見たときの衝撃はいまだに生々しいのだった。 (今年のカナザワ映画祭でやるべきだったよね。「スター・ファイター」やったのなら)

そのときに書いたやつはこのへん ↓
http://talkingunsound.blogspot.jp/2010/11/film-runaway-train-1985.html
http://talkingunsound.blogspot.jp/2010/11/film-apple-1980.html

で、これがかの"The Apple"を撮った(しつこい…)ゴランの監督デビュー作てある、と。
The Appleが上映された映画祭で客がどんどん途中で席を発っていくのを見て身投げしようと思ったというゴランがそのキャリアの最初に作った作品である、と。

裁判で立件されずに釈放され、地元のヤッファに戻ってきて真っ当に生きようとするベニーと、裁判を通じて彼と仲良くなった弁護士でいいとこのお嬢さんと、ヤッファでずっと彼を待っていた娼婦さんと、戻って来た彼を利用して再び儲けようとする地元のワルと、そこに絡んでくる警察と。
夜の闇と昼の光、上流階級と下層階級、都会テル・アヴィヴとさびれた海辺の町、海のむこう側とこちら側、昔の女と今の女、これら複数の線を交錯させつつムショ帰りの一匹狼ベニーの明日はどっちだ、をフィルム・ノワールふうに描いて、なかなかかっこよかった。
終始ぱんぱん鳴り続けるスネアの音とラスト、闇のなかの捕物を海の向こうからざーっと捉えるところの緊張感とか。

人物の行動とかいろんなのをとりあえず水と油として分別してしまう解りやすさが抱えこんでしまうB級感は、ここから20年後のCannonにもひょっとして引き継がれたのかもしれないが、マーケット的にいけそうなかんじがしないとこも同様で、このおじさんの映画は、この時点からやはりぜんぜん嫌いになれないことがわかった。

9.19.2013

[log] New Yorkそのた2 - September 2013

NYでの食べものあれこれのおはなしが長くなったのでわけました。

31日、土曜日の晩、久々にBlue Hillに行った。
ここは本当に好きで、革新的なことをやっているわけでも、うんとかっこいいわけでもなく、料理としてはトラディショナルなほうだと思うのだが、食材いっこいっこがみずみずしくおいしくて、それだけでおいしいもの食べた! という満足感にぞわぞわ襲われる。 寿司屋にちかいかんじなのかも。

いつもはアラカルトにするのだが、プリフィクスが、(1)青魚 →(2)ポーチドエッグ →(3)バークシャー豚 →(4)いちご →(5)あんず、という麻雀のすごいやつ、みたいなふうにパーフェクトな並びだったのでそれにした。 外れるわけがなくて、とっても満足した。

Stone Barnsのほう、昼の農場(はもう行った)じゃない夜のレストランのほうも、いつか行く。

1日の晩は、"20 Feet from Stardom"のあと、10時くらいに行った。 
McNally Jackson Booksのすぐ裏手にあるTorrisi Italian Specialties。

日替わりのプリフィクス($80)のみ。 前菜4品、パスタ(ふたつのうちひとつを選ぶ)、メイン(ふたつのうちひとつを)、デザート(おなじく)。

前菜は、Mozz、Tomato、Tuna、Red Wattle Pork、て書いてあるだけ。
"Mozz"は、あったかいオリーブオイル汁のなかにほかほかまんまるのモッツアレラがぷかーって浮いているだけなの。 温泉玉子みたいに。
これまでこういう、白くてやわらかくてまんまるっこいいろんな食べもののを死ぬほど口に運んできたもんじゃが、これに勝る衝撃はなかった。(あ、でも前ateraの白球でも大騒ぎしたかも)
チーズ、というよか、ミルク球、で噛んでも転がしても飲みこんでもなにやってもミルク宇宙の向こうに抜けてしまう、底なしのほわほわのしょうげき。
"Tomato"は、タルトパイのなかが全部濃厚なトマトで、それがミルフィーユみたいにみっしり積んであって、これもトマト、としか言いようがない。
"Tuna"は青とうがらし汁のスープに赤身が浮かんでいる ...

ぜんぶがぜんぶこんな調子で、このあとのパスタのあさりのリングイネも、メインのDevil's Chickenも、デザートの山羊レアチーズケーキも、なんだよこれ? みたいにおいしいのだった。

NYのイタリアンて、これまで、Mario Batali系の、これでもかのこてこてイタリアン、か、どこまでも素朴なおかあさんの味でしみじみ泣けるSara Jenkins(Porsena)かどっちかだとおもってきたが、ここのは、そのどちらとも違う、これでもイタリアンですけどなにか? というかんじで、おいしいからなんもいえない。
こういうのを味わうと、日本のイタリアンて、悪くはないけどしみじみ弱いよねえ、とおもうの。

こないだここ、プリフィクスの値段をちょっとあげて構成を変える、という発表があったので、また行かねば。

2日の晩、John Zornに並ぶ前に、Mission Chinese Foodに行った。

LESのどちらかというとおしゃれな区画にあって、でも外観は元の店がそうだったのか、典型的なTake Out付のFast Food Chineseで、店のなかもそんなかんじで狭いしごちゃごちゃだし、これだけだとなんでそんな人気があるのかちっともわからないー。

メニューのかんじも、そこらの安い中華とおんなしふうで、でも値段はちょっとだけ高めで、ただメニュー一行一行見ていくと相当へんで、どれもあれこれ食べたくなる。

そんなにお腹へってなかったので頼んだのは3品だけ。

Beijing Vinegar Peanuts
半熟のふにゃふにゃしたピーナツがお酢(とぴりぴりしたなんか)のたれに浸かっているだけ。 ビールが飲めるひとにはたまんないはず。

Shaved Pork Berry  (EAT THIS WITH RICE!!)
メニュー上ではHot Appetizerのコーナーにあったのだが、Coldだけどいい? と言われて、OK! って言ったら来たのがこれ。
別に作り置きで冷たいわけじゃない。 豚バラ薄切りを辛辛黒黒のしょう油だれでソテーして冷やしたあと、その上にじゃりじゃりのざらめが振りかけてある。
じゃりじゃりぴりぴりじょわー → なにこれ? で最初はすごく不気味なのだが、止まらなくなるのがこわい。  豚好きには恐怖のひと皿。

Pok Pok Pig Tails
これはあったかいお皿。 
さて、「大きな森の小さな家」の冬支度のところに出てくる、じゅうじゅう音をたてて焼ける豚の尻尾を夢みて大人になったひとは少なくないと思うのだが、これが豚のしっぽだ! ついにこんなところでぶつかったぜ。
真っ黒に揚がっているそれは、特大のかりんとう、とか海鼠、とか、道端に落ちてる黒いやつとか、そういうかんじで、これもなにこれ? なのだが、齧ってみるとあーらびっくり、じゅうじゅう音をたてたあの豚の尻尾の肉汁がでろでろと溢れ、豚さんの尻尾にはこんなにも脂汁がつまっていたのかー、とおもった。 横に添えてある大根のピクルスもすばらしく、あんた何の料理よ? なのだった。

どのお皿も驚異的にわけわかんなくて、でもおいしいので、大人数でまた来なくては。

でも、ここの中華は、アメリカのFast Food系のChineseを知っているひとにはうおおおすげえ、てやたら興奮するのであるが、日本の丁寧かつ豪勢な中華料理になじんだ方にはどう映るのか、よくわかんないかも。 料理でいらん衝撃したくないひとには、あんま勧めないかも。

あと、Lafayetteでブランチもたべた。(Soft Scrambled Eggs vol-au-vent with chevre and leeks)
席がゆったりしてて見晴らしがよいので、わるくなかったかも。

あと、John Zornの帰り、The Stoneの近所(Ave. A)にできてたUnion Market - Brooklynのスーパーマーケット- に寄ってみた。
なんと、Bakedのブラウニーやクッキーがマンハッタンでも買える!  またくるべし。


ほかになんかなかったか。 たぶんでてくる。

[log] New Yorkそのた - September 2013

まだNY、のこりのあれこれ。

1日の昼間、展覧会で唯一行ったGuggenheimのJames Turrell展は、あんまなかったかも。

入口のフロアに寝っころがって見るやつが一番気持ちよくて素敵で、横にいたおねえさんが「あっ白くなってきた」とか「赤が入ってきた」とか「ねむくなってきた」とか、いちいちぶつぶつ実況してくれて、そっちのほうがおもしろかった。 あの建物を使ってなんかやる、となったらあれが限界なのかなあー、ともおもった。

階段をゆるゆる昇っていった先にあった"Iltar" (1976)、30分くらい並んで、とあったので並んでみたら50分くらいかかって、中にはいって10分くらいはがんばって念とか使ってみたもののGanzfeld effectだのKOAN(禅の公案ね)だの、期待していた効果はやってきてくれなくて(FT.comでもSalon.comでもみんなが"Failed"ていってた)、まだまだ修行がたらんということだったのね、と反省した。
でもこれなら、パイクの"TV Budda" (1974)とかのがわかりやすいよね。 わかりやすいからなんだ? って言われそうだけど。

Turrellに関していうと、新潟県十日町市のあの家の天井だか屋根だかの穴から見たやつ/穴を見たやつがいちばん感動したかも。

Guggenheimに行く途中、86thにできたFairway(スーパーマーケット)を見る。 元は西側にあって、かつてはここのローストチキンのためだけに西に渡ったりしていたのが、こんなところにできてしまった。 さらに、その並びにShake Shackまであって新しくハンドカットのフライを出している。  うううーむ(複雑...)、でした。


本・雑誌関係のあれこれ。

Cereal Magazineが米国でも扱われるようになってた。

The New York Review of Booksが50周年記念で1963年の創刊号のリプリントがおまけについてた。
創刊号に書いているのは、W.H. Auden、Susan Sontag(Simone Weilのエッセイ集の書評)、Norman Mailer、William Styron、Gore Vidal、などなど。 当時の広告もおもしろ。 25¢だったのね。

"My 1980s & Other Essays" by Wayne Koestenbaum.
読むじかんがーぜんぜんなあいー。

お料理本。 
Greenlight Bookstoreで買ったオランダのYvette van Bovenさんによる"Home Made Summer"。
写真とイラストがきれいでかわいくて料理がおいしそうだったので買う。 次はWinter篇を買おう。

http://yvettevanboven.com/books/

あと、NY timesのT MagazineのWomen's Fashion Issue。 Rooney Maraがかっこよいの。

レコード関係のあれこれ。 買ったのはほぼ新譜ばっかし。

Volcano Choirとか、Zola Jesusとか、Lloyd Coleとか。
あと、だれもが"I Love I Hate Music"とつぶやいているSuperchunkの新譜。 開き直ったように問答無用のSuperchunk節をやってる。

どういう事情かはしらぬが、置いてあったBeckの12inch2枚。
どちらもMamma Anderssonのカバー絵がすてきで、特に"I won't be long"のほうのExtended version(33回転)のほうがすばらしー。

WilliamsburgのAcademyはもう既に引越モードで、7inchの棚とかはカラで、でも猫はまだうろうろしてて、isisの"panopticon"のアナログ (しかもsealed)があったので、ひっつかんで買った。














同じくWilliamsburgの「耳あかレコード」も移転してた。 地価がひどいらしいねえ。

Time WarnerとCBSが契約でもめててホテルのケーブルではLate Showとか見られなかったのだが、最後の二日だけ、見れるようになった。
でも音楽のとこでは白目むいてしんでた。(Passion Pitだあ... とだけ遠くでおもった)


帰りの飛行機で見た映画は2本。 (9月になって番組が変わっていた)

The Internship (2013)

さえないぼんくら営業マンのふたり、Vince Vaughn & Owen Wilsonが会社が亡くなって失業して、Googleのインターンに応募してみたら受かっちゃって、優秀な学生たちと優良企業の間に旋風を巻き起こすの。

空気を読めないふたりのおやじがてきとーに傍若無人にふるまって、そのお返しにひどい目にあって、でも最後に開き直って大逆転する、といういつものあれで、レビューはいつものようにさいてーみたいだが、でも嫌いじゃない。 この二人であれば大抵のことは許すの。
でもなー、Google社がちゃっかり協力しちゃっているようなとこが、なんかやなのね。 どんな野蛮もどんなボケも自由自在にとりこめる懐の深さ、みたいなとこを見せつつ、みたいなとこがやらしい、とおもった。 実在の企業でそんなのありかよ。


The Hangover Part III (2013)

そういえば見てなかったので見る。 これも嫌いじゃないけど、レビューはあんましだった系、かも。
殆ど天才バカボンの世界だねえ。  前の1と2は結婚式からはじまる自業自得、の世界だったのに、こんどのはお葬式からはじまる巻込まれの世界になった、その分ちょっと弱くなったかも。 天才バカボンだからそんなには揺るがないんだけど、さ。
NINの"Hurt"が2回も流れる。 そしてそれがとってもよくはまるのでちょっと動揺する。 たしかにあれもHangoverの世界だったかも。

ここで一旦切ります。

9.16.2013

[music] John Zorn 60th Birthday Improv Night - Sep.02

ふたたびNYのはなしに戻る。

こないだのNYではライブはないと思っていたのだが、普段なら必ずチェックするThe Stoneを忘れていて、そしたら丁度Fred Frithさんがキュレーションをしているタイミングで、John ZornとのデュオとかLaurie Andersonさんとのデュオとかやっているのだった。 ばかばかばか。

9月はNYのアンダーグラウンド界ぜんぶJohn Zornの還暦祭りになっていてAnthology Film Archivesでは彼のセレクツ(しぶいー)やってるし、ライブもやるし、(le) poisson rougeでもライブやるし(Moonchildやる!)、Japan Societyでは教授とデュオやるし。

http://www.zornat60.com/

で、2日は彼のリアル誕生日でのThe Stoneだし、9月の他のイベントは参加できないので、せめて行っておめでとうくらいは言わなきゃ、と行ってみる。この人の音楽、音楽にかける情熱と、ここ、The Stoneという場所がなかったら、NYはいまよかぜんぜんつまんないものになっていたはずだ。
それにしても、TonicがなくなってThe Stoneが立ちあがった頃、こんなに続くとは誰も思っていなかったよね。ほんとうにえらい。

Stone BenefitのImprov Nightは定期的にやっているやつで、これまでも何回か来たことある。
8:00開演で$25。
The Stoneに最後に来たのって... 調べてみたら2011年の2月で、Fred FrithとLaurie Andersonのデュオだった(← 見てるじゃん)。

サイトにあったメンバーは以下。 でもぜんぶで14人いたし、Zeena Parkinsさんはいなかったし。

John Zorn (sax) Ikue Mori (electronics) Sylvie Courvoisier (piano) Cyro Baptista (percussion) Nava Dunkelman (percussion) Jeanie-Aprille Tang (electronics) Uri Gurvich (sax) Erik Friedlander (cello) Theresa Wong (cello) Zeena Parkins (harp) Gyan Riley (guitar) Chuck Bettis (electronics) and many special guests

Johnさんはいつものアーミーパンツで、でも上は赤いシャツ着てて、8時5分くらい前からサックス2本でさくさく始まる。そこから後は、いろんな組み合わせの3人から5人くらいの組(どういうルールでどうやって決めてるんだろ)がかわるがわる出てきて、5~10分くらいのセッションをやって次にパス。寄席みたいなかんじで、やかましいの、静かでねむくなるの、緊張感ばりばりの、いろいろある。 即興の果たし合いがすべて、なので奏者の気合いもそれなりにきんきんしてて、おもしろいったら。 難しい話しでもなんでもなく、音楽の可能性の深いこと底なしのこと、改めて何度でもどこまでも思い知らされてしまう。John Zornがこの場所でこのスタイルを続けているのもそういうことなのだろう。

最後のセッションは14人全員が10畳くらいのスペースにびっちりひしめき、一斉にどかどかじゃんじゃんわんわんやって、ヴィジュアルとしても物理的にも耳的にも圧迫感は相当なもの。
音楽に浸る、というより糠床のなかにずぶずぶ埋められてしまうかんじ。

終わったら9時半過ぎ、いつものことながらあっという間。

Happy Birthday, John !  でした。 またね! と。


台風の3連休は、日曜の夕方から月曜の夕方までずうっとアンストッパブルの仕事で缶詰で、台風関係なかった。ひさびさにやられたかんじ。 ちくしょうー

9.14.2013

[film] 共喰い (2013)

まだNYのが残っているのだが、台風が来る前にこっちを書いてしまおう。

8日の日曜日、ものすごく暗澹とした気分、スポーツなんか、人類なんかみんななくなっちゃえ、なかんじで新宿に行って、みました。 見てよかった。 晴れ晴れと爽やかな気分になって救われた。

最近の邦画をすみからすみまで嫌いになっている自分にとって、唯一待望のやつだった。(首長竜ですら見るのわすれた...)
理由はよくわからない。 けど、自分にとって青山真二の映画は、洋楽ばかり聴いていた80年にルースターズが横から刺さってきた、あのかんじと同じなのである。

原作は読んでいないです。

下関のあたり、河口付近で、潮の干満で水位が変わって、光散り具合も変わる、そういう町に住む17歳の男の子が昭和の最後の夏、実の母を含む女衆に寄ってたかって去勢されて大人になって、昭和天皇が死んで。 そんな青春映画、だった。

宣伝文句にあるようなおどろおどろした暴力を孕んだ暗さや渦巻きからは遠い、拍子抜けするくらい人々はみなじゃりじゃりからからしていて、それと対比して夏の匂い、河口の匂い、蝉や鳩の声、水面に反射する光、すさまじいどしゃぶりの強さと暗さ、それらが目の前にぎらぎらと迫ってくる。 よく知っている、浸ったことのあるどんづまりの夏。 そういう場面設定のなかで描かれるヒトの性と暴力は、動物の捕食、鰻の一閃みたいなもんで、どういったらよいのか、リアルだけど、ヒトがそこに求めるようなリアルがそこにはない、というか。 それを本性と呼ぶのであればあまりに動物っぽい、というか、動物なんだろ、というか。

主人公の遠馬(菅田将暉)には友達がいなくて、もう離縁している実母(田中裕子)と、父(光石研)と、父の後妻(篠原友希子)と、幼馴染の千種と、そこらのガキと、それくらいしか周りにヒトはいない。(あとはアパートのベランダにいる植物みたいな女と)。
遠馬は寝転がって読書はするけど、TVも見ない、映画も見ない、音楽も聴かない、友達とつるんでどこかに行くわけでもなく、千種と神輿蔵でセックスをするか、川に行って釣りをする(釣竿は2本)か、ひとりでふらふらするか、それくらいしかすることのない夏休み。  こいつのあたまのなかでは、間違いなく「恋をしようよ」ががんがん鳴っている。

セックスのときに暴力をふるう、ふるわないと気持ちよくなれない、という実の父。 彼を嫌悪しつつも同じような性癖を持っていることに気づいた遠馬が女たちに囲まれていろんなふうにぼこぼこにされる。 最後のほうなんてほんといい気味だった。 
それは遠馬だけではなく、父に対しても容赦ない。 蚊帳の向こうで性器を突き立てて吠えていた父が、おなじような金物の突起(義手)の一撃を腹に突きたてられて吠えて、倒れる(水面でくるっと回転する)。 そのイメージの強いことったら。 ゴヤの絵みたいな(たぶんそんなのないけど)。

田中裕子のお母さんがかっこよすぎる。 普段は枯れた風情でクールに魚とか捌いているのにコトが起こったとき、かちゃかちゃとたてる乾いた包丁の音、義手を抜くずぽっていう音と共にどしゃぶりが前面にやってきて、惨劇が起こる。  それは周到に準備された情念の復讐劇というより、魚を捌くように、鰻を仕留めるようにやっちゃうの。 それを遡って「あの人」(テンノー)のせいにしちゃうところも。

川縁の鷺、魚、田螺、縄跳びの縄、川の音、蝉の声、彼のなかで何かが終わった夏に再び現れてくるこれらの風景は、デジャヴでもノスタルジアでもなく、現在に喰いこんでくる楔として、不穏な予知夢として反復されていくに違いない。 "The 400 Blows"や"Quadrophenia"の最後に現れてくる海のように。 押して - 引いての干満を際限なく繰り返すばかりで決して抱きとめてはくれない河口のように。

彼のような昭和の少年の(これからの)物語が、「いつも繋がっていないとしんじゃう」最近のガキにどんなふうに適用しうるのか、少し考えてしまうのだが、お上のほうが思いっきし「昭和」を復活させたがっている今日この頃、どろどろの共喰い戦は続いていくのかもしれない。  これを見た今となっては、そんなの好きにやってろ、ないのだが。

あとは食べものだよね。 鰯だか鯵の丼はあんなふうに猫の餌みたいにほれ、って出されるものだったし、鰻の頭はオトナだけが得意そうに頬張るものだったし、昼間のそうめんはあんなふうに丸卓を囲んでいただくものだった。

音楽は、静かなアコギのアルペジオとホワイトノイズとして襲いかかってくる蝉や土砂降りの音がぎすぎすと攻防を続ける、そんなふうで、こっちも一筋縄ではいかないのだった。

というわけで、この映画だけは、大画面で浸って冠ってください。

9.13.2013

[film] The Spectacular Now (2013)

3日、NYの最後の晩、Aquagrillで牡蠣を1ダースざーっと浚ってから東に走り、Sunshine Landmarkで9:55の回のを見ました。 〆の1本はこれ以外に考えられなかった。
"Blue Jasmine"も見たかったけどようー。

"(500) Days of Summer" (2009)の脚本コンビ - Scott Neustadter & Michael Weberによる正調ラブコメとか、John Hughes !とか、なかなか評判になっている1本。

高校のシニアで、日々を楽しくてきとーに過ごしているSutter (Miles Teller)が、将来をちゃんと見据えて夢見るよいこのAimee (Shailene Woodley)と出会い、仲良くなって、こまこま喧嘩したり小別れしたりしながらもお互いを好きになっていく、それをきらきらした高校最後の風景のなかに描く、それだけと言えばそれだけの映画で、"(500) Days of Summer"にあった「彼女をモノにする」とか「彼女がいっちゃった... 」とか、そんなマイルストーンすらなく、緩やかな曲線を描いて恋愛のどまんなかに突っこんでいくふたりをなんの照れも衒いもなくとらえようとする。

Sutterはすごい美男子でもなにかに秀でているわけでもなく、昔のラブコメでいうとTom HanksとかJohn Cusackとかそっち系だし、Aimeeも同じく、キュートではあるがすごい美人さんでもなく、かといってかつてのMollyのようなごにょごにょした何かを抱えているわけでもない。
等身大、と呼ぶことすら微妙な、すでに半分おじさん顔おばさん顔のこのふたりの間に起こる化学反応を、男子目線で、しかもスラップスティックぬきでやる、それって結構冒険だと思うのになんでかうまくはまった。 なんでだろ? といまだにううむー、と思ってはいるのだが。

でも、いいかー、とか。 "The Descendants"でもすばらしかったShailene Woodleyさんは、ほんとに輝いていてすてきな娘さんでなんであんなとーへんぼくと ...  たしかにね、恋愛ってこういうもんかもね(遠目)、とか。

John Hughes、ていうのはどうかなあ。 確かにSutterの家族との確執(ダメ父)とか、自己嫌悪とか酔っ払いとか悩みながら学んでいく、ていうあたりはそうなのかもだけど、彼の映画にあったバカバカしくてつい笑っちゃう、ように突き放したとこがないのね。 そしてフェリスは、王子様はもうどこにもいない。フェリスがありえなくなった時代の若者たちの、ではあるのかもしれない。

John Hughesいうなら"The Perks of Being a Wallflower"のほうがまだそうだったかも。

音楽は落ち着いていてぜんぜん悪くなかったけど、知らないのばっかだった。
そういう時代なんですよ。 もう。

9.11.2013

[film] The Prodigal Son (1981)

2日の月曜日は、いちおうお休みとなった。 のであるが、映画ばっかり見ているわけにもいかないしお買いものだってしたい、のでこの日見たのはこれだけ。

"The Grandmaster"の公開と「燃えよドラゴン」40周年を記念して、BAMのCinematekで"Enter the Dragon + 5 Wing Chun Classics"ていうカンフー映画の小特集をやってて、ブルースリーの2本と、サモハンの2本、あと「少林寺」、なんかを上映している。 この日がメニューがこれで、Cinematekのtwitterによると"THE PRODIGAL SON is widely regarded as the most authentic #WingChun showcase in all of cinema"ということだったので、そうかそれなら見てみよう、となった。

日本のカンフー映画好き男子のガキっぽい煽りにはぜんぜんそそられない(←多分に偏見)のだが、アメリカのカンフーを見ているひとってほんとうに真面目に研究しているかんじがあって、彼らのお薦めには従って間違うことがないの。

お昼過ぎにWilliamsburgでレコード買って、Blue Bottleでコーヒーのんで、地下鉄のLとGを乗り継いでBAMまで出る。 これだけでスキップしたくなるくらいたのしい。

邦題は「ユン・ピョウ in ドラ息子カンフー」... 原題は「敗家仔」。

ユンピョウが金持ちのぼんぼんで、強いふりをしている裏では手下が喧嘩相手にお金渡して負けてもらったりしてて、そんなある日、どさまわりの京劇の女形につっかかっていったら逆にぼこぼこにされて、それ以来彼を師匠と仰いでついてまわるようになる。 師匠が命を狙われて喘息で死にそうになったとこを救いだし、師匠の兄(サモハン)宅に逃げこんで、そこで修行して特訓を受けて、やがて殺されてしまう師匠の仇をとるべく最後の敵と対決する。

ていう、ストーリーとしてはぼんくらの師弟愛と訓練による壁の突破 ~ 宿敵撃破、ていう王道で、コミカルな小芝居と残虐な描写が平然と横並びで共存してて、サモハンだなあ、さすがだなあ、なのだが、カンフーの絡みステップ、打突の強度は申し分ない。 "The Grandmaster"の動きなんか、これを微細にスタイリッシュに分解してわかりやすくしただけかも。  William Forsytheの舞踏(しかも彼の登場よか前)に匹敵する削ぎ落した強さがあって、なんだろこれ、の溜息ばっかし。

で、ユン・ピョウが最後に大見得切るところで、みんなわーわー大拍手した。

フィルムが結構ぼろぼろで、途中で切れちゃったりしたのだが、ぷつん、となった瞬間、客席にいたおばちゃんが広東語(たぶん)で野次とばして、そのタイミングがあまりにすばらしくかっこよかったので、みんなでおーって唸ったり、とても雰囲気よかった。 BAMのCinematekはいつもこんななのだけど。

外にでたらきらきらのお天気雨だった。 Greenlight Bookstoreをうろうろしてからマンハッタンに戻った。


12年かあ ...

9.10.2013

[film] 20 Feet from Stardom (2013)

1日の日曜日、"Short Term 12"のあと、2ndをだらだら上って、Village East Cinemaでみました。
まだやっていてくれてよかった。 ずっと見たかった、ロック/ポップスにおける女性のバックアップシンガーの音楽ドキュメンタリー。

監督は、ついこないだ亡くなられたJack Clementのドキュメンタリー "Shakespeare Was a Big George Jones Fan: 'Cowboy' Jack Clement's Home Movies" (2005) - これほんとにおもしろかったんだようー - をRobert Gordonさんと一緒に撮ったMorgan Neville。 

最初にBruce Springsteenさんが出てきてコメントして、"Stop Making Sense"からのフッテージに繋がる。
それからDarlene LoveさんとThe Blossomsのふたりが数年ぶりかで再会して、お互いわーわーハグしたと思ったらそのまま平気で"Da Doo Ron Ron"なんかを歌いだすの。まったく崩れないハーモニーとコーラスにあんぐり。 

わたしにとってDarlene Loveさんは神様とイコールで(ライブは90年代に一回みた)、そういう神様みたいな人たちが次から次へと現れて、彼女たちの現在と昔が並べられて、しかもそこには、少なくともその声には、なんのギャップもないの。そんなエピソードと証言、神としか思えないようなフッテージが次から次へと流れてくる。 Lisa FischerさんとかJudith Hillさんとか。

タイトルだけだとあと20ftでスターダムに届かなかった、ふうに読めないこともないのだが、どちらかというとスターダムの、ステージの上空20ftで音楽を見守っている天使のように見える。 みんなでっぷり、どっしりなので大仏かもしれないが。

あきれるエピソードもいっぱいで、"Gimmie Shelter"でぶきちれシャウトをぶちかましているMerry Claytonさんがあれを録ったとき、深夜に呼びだされてしかも身重で、しかも何テークもやらされて流産しちゃって、そんなのをMick Jaggarがへらへら証言していたりして、でも基本、StingもSpringsteenも、どんなミュージシャンも彼女たちのことは最大限にRespectしていてよいかんじなの。(唯一、Phil Spectorだけ極悪非道ふう)

そうだねえ、と感心したのは、いまのレコーディングって、ツール使って声を細かく調整しちゃうでしょ、でもほんとはちがうのよ、それをやるのがあたしたちの声であり仕事なのよ、って力強くいうところ。 しみじみ頷いてしまった。 なんにんかの女性ヴォーカルがDivaと呼ばれてシーンに出張るようになって以降、彼女たちの出番は減ってしまったかのようにも見えて、それって音楽のありかたそのものの変容とも関係しているように思えてならなくて、どうなんだろ? というのを少し考えている。

日本でぜったいやるべきだと思うけど、なんも期待しない。

9.08.2013

[film] Short Term 12 (2013)

日曜日、"Drinking Buddies"のあと、まだ時間があったので同じシアターで滑りこみで見ました。

今年のSXSW Film FestivalでAudience Awardをとった作品。
このフェスの受賞作品というと、あのすばらしい"The Myth of the American Sleepover" (2010)を思いだすが、この作品も同様の爽やかな印象を残す。

周囲に適応できない子供〜未成年たちを長期的に隔離・治療するのではなく、短期間預かって緩めに集団生活をさせている施設で働く20代のGrace(Brie Larson)の日々を描く。
同僚のMason (John Gallagher Jr.)は恋人でもあって、彼らはカウンセラーでも治療師でもなく、逃げ出そうとする子供を連れ戻したり、子供同士の小競りあいを収拾したり子供たちの傍にいて見守っているような役割なの。

隙があると脱走しようとする子、なにかとつんけんつっっかる子とか、当然のようにいろんな子達がいるなかで巻き起こる問題に大人たちが対応する、というよりも、同じような過去をもつ(ことが後で明らかになる)彼らが少しの時間差で並走していく、そのぎこちない走りっぷりを追う。 "Short Term"ていったいどこからどこまでをいうのだろう、とか。

新しく入所してきた自傷癖のあるゴス娘Jayden (Kaitlyn Dever)とGraceとのエピソードがよくて、引き取りにきた父親が虐待している疑いがあるからと連れ戻しに彼女の自宅まで乗りこんでいく、そのエモの激流が自転車をぶっとばして車のフロントガラスを叩きつぶす。かっこいいったら。

「がんばれ」とか「だいじょうぶ」とか「そばにいるから」とか、そういう目線の映画は目を逸らしてしまうのだが、これはそうではなかった。 GraceとJaydenのある夏の出会いと、その他あれこれのじたばたを。

Graceの目の強くてどっしりしていること。Brie Larsonさんて、"Scott Pilgrim vs. the World"とか"21 Jump Street"とかの軽めの役が多い気がしていたのに、こういうのもできるのかー、て。
すんばらしい強さ、Jodie Fosterになれるわ。

音楽(by Joel P. West)は既成曲を使わず、静かで穏やかなアコースティックで、夏の陽射しにとてもよく合っていて、これもいかった。



この国の政治、メディア、スポーツ界、なにもかも改めてだいっきらいになった。なにがめでたいのか、お祝いなのか、ぜっんぜん理解できないし理解したくもない。
7年間。 今年たくさん鳴いていた蝉が産んだ卵が孵って再び地上に出てくるまで。 彼らがちゃんと地上に出て来れるとよいね。
George W. Bushのいた、あのしんどかった8年間よりは短い。 でもこんどは自分ちのとこだからな、だんぜんしんどいわ。 

9.07.2013

[film] Drinking Buddies (2013)

1日の日曜日、GuggenheimでJames Turrellを見たあと、IFCで"Ain't Them Bodies Saints"を見ようと下に降りていったらびっくりSold Out、Plan Bで乗ってきたF Lineのホームに戻り、もう2駅先に行って昨日とおなじSunshine Landmarkで見ました。 もう予告は始まっていた。

Joe Swanbergはマンブルコア派の作家で、こないだ"Computer Chess"(もうどこでもやってなかった…)をリリースしたAndrew Bujalskiと並んで「もうごにょごにょ言わなくなった」てNY timesで言われていた。 ていうのはどうでもよくて、Anna Kendrickさんが出ているし、程度だったの。

Kate (Olivia Wilde)とLuke (Jake Johnson)はシカゴのビール醸造所の仕事仲間で、ビール屋だから朝から昼からビール飲みまくってバカばかりやっているのだが、お互いそれぞれに彼 - Chris (Ron Livingston)と彼女 - Jill (Anna Kendrick)がいて、4人で会ったりもしてて、じゃあみんな一緒に遠出でもしよう、と山奥にあるChrisの別荘にみんなで出かけるの。 みんなで遊ぶときと、眠れないひと同士とかハイキングに行きたいひと同士とか、いつものふたりではない組になる場面があって、そのときの微妙な波面が、あとでだんだん効いてきて、KateはChrisに別れようて言われてフリーになっちゃうの。

醸造所の広報をやっているKateの豪快でぱきぱきしたキャラも、ナイーブでくよくよしてばかりのJillもとってもありそうで、そんなキャラクターの描き方、それぞれの絡み、会話のノリと運び、ストーリーの転がり方、こういうのに関してはお手のもの、全く申し分なくてぜんぜんインディ出の作家のものとは思えない。
ただこういう作品の常として、んでそれがどうした? だからなんなの? になりがちで、このへんが評価の別れるあたりなのかもしれない。

そのへん、NY Times紙(by A.O.Scott)とNew Yorker誌(by David Denby)のレビューが対照的でおもしろかったかも。 ポスト・アップダイク的な批評性を見るNY Timesに対して、チェーホフをやれ!チェーホフが足らん!と煽るNew Yorkerと。

漫画でも小説でもテレビドラマでもなんでもいいけど、なんでみんなそんなに友達か恋人か、男女間に友情はあるのか、キスしたら友達じゃないのか、みたいな線に拘ってわーわー騒ぐのか、ぜんぜんわかんなくてけっ、とか吐き捨ててしまう自分としては、この映画のつーんと突き放したような空気はすがすがしくてよかったかも。 人間関係なんて、ぜんぶDrinking Buddiesで - 酔って楽しく騒いで、喧嘩したって翌日になったらけろっと忘れて元に戻ってる - でそれでいいじゃん、とか。

この題材をロメールだったらどう撮ったかなあ、とか少し思った。 まちがいなくエロくなっただろうけど、そういうとこじゃなくて。

9.06.2013

[film] In a World... (2013)

31日の土曜日、Moving Imageのあと、地下鉄をばらばら乗り継いで、Landmark Sunshineでみました。 木曜日から公開になったばかりの。

女優のLake Bellさんが脚本書いて、監督して製作して、主演もしている。  
あんた、どっから出てきたの?と思わず顔を見てしまいたくなる、めちゃくちゃおもしろくて素敵なラブコメ。

映画の予告編の冒頭、渋く、どっしりした"In a World..." (とか)から始まるナレーション、その声は、映画本編よりも多くの人の目と耳に触れて、その映画の印象を植えつける機能がある (そういえばそうね)。 最初にその業界の伝説だったDon LaFontaine (1940–2008)さんを紹介するフッテージがあって、Carol(Lake Bell)のパパ(Fred Melamed)もそんな映画の予告編ヴォイス業界にずっといる重鎮で、彼女もヴォイス・コーチのバイトをしながら予告編の仕事をもらうことを夢見て走りまわっている。

重鎮である父親はCarolのことも、彼女のやりたい仕事もわかっているふりをしつつみっしり抑圧をかけてきて、家を追いだされて姉のところにやられたり、姉は姉でいろいろあって、もちろん自分の恋だってどうするんだ、で、大変なの。 そのへんの家族内の、自虐もふくめたじたばたしたノリは"Tiny Furniture"のLena Dunhamを思い起こさせたりするのだが、あそこまでとんがったかんじはしなくて、ラブコメのきゅんとくる爽やかさが前に出てくる。

かといって、単純なキャリアと家族と恋と、みたいなちっちゃいところに落ち着いているわけでもない。
それはまさに"In a Workd..."という呪文と共に「世界」を支配するのは、掟をつくるのは誰か、という切実な問題、その声を反射し遮る壁とか、そういうでっかい問題がむこうに見える。

スタジオのエンジニア(Demetri Martin)とのぎこちないやりとり、特にカラオケとゲーセンで目一杯遊んだあとの彼との会話のとこなんて、キュートすぎて今年のベストなんとかをあげたくなるくらい、すばらしいー。 

Lake Bellさんは、最初からきらきら輝いているわけではなくて、2回目に目があったくらいからおや? って引きこまれていく、そんなタイプ。 ということを劇中、セレブ声優からナンパされたときに言われて、それと同じことが映画を見ている我々にもおこる。

おはなしは最後、ある映画の予告のナレーションの座をめぐって父親との勝負にまで転がっていって、結果は見えているんだけど、いいんだねえ。

音楽はSqueezeの"Out of Touch"とか、Haircut 100なんかがちらっと聴こえたりとかで、そんで最後に堂々と鳴り渡るTFFのあれなんて、うまいなー、てみんなで感心して、わーわー拍手がおこった。

で、シアターからでたところで、"In a World..."ってみんなで真似して声に出してた。 なかなかむずかしい。

"Austenland"見て、これ見ると、Nora Ephron以降とか、だいじょうぶかも、とか少しおもう。

それとあと、Cameron ...

[film] Born to Win (1971)

31日の土曜日はお昼過ぎまで仕事にやられ、その前の金曜日の晩も朝3時過ぎまでずっと仕事だったので、ホテルに戻って少し死んで、午後3時過ぎに鳥頭状態で立ちあがり、AstoriaのMuseum of Moving Imageに行って、みました。 

8月10日から"Fun City: New York in the Movies 1967?75"ていうNew Yorkの街を舞台にした映画の特集をやっていて、そのなかの一本。 この日は2時から"Taking Off" (1971) - 『パパ/ずれてるゥ!』をやっていて、5時からがこれ。 New Yorkを撮ったチェコの監督の一日、ということらしい。
他にも見たいのいっぱいあるねえ。

http://www.movingimage.us/films/2013/08/10/detail/fun-city-new-york-in-the-movies-196775/

Museum of Moving Imageはほんとに久しぶりで、一時期はメンバーで、ここに塾に通うみたいに通っていた。 でも建て替えをしてモダンな建物になってからは割と疎遠になっていた。 でも特集は相変わらずよいの。 7日から11月までは"The Complete Howard Hawks"なんてやっている。
常連のおじいさんとかまだ生きてて上映前のカフェにいたりするのだが、ここのモダンなインテリアからは完全に浮いていて、なかなかおもしろかった。

邦題は、『生き残るヤツ』 ...
George Segalが、おれはちゃんとやってるいかしてるだいじょうぶだ、と思いこんでTimes Square近辺でぷらぷら日々を過ごしているヤク中で、小犯罪をしたり運び屋をやったり警察とやりあったり、でも更生しようとはしなくて、明日はどっちだの日々が続いていて、そんな彼の腕に彫ってある刺青が"Born to Win"なの。

盗もうとした車の持ち主だったのがKaren Black(R.I.P.)さんで、そのまま彼と彼女のアパートに行って仲良くなって、彼女と冬の海に出かけてふたりでじゃれたりするところ - 彼女が歌をうたうところがすばらし - だけ、ほっこりなごんだりするのだが、それ以外はずーっと70年代のNew Yorkの冷たいかんじ(みんながみんな、そういうよね)が吹きっさらしで吹いてきて、その寒いかんじがすばらしくよい。

特にでっかい事件が起こったりするわけではなく、大抵通りと建物の中への出入りの、往復のなかですったもんだがあって、このしんどい終わらない状態が続くばかりで気持ちよいとは言えないのだが、そういう半端で落ち着かないところに浮いたようにして生きるひとたちがいた、ということ。

それにしても、この頃のGeorge Segalって、"Where's Poppa?"  (1970) にしても"The Owl and the Pussycat" (1970)にしても、どこまでもBorn to Winじゃない役柄を堂々とやっていて、これはこれでおもしろいなー、とおもった。

まだぴちぴちのRobert De Niroが警察の脇役で出ていて、それだけが話題みたいに言われがちの作品でもあるのだが、そんなことなくて、これはこれですばらしくよい街のスケッチではないか。

帰り、久々にAstoriaの近辺をふらふらしてみた。 ぺたんとした住宅街だし、あんま変わったかんじはしないのだが、よいの。 Brooklynもいいけど、この辺のひなびたかんじもいいなー、と思いつつ36 Aveの駅についたらManhattan boundがクローズしてて、慌てて反対側のホームからAstoria-Ditmars Boulevardまで一旦戻って出なおし。

このへんの、外してくるとこも変わっていないのだった。

9.04.2013

[log] September 4 2013

タクシーにげろげろに酔いつつJFKに着いて、まだ気持ちわるくて食べれる状態ではないのにチーズとクラッカーを確保して(なくなりゃしねえよ)、椅子にすわって胸に手をあてて深呼吸しているところ。
やはりセサミのクラッカーはもうないのかー

毎度のことながら慌ただしいばっかりで、なんもできなかった後悔のかんじのみがじわじわ広がってくる。 あれもあれもあれも見れていないし行けてないこんなことでよいのかこれからどうするんだ、などなどなど。

今回、雨には降られなかったものの、日本ほど暑くはなかったものの、湿気にやられた。
改めて自分がどれだけ湿気がきらいでだめなのか、ようくわかった。
帰国の日になってようやくからっとしたって遅いんだよ。

Cronut(9月はマスカルポーネといちぢく!)も、最初はえいえいおー! だったのに朝のもわっとした空気で萎えて、月火水とスキップして、次でいいかも、になってしまった。 よくない。

見た映画は8本 - 新しいの6本、古いの2本。
見ようと思っていたのに見れなかったのが2本、こいつらはそのうちなんとかしてやる。
あとは展覧会1、ライブ1。

食べもの関係は、割とあたりのほうだった、けど、Blue Ribbon Fried Chickenは時間があわなかったし、Shake ShackのUpper Eastのハンドカットのフライも食べてないし、おいしいアイスクリームも食べてないし、やっぱしとっても食いたりないかも。

水曜日(4日)の晩、"Hesitation Marks"を買いにいったら、Other MusicにもGeneration Recordsにも置いてなかった。
Williamsburgの街角にはふつーにポスター貼ってあったのになんで?













残りはだらだらとあげていきますー。