21日の金曜の晩、何回目かのブラジル映画祭の東京の最終日の最後の作品。「MPB 1967」。
これだけは見ておきたかった。
1967年の10月、ブラジル音楽祭が行われた会場、それが全国に中継放映された1晩の、そのFootageと当時の出演者・関係者が語るあの晩、なにが起こったのか。
当時のブラジルはまだ独裁政権下で、音楽祭はスポンサーのTVレコードがいろんな利権もふくめ独占支配していた。
聴衆にはじゅうぶんうっぷんが溜まっていて、野次まみれで一色触発状態、演奏者側もそれはおなじで、ここで認められれば大スター、そうじゃなければたんなる素人。そのプレッシャーは尋常ではない。
そんななか、まだぴちぴちのEdu LoboとかChico Buarqueとか、Gilberto Gilとか、Caetano Velosoが登場し、例えば、ここでなにかしらの手ごたえを掴んだであろうGilとCaetanoは、レブロンの浜の一軒家で後にトロピカリズモと呼ばれるムーブメントを立ち上げることになるの。
原題の「1967年のひと晩」というのはこの晩のこのイベントがなかったら... というそれだけの話で、GilにしてもCaetanoにしても、彼らならこの晩がなかったとしてもじゅうぶんすばらしい音楽家になれたに決まっているのだが、でも、この晩の異常な熱気と圧力が彼らのなかに眠れるなにかを動かしてしまった、そんなかんじは十分にうかがえるのだった。
冒頭のEdu Loboのデュエットから尋常じゃない騒ぎっぷり(結局これが優勝した)にまずびっくりする。
ライブの雰囲気の騒々しさとしては、Bob Marleyの"Live!"の、あのかんじに近い。
音楽を聴く、というより驚いたりどよめいたり、ただならぬ事態に晒されつつも、はっきりとなにかが生まれ、動こうとしている、その臨場感。
Edu Loboの次のSérgio Ricardoは、とてつもないブーの嵐を前に最初はなんとかしようとがんばるが、最後には負けてギターを叩きつけて退場する。 残酷なのよ。
しばらく後で出てくるMPB4をバックにタキシードで歌うChico Buarqueもすばらしいが、なんといってもCaetanoでしょう。
若いころのMichael Jacksonみたいにひょろひょろで、でも素晴らしい笑顔で"Alegria, Alegria"をうたう。
歌い進むにつれて客がどよめき、野次モードだった彼らみんなに笑顔が伝染し、彼と一緒に歌いだしていくことがわかる。 奇跡が起こるその瞬間がはっきりと。
現在のCaetanoが当時を振り返りつつ、もうあれ以来あんま歌わないんだけど、と言いつつそばにあったギターを手にとって"Alegria, Alegria"歌ってくれるシーンがあるの。 その場にいたら卒倒しちゃうだろうな。
そしてこの後の、Os Mutantesをバックに歌うGilberto Gilもとんでもないことは言うまでもない。(これが2位になった)
こういうのを見ると、MPBのパフォーマーが、そのライブが、なんであんな絶対外れないのか、なに聴いても極楽なのか、その理由がわかるの。 こんだけの聴衆を前にして、彼らの耳と対決して、それを乗り越えてくるわけだからね。
強いよねえ。
というわけで、映画としてどう、というよか、おもしれー、すげー、とか呻いているうちに終ってしまったのだった。
10.27.2011
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