帰国したらしたで見ないといけないもんがそれなりにあるのだった。(仕事もね ...)
まず、TIFFのチケット前売りは、ふつーにわすれてた。 あ、と気づいたのは発売日の夜で、当然ほしいやつはぜんぶミスした。 別にいいかー。
渋谷の「鉄西区」も今回は(も)諦める。 体力ないときにはむりだし。
で、8日の土曜日に見ました。
GleeのTV版は、昨年のどさまわりの最中、火曜日の晩に宿に戻ってTVをつけるとよくやってて、いいなーとか思っているうちにふてくされて寝てしまう、というのを延々繰り返していたの。
なので、実は背景も登場人物もぜんぜんわかっていない。
でもみんななんか輝いてていいよねなんだろうねえ、って。
日本の学園モノはぜんぜん見る気にならないが、これならば、と思わせるなにかがあったのだろう。たぶん。
映画はコンサートのライブを3Dで映したもので、曲の合間にいろんなファンのひとのコメンタリーが入る。
Gleeはさいこー、Gleeが人生を変えてくれた、Gleeがなければしんでた、などなど。
こっちは、よい曲をきれいなコーラスで聴ければそれで幸せなので、ふーんと見ているだけなのだが、このファンのひとたちのポジティビティがそれを歌う連中、演奏される曲のそれぞれにまっすぐに繋がっていることがわかる。
ふつーじゃない自分を認めること、ひとと違っていてもいいんだ、とはっきり言えること。
このきらきらした明るさははっきりと自分の高校時代にはないものだった、なかったからいいなあ、というのともちょっと違う気がして。
上から降ってくるような、そこらにあるような価値観をとりあえず全部しらんぷりして無視を決めこむこと、ひとつの体系から流れてくるいろんなことをぜったい信じないこと。
だから"Don't Stop Believin'"というのはげろげろ以外のなにものでもなかった。
Neal SchonとJonathan Cainのぱおぱおぴろぴろしたおめでたい音はほんとにうんざりだった。
それがあんま悪く聴こえないのはなんでなのかなー、って。 (Steve Perryがいないから?)
たぶん、全否定の果てに見えてくるやさぐれた荒野と全肯定の果てに見えてくるばら色のなんかは同じようなドメインにあるなにか、なのかもしれない。 非暴力・不服従・役立たず。
とか、やけ起こして全肯定に向かわざるを得ないくらい今の若者たちは切羽詰ってしんどいところにいる、ということなのか。 しんどいよね。たぶん。
みんな歌も踊りもうまいなー、とかふんふんしつつ、そんなことを考えていたのだった。
でも、自分がいま高校生だったらあんなふうにわーわーときめくか、というとそれはたぶんぜったい、なかっただろう。 そこらへんはふくざつなのよね。
3Dのライブとしては、Foo Fightersの3Dのあれのようになめてんのか、みたいなやつではなかったが、そんな無理して3Dでなくてもよかったかも、程度。
Drumsを叩いてたのは、B-52'sにいたZachary Alfordさんでしたね。
10.15.2011
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