ワン・ビン特集。 続けて、12月に一般公開予定の『無言歌』。
制作はフランスのWild Bunch。
ドキュメンタリーではなくてフィクション。ただ、事件を告発した本と生存者の証言をベースに作ったということなので、実際に起こったことを再現したドラマ、と言ってよいのか。
反右派闘争の粛清で各地から集められてきた囚人が強制労働をする収容所でのおはなし。
場所はゴビ砂漠のはじっこで、仕事はよくわからん溝を掘るだけ。 なんの溝なのか見当もつかない。そんな原野で。
(ちなみに英語題は "The Ditch")
サバイバルゲームが繰りひろげられるどころか、ゲームにすらならない。 労働が終ると彼らは洞穴のようなねぐらに横になり、飢えとか病とかで朝になるとごろごろのまま死体として布団に巻かれて運びだされていく、それが毎日、何体も、そんな光景がえんえん続く。
人の吐瀉物を食べる、屍肉を食べる、というのも阿鼻叫喚の地獄絵、としてではなく、このごろごろ巻きの延長として淡々と描かれてしまう。
エモーショナルなとこは、新婚夫婦の夫のほうが収容所で病で亡くなったあとに奥さんが訪ねてきて、半狂乱になって大騒ぎして、砂漠のはじっこの、彼が埋まっている場所(死体捨て場)を探して、ぜんぶ堀りおこして、彼を骨にして連れて帰る、それくらい。 それですら、彼女がすごい顔で泣き叫ぶ声と砂嵐の音がわんわん追っかけっこをしているだけなの。
ひとりの老女がカメラに向かって3時間、ずーっと喋り続けるだけの『鳳鳴―中国の記憶』(2007)、あそこでも語られたひとつの事件が、おばあさんの声として語られることのなかった死者のそれも含めて反復される。 びうびう鳴り続ける風の音とともに。
なんとなく、ソクーロフの『ボヴァリー夫人』みたいなかんじもした。
終わりも、解放の明るいトーンは全くない。 今の収容者の健康状態がよくないのでリリースする、それだけで、でも管理する側の班長は残る。収容所もそのまま残るの。
で、風は吹いているの。
上映後のトークで出てきたワン・ビンさんは、そうだろうな、とイメージしていた通りのものすごく静かそうな、冬になったら穴に篭っていてもおかしくなさそうなかんじのひとだった。
トークでおもしろかったのは、柳下さんが、体面とか尊厳とか必要なものを全てそぎ落とされてしまった人間のあり姿を記録しようとしているように思える、と言ったら即座に、いや、歴史の記憶をきちんと撮りたいと思っているのです、と答えていたところ。
でもこれって同じようなことを言っているように思えたの。
歴史の記憶を形作るのは、全てを剥ぎとられてしまった人達の声とか、声にもならない震えとか、そういうものにほかならないのではないかと。
あと、彼の作った全ての作品は、これまで中国で一度も一本も上映されていないし、一度でも上映したら罰されてしまう、ということ。
でもその事実によって、正確にはその事実+ワン・ビンの作品に描かれた過酷な世界によって、今の中国のイメージはものすごくはっきりと定まってしまう気がする。 よくもわるくも。
そして、その彼に手を差しのべているのがフランスのWild Bunchとか、Pedro Costaである、というところが、なんかいいなあ。 アンダーグラウンド、地下活動、てかんじ。
10.20.2011
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