5.07.2013

[film] Lincoln (2012)

29日の晩に六本木でみました。
最初の3連休は、『愛よ人類と共にあれ』で始まって『Lincoln』で終わるという、人類愛に溢れかえるものとなった。 それがどうした、だけどさ。

これの完成前バージョンが昨年10月のNYFF、Secret Screeningで上映された直後にTwitter上で拡がったざわめきと興奮の渦はすごかった。
そこから日本での上映までに半年以上だよ。 それまでに批評家向けの試写は口封じでやっておいて、監督からの特別メッセージとかどうでもいい映像を小出しにしていく配給会社の小汚い手口にはしみじみと吐き気がした。 ばっかじゃねえのか。

待った甲斐があった、とは書かない。 むしろなんでこんなこじんまりとした作品をさっさと公開できないのか、ほんと理解に苦しむ。

奴隷制の撤廃のために必要となる憲法修正第13条の可決を南北戦争終結前にやる、やりたい、とするLincolnとその側近周囲敵方の駆け引きをじりじりと追う。 それは1票2票を争うぎりぎりの折衝で、このタイミングを逃したら次はない。 大勢は今無理やり通す必要はない、と思っている。

今ここで変えておかないと未来はない、とあらゆる手段 - 汚い手も含めて - とにかく票を集めて寄せて、歴史にあるとおり、修正案は通る。
エンドロールに出てくる膨大な資料だの博物館だの研究機関だのの数を見ても、ほぼ史実の通りと見てよいのだろう。
それがどうして通ったのか、Lincolnは通すことができたのか、明確な説明はない。 
Lincolnは修正を実現し奴隷制を撤廃した偉人、として認知されていて、映画のなかでもそのひょろっとして少し曲がった独特の後ろ姿、誰にでも声を掛けて話を聞くすてきなひと、としての魅力がしっかりと伝わってくる。

でも法案は、Lincolnがカリスマ性のあるすばらしいひと、偉人だから通ったのではなく、法案の内容が人類・人権にとって真に重要だったから通ったのでもなく、全ては事後、(今にして思えば)重要な修正を通したから、だからLincolnは偉人となった、という位置順番のはずだ。 それがなんでどうして、あれだけの抵抗勢力があったのに通ったのか、通せたのか。 これは映画とは別のはなしかもしれないが、なんだか気になってしょうがないの。

Lincolnが何度も執拗に連呼する"Now - Now - Now !"が示すとおり、これははっきりと今現在への呼びかけ、呼び覚ましを含んだものだとおもった。
今はどうなっているのか、今決めなければいけない、やらなければいけないことがあるとしたらそれはなんなのか、足元を見ろ、という強いメッセージがあるのだとおもった。
(この映画がオバマの時代に出てきた意味、というのも。 たぶん)
だからこそ、映画のなかのアメリカであの時なにが起こったのか、どうして通ったのか、は知っておきたい。
Lincolnて偉かったんだねえ、で終わってしまう映画にしておくのはとってももったいない。

だって、それがないと、今から100年後、911直後の混乱期に(例外状態として)アフガン~イラク攻撃に踏みきったブッシュ政権を正当化しうる目線の映画ができてしまってもおかしくないから。
それって断固あってはならないだろ、と思うわけ。 (Lincolnの時代のひともLincolnに対して同じことを思っていたのかもしれない、けどね)
映画にそこまで求めるのはちがうのかもしれないが、でもそこに横たわるであろう気持ちのわるいはらわたをずるずる引っぱり出せるのは考証論文でも批評でもなく、こういう映画だとおもうので。

映画は議会の表裏のやりとりの会話にひたすらフォーカスし、それを白と黒の濃淡のなかに浮びあがらせるような、地味といえば地味なつくりで、更にLincoln本人は会話のざわめきの背後にいて、いろんな脇の人たちが前線でわーわー言いあう。 なのでLincoln本人以外にもTommy Lee JonesとかJackie Earle HaleyとかJared Harrisとか、しぶいひとたちがいっぱい出てくる群像劇としても飽きないの。  とにかくおもしろいったら。


(そして、今の日本は最悪だった頃のブッシュ政権よか遥かにひどい)

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