9月21日、土曜日の晩、Curzon Mayfairで見ました。英語題は“The Count of Monte Cristo”。原作はもちろんアレクサンドル・デュマの同名小説(1844)。
監督・脚本はMatthieu DelaporteとAlexandre de La Patellièreのふたり。このふたりは『三銃士』もやっているのね。
上映時間が2時間53分という長さなのでこんなの無理、って諦めていたのだが、結構長く上映されているところを見ると割と人気があるみたい。この回も20時過ぎからだったのに、近所に住んでいるっぽいおじいさんおばあさん達が、わーわー言いながら見ていた(お茶の間じゃないのでもう少し静かにしてね)。
今年のカンヌでコンペティション外作品として上映されている。
原作はおおむかしにたぶんダイジェスト版の『巌窟王』を読んだ – そんなの読んだとはいわない - 程度なのでどれくらい、の話はむり。
原作に忠実になのか、現代に即した超訳みたなのになっているのかは置いておいて、この日の4本目なのに眠くはならなくて、おもしろかった。
冒頭、燃えている船と海から脱出した船乗りのEdmond Dantès (Pierre Niney)がAngèleという若い女性を助けて、彼女から手紙のようなものを受けとり、それとは別に無事戻ってきたご褒美に船長に昇格されて、つきあっていたMercédès (Anaïs Demoustier)とも結婚まで行くのだが、結婚式の当日に手紙のせいで検事Villefort (Laurent Lafitte)に引ったてられよくわからない濡れ衣着せられて孤島の地下牢に幽閉されて10数年、もう死のうと思ったところで、壁に穴があいて隣の牢にいた太った男 (Pierfrancesco Favino) – あんま神父には見えない - と出会って、彼からいろんなことを、特にモンテ・クリスト島に隠された財宝も含めて – 教わり、生きる希望も湧いたので体を鍛えて、彼が亡くなった時に彼の亡骸にすり替わって島の外 - 海の上に捨てられ脱出することができて、モンテ・クリスト島までたどり着く。財宝を発見するところは、ややちょろくて、それだけ? になるけど。
こうして財宝の富により謎の男 – モンテ・クリスト伯爵に変身したEdmondが実家に戻ってみると、MercédèsはEdmondの横で坦々と彼女を狙っていたFernand (Bastien Bouillon)の妻になっているし、父は失意のなか亡くなっているし、これはもう復讐するしかないな、って検事とFernandとDanglars (Patrick Mille)の3人に狙いを定めて、こいつらのせいでひどい目にされた子供らを自分のところに寄せ、マスクで少し顔を変えて謎の富豪として社交界に出没するようになる。
彼の正体を巡るいろんな憶測やまさか.. がいり乱れ、その土台からしていかがわしい社交界に亀裂を走らせ、その亀裂めがけて復讐の狼煙が、という流れ。
復讐にすべてを賭けるのはよくない、って獄中で諭され、それはその通りと思うものの、あれだけの財力があって他にすることもない、子供たちは勝手に恋などに熱くなったりしている、となったら自分は一途に復讐に向かうしかないか - 片付けて次に向かうためにも。この辺、やたら情念をめらめらさせて吠えたりするのではなく因果の風車が廻るなか選択肢などが整然と並べられ絞られていくのはよかったかも。あっさりしすぎ、って言うひとは言うかもだけど。
他方で、そうやって流れていった果て、最後の決闘のシーンは雷落として嵐を呼んで、もっとどろどろぐしゃぐしゃの地獄絵にしてもよかったのではないか - Johnny Toの復讐劇みたいに。どこまでをトドメとするか、というあたりまで測っていたようなので、物語の流れにはそれなりにはまるのだが、あと少しだけなんか炸裂して木っ端微塵に、すべてを台無しにするくらいの何かがほしかったかも。
この内容なら前後半で切ってリリースしても十分おもしろくなったのではないか、とか。
夕方、映画に行く前にMaggie Smithさんが亡くなったことを知る。
BFIで見た映画は、”Martin Scorsese Selects… “特集からの”The Pumpkin Eater” (1964)で、これにMaggie Smithが出てくるの。主人公(Anne Bancroft)の友人の風来坊みたいな役で、冷蔵庫の上にひょろっとした脚を折り曲げて座り、少し上を向いてその場で思いついたどうでもよさそうなことを喋る - 晩年の彼女のお喋り芸は既にそこにあるのだった。というのもあるけどこの映画、すごいから見てほしい。
彼女は3回ライブで見たことがあって、最初は2017年のBFIでのイベントのトークで、2回めはRoyal Balletの「白鳥の湖」の休憩時間で、話しかけないでください、って顔をして立っていて、3回目は2019年、Bridge Theatreでの一人芝居 - “German Life”。どれもぜんぶMaggie Smithだった。
ありがとうございました。ゆっくり休んで、気が向いたら降りてきてください。
9.27.2024
[film] Le comte de Monte-Cristo (2024)
[music] Nick Lowe & Los Straitjackets
9月24日、火曜日の晩、London Palladiumで見ました。2日前のElvis Costelloと同じ会場で、今回取れた席もどういう偶然かひとつ隣のとこだった(どちらも数日前に取ったやつ)。
今世紀に入ってからNick Loweのライブを見ていないことに気づいた。最初のは87年のElvis Costelloの”King of America”ツアーの時で、このライブは自分にとってはとてつもない衝撃で、追加で出たのも買って見に行ったくらい – なので今度出るBoxセットについては悩んでいる。プレイヤーとかないのに – で、Nick Loweはこのライブの前座で歌っていて、別に太田区民会館での単独公演もあって、これはこれで待望のだったので行って感動して、以降年に一回くらいでやってくる彼の公演には通って、追加されるレパートリーに一喜一憂したりしていた。彼の来日が発表になるたび、今度(こそ)はバンドかしら? と思ったりしたのもよき思い出。
今回のライブを知ったのはElvis Costelloのライブ行こうかどうしようか悩んでいた頃にこんなのもあるよ、ってWebに言われたからで(こんなのばっかし)、Costelloの歌う姿を見ているうちに、Nick Loweも行かなきゃかも、になってきた。彼はもう75歳になる。 客の杖比率もCostelloのより高い。ついでにカウボーイ比率も高い。
前座は当初Chris Difford(Squeezeの)と発表されていて、これなら行かない理由があろうか、だったのだが直前に彼は来れなくなったそうで、Andy Fairweather Lowになっていた。 Eric Claptonの横でギターを弾いているおじいさん、くらいのイメージしかなかったが、三つ揃いの背広姿でアコギを抱えてべらべら喋りまくる - 演奏しなくてすむからな、って – ほぼギター漫談で、でも、あたりまえだけどその合間に鳴らすギターはめちゃくちゃうまい。 Nick LoweとはRockpileを組んだ時にDave Edmundsと一緒に初期メンバーだったのだそう。あとPaul CarrackやAndy Newmarkとバンドを組んでいた頃の話とか。 こういうどうでもいい話をあと2時間くらい聞きたかったかも。
今回バックを務めるLos Straitjacketsについては、全員覆面しているし、メキシコかなんかの(←偏見)B級バンドじゃないのか、となめていたのだが演奏がすごくしっかりしていたので後で調べてみるとナッシュビルのバンドで、創設メンバーにはThe RaybeatsのDanny Amisがいる。The Raybeatsといったらthe ContortionsとかNo Waveからthe Golden Palominos、Hoboken界隈まで関わりのあった偉大なインストバンドで、この辺は書いていったら止まらなくなるので省略。
とにかく、先に書いたように彼の音楽を今世紀に入ってほぼ聴いていなかった状態なので、一曲目の”So It Goes”のイントロがエレクトリックで鳴りだした瞬間に首のうしろがぞわああーってなった。すごくパワフルで圧倒されるというわけではなく、ヴォーカルが入ればいつもの穏やかな彼の歌になるのだが、彼のライブで演奏される都度、脳裏でイメージしていたエレクトリックの音が実際に、ついに聴こえてしまったからだろうか。彼の曲って、イントロの一音や歌いだしですぐそれとわかるものばかりなのでこんな一喜一憂が割とあったことを思いだしたり。
で、ここを過ぎれば割といつもの、というかこれまでのNick Loweのセットで、客を楽しませるというより自分の持ち歌 – 特に割と最近リリースした曲たち - を淡々と歌っていくスタイル - これ、当たり前といえば当たり前なのだが、でも一度でいいから”Labour of Lust” (1979) 全曲披露とかやってくれないものだろうか。
7曲くらいやったところでNickは引っこんでLos Straitjacketsが単独でサーフミュージックを数曲。サーフミュージックなんて、(退屈)とは言わせないんだから、という適度な気迫と芸道に満ちた楽しい演奏だった。このライブ、前座のはじめからして寄席っぽいんだけど、それがまたよい方に機能していて、バンドでやろうがソロであろうがこの辺は変わらないような。これって、小屋を渡り歩いていくフェスのノリとは根から違う気がする。
再びステージに現れてからも、新しい曲だってあるんだよ、って最近の曲をやった後で、”Cruel to Be Kind” ~“Half a Boy and Half a Man” ~ “(What's So Funny 'Bout) Peace, Love and Understanding” ~ “I Knew the Bride (When She Used to Rock 'n' Roll)” の流れはエヴァ―グリーンというのとも違う、でももう30年以上愚直にやっているやつだなー、って。いいかげんいつまで半分少年をやっているのですか、など。
アンコールの最後は、バンドをさげて、ひとりになって、憶えているかな? と自分に向かって呟きながら”Alison”を歌いだす。
この曲って、歌い方のトーンでAlisonの表情はどんなふうにでも変わってしまうのだが、こんなに静かに切々と鳴るのを聴いたのは初めてだったかも。
9.25.2024
[film] Mandy (1952)
9月16日、月曜日の晩、BFI Southbankの特集”Martin Scorsese Selects Hidden Gems of British Cinema”で見ました。
監督はAlexander Mackendrickで、彼がEaling Studiosで手掛けた5本のうち、唯一のノン・コメディドラマだという。原作はHilda Lewisの小説” The Day Is Ours”。1952年のヴェネツィアでSpecial Jury Prizeを受賞している。
米国での公開タイトルは、最初”The Story of Mandy”で後に” Crash of Silence”となった。こんなによいドラマなのに日本では公開されていない?
戦後、瓦礫が残る復興期の英国で、Christine (Phyllis Calvert)とHarry (Terence Morgan)の夫婦に女の子Mandy (Mandy Miller)が生まれて, 彼女の反応の仕方みて、耳が聞こえていないのではないか、って思ったらやはりそうで、それなら外の子とは遊ばせられないし、うちに置いて育てようというHarryと彼女のような子達を集めてユニークな教育をしているDick (Jack Hawkins)の学校を見学したChristineは対立して、結局Mandyはその学校に行くことになる。
この学校はマンチェスター郊外にあるRoyal Schools for the Deafがモデルだという。
学校でもMandyは孤立したり最初は大変でかわいそうだったのだが、少しづつ周囲への反応の仕方や伝え方が外向きに変わっていって、それを見て抱きあって喜ぶChristineとDickの関係をよろしくないかも、と思った学校側がHarryに伝えると、冗談じゃないってMandyを学校から連れ戻して家に置いて…
仕事が忙しくて殆ど家にいないくせに教育方針にだけは口うるさく、よからぬことはぜんぶ妻/母親や学校のせいにしようとするどうしようもない夫 – そこらじゅうで見る - がいちいちさいてーなのだが、それ以上に泣いたり苦しんだりしつつも外の世界に少しづつ歩み寄っていくMandyの姿がすばらしいの。
ふだん映画のカット割りとか音響とかあまり意識しないで見てしまう方なのだが、この映画の耳が聞こえる/聞こえないの境い目や、その境い目がブレークする瞬間のカメラや音の動きはすごいなー、って思った。こういうことか!ってMandyにも見ている我々にも直に伝わる。ラスト、外の世界に向かって歩きだすMandyの背中をとらえたショットのすばらしいこと。
The Man in Grey (1943)
9月17日、火曜日の晩、BFI Southbankの同じ特集で見ました。
監督はLeslie Arliss。 “Gainsborough melodoramas”と呼ばれ、1943から47年にかけてメロドラマとして売られたGainsborough Picturesの作品群のうち、時代が昔のそれだとコスチュームとも絡んで、なんだか特別な時代劇のように扱われるっぽい。 昼メロのようにゲスい展開と運命にめまいしつつ、あれこれ目を離せなくなってしまうやつ。
印象に残るオープニングロゴはThomas Gainsboroughが描いたSarah Siddonsの肖像だそうな。
原作はEleanor Smithの同名小説(1941)で、アメリカではベストセラーになったという。邦題は『灰色の男』。
1943年のロンドンで軍服を着た男女(Phyllis Calvert、Stewart Granger)がオークション会場で出会う。そこではRohan estateの品々が売りに出されていて、ふたりはこれらってどういう経緯でこうなっちゃったんだろうね? とか会話しつつ、戦時の停電規制でオークションが中断してしまったのでまた会おう、って別れる。
そこから舞台は1800年代初になって、お嬢様学校にいる快活で人気者のClarissa (Phyllis Calvert)とちょっと暗めの教師のHesther (Margaret Lockwood)が出会って、ClarissaはHestherとお友達になりたい、と近づくのだが占い師はHestherの運勢を見るなりこいつはやばい… って口をつぐんで、でもそのうちHestherは駆け落ちしていなくなり、Clarissaも家に戻ると裕福だけど陰気なRohan侯爵 (James Mason)と結婚させられることになる。
そこから先は謎の男Rokeby (Stewart Granger)とHestherのこと、Rohanの家に住むことになったHestherとClarissaのあれこれ、甦る占い師の予言、その裏で売りにだされていく家の品々が、ぜんぶ理由なんてない、もうどうしようもないから運命だからー、みたいなトーンで流れていく。ものすごく歪んだRohan侯爵とHestherの一見そうは見えない邪悪さと滞留しないで束になって流れていくどろどろ。 Downton AbbeyにAri Aster的な理不尽な暗さが挟まっている、というか。
でもこれ、「灰色の男」の話なのだろうか? 確かにこいつさえいなければ、という内容ではあるけど主人公はあくまでふたりの女性のような。
James Masonの灰色というより真っ暗な暗さはこないだ見た”The Seventh Veil” (1945)に続いて凄みたっぷり。英国の貴族ってみんなあんなふうになっちゃう(or こんなふうにしてやれ、って書かれちゃう)の?
最後にふたたび時代は現代に戻って、軍服姿に転生したふたりが手を繋いで走っていくの。軍服だから殺し合いはお手のものとか。
9.24.2024
[music] Elvis Costello & Steve Nieve
Elvis Costelloは先月70歳になって、先週見たRobyn Hitchcockも71歳で、年齢なんて...とか言いたくなくても自分も含めてもうあまり先の見えないどうしようもないところまできてしまった。会場にも杖をついた人がいっぱいいたが、どちら側も、いつそうなってもおかしくないことに備え、見れるうちに見れるものは見ておかねば、って。ふがふが。
9月22日、日曜日の晩、London Palladiumで見ました。ここでの2 daysの後のほうの。
最初の日はThe LIPA Hornsっていう管楽器団が一緒だったようだが、この日はThe Brodsky Quartetが一緒に。
前座はなくて、19:45にThe Brodsky Quartetが出てきて、先に彼らだけで少しやるのかと思ったら、Costelloもいつのまにか彼らの横に立っていて、マイクを手にして“Deliver Us”を歌いだす。彼らとの共演アルバム - “The Juliet Letters”からもう30年になるのか…
彼のライブはこれまでギター一本のからいろーんな形態のを見てきたほうだと思うが、Brodsky Quartetとのは見ていなかった。英国での公演で前回見たのは、2010年、Richard ThompsonがキュレーターだったMeltdown Festivalでのソロで、アンコールでRichard Thompsonが出てきて一緒に”The End of the Rainbow”を演ってくれたのだった。
このホールの弦楽器のすばらしい鳴りと、ギターを置いてマイク一本で歌に集中したときのCostelloのいろいろこめすぎて調子っぱずれになるところも含めた凄まじさを思い知らされた晩だった。スタンドマイクが右と左に2本づつ – 各役割は不明、真ん中にハンドマイクと、ギターを弾くとき用のスタンドと、過去にこのホールで公演したミュージシャンからコメディアンまで、彼らに敬意を表しつつそんな伝説になるのは今晩の自分だ、ってはっきりとポーズをとっていて、一曲ごとに立ちあがって拍手してしまう客も結構いたがそれも無理ないわ、ってくらい力強い。
個人的には、「19歳でこの曲を書いて、まだ書き続けているけど終わんないんだよなあーSteve?」って言って始めた”New Lace Sleeves”~” All This Useless Beauty”のあたりで泣いてしまう。 一番聴いていた頃のが”Trust”(1981)だし。
あとはBacharach との共作”I Still Have That Other Girl”からの”She”は、くさいなー、って思いつつもどうしようもない。あんなふうに弦を鳴らされたら。
ここまで、これ以上やられたらもう保たない、てなったあたりで第一部が終了。約1時間。
第二部は、照明がおちたらJazzmaster1本を抱えて左袖に立っていて、最初の一音でそれとわかってしまう”Alison”から、エンディングでギターを置いてそのまま”Over the Rainbow”を歌って、そのまま”(I Don't Want to Go to) Chelsea”に行くとか。お化粧直しをして、靴と胸のハンカチーフと帽子を揃いの赤にして(第一部での靴は金色)おしゃれだった。3つめの“Pills and Soap”でステージから消えたと思ったら通路に下りてきて割と近いところから反対側まで行って”I Can't Stand Up for Falling Down”をしつこいくらいわーわー歌って煽りまくる。
あとは最近息子にも言われたので哲学を勉強しなきゃいけないと思って、でも最良の哲学者はニューオーリンズにいるんだよ(御意)、って弾き語りでBobbie Gentryの”Ode to Billie Joe”とか、これ以外のカバーだと、Tom Waitsの”More Than Rain”とか。
ラストは今回のショートツアーでここだけ決まっているらしい”Shipbuilding”~ “(What's So Funny 'Bout) Peace, Love and Understanding”。 ”Shipbuilding”は戦争についての歌で、The Brodsky Quartetの弦が船を沈めるかのように包みこみ、“(What’s So Funny...”は、かつてのように痛快にふっとばすことを許してくれない。なぜこの2曲で締める必要があるのか、もちろんわかっているよね?
休憩を挟んでトータル3時間。これまで見てきた彼のライブは競演者の技を最大限引き出すべく立ち回るのと、(ソロの場合はもちろんそうだけど)その時のありったけのエモーションをぶちまけるのとふたつの方角があった気がするが、今回のは両方をものすごく過剰なくらい丁寧にやっていて、9月初のLeedsでの2日間、4セットで全キャリアを総括していたライブとあわせると、とにかく何かを残そうとしているようなかんじがあって。 まだいなくならないよね?おねがいだから..
さっき、同じ会場でNick Loweを見てきた。続けて書きたいところだが、もうむりー。
[film] My Favourite Cake (2024)
9月17日、月曜日の晩、BFI Southbankで見ました。
作・監督はイランのMaryam MoqadamとBehtash Sanaeehaの共同で、国はIran/France/Sweden/Germanyの共同となっている。
ベルリン映画祭でプレミアされ(ここではFIPRESCI Prizeを受賞)、そこに向かう直前にイラン当局が監督2人のパスポートを没収して出国を阻止して、その6ヶ月前には彼らのオフィスでハードディスクが没収されている。
日本で公開されるか知りませんが、このタイトルなのでまたふわっとした邦題でかわいらしくプロモーションされる(どーでもいいけど、あれら本当に気持ちわるいわ)のかもだけど、内容はとても過酷でシリアスな – つまりこれが現実 – ってやつだし、この内容が当局に厳しく検閲、弾圧されている、ということはどういうことか、映画を売る前に考えてほしい。
映画のなかでも”morality police”が町のそこら中にいて、ヒジャブが正しく着用されていないことを注意しまくるのに主人公が文句をいうシーンがあるが、日本の理不尽な学則とか教育委員会のあれと似ている。中にいて慣れてしまうと今の目の前のことがどれだけ異常か見えなくなるあたりもー。
テヘランの郊外、70歳で夫に先立たれてずっと住んでいる家にひとりで暮らすMahin (Lily Farhadpour)の日常が描かれる。
彼女は太っていて寝たり起きたりの動作も大変そうで、どこかで見た何かに似ている.. と思ったらマツコの体型かも。服もあんなふうだし。
昼頃に海外に暮らす娘からの電話で起こされるシーン - 夜はなかなか寝付けないのでほっといて - に始まり、がらんとした家で食事の支度をし、それをひとりで食べて、庭の植木に水をやり、市場に買い物に行って、道端でポリスに虐められている女性を助けたりする。 たまに定期的に会っている友人たちをランチに呼んで世間話をする。 夜になるとメイクを - 青緑のアイラインとか試してみて、割と似合っているのだが、ひと通りやった後に拭き取って溜息をつく。
ものすごい面倒とか困難があるわけではない、大きなドラマがやってくるわけでもない(そういうのがあるならくれ、の)日々が、彼女の背中とか表情を通して綴られていく。ドキュメンタリー、と言われてもそのまま納得して見れてしまうくらいの平熱感。
ある日、おめかしをして高級そうなホテルのティールームに行って、一人で席に通されて、でもなんかいたたまれなくなって、年金受給者のクーポンが使える町の食堂にいく。
そこでは自分と同じような年寄りが仲間同士で楽しそうに食事をしていて、でもそこから離れてひとりで食事をしている男性に目がいって、食堂から出た彼を追って話しかけてみる。
それがFaramarz (Esmail Mehrabi)で、Mahinはタクシー運転手をしている彼の車に乗りこんで、いろいろお喋りをはじめる。元軍人で、いまは一人で暮らしているという。なんとなくよい人っぽいので、Mahinは彼を家に誘ってみると、彼は少し戸惑いつつもタクシーを家の近くに停めて素でやってくる。
Mahinの方は服を着替えて、ワインを注いでつまみをだして、壊れていた庭の電気を修理してもらい、オーブンに火をいれてケーキを焼いて、一緒に歌って踊って、携帯で一緒の写真を撮って、(これは予告にもあるシーンだが)「死ぬのはこわくない」 - 「ひとりで死ぬのがこわい」とFaramarzは言う。
このふたりがここからどこに向かうのかは書きませんが、あの結末がなくても、ここまでだけでも老いてひとりで暮らすことについての見事な描写と省察になっていると思った。携帯で撮ったふたりの写真、そしてラストのMahinの後ろ姿が。
福祉や社会保障がどう、という話も少しはあるけど、そこではなくて、人はやがてひとりで死ぬのだ、人がひとりで死ぬというのは例えばこういうことなのだ、というのを切々淡々と。
救いも癒しもない。それはもう自然現象に近いことでもあるので、恐れても怯えてもしょうがないし、迷惑はかけたくないとか心の構え、なんて言っても無理なところは無理だし、結局そこに向かってどうする? になるのだが、そこに向かっているのは間違いなく今のこの瞬間の、この自分でもあるのだ、って。軽い話ではない、けど重く考えたところでどうなる? で、いつも固まってすべてが停止する。
そういうのを考えさせないようにしてひたすらビジネスとか利便性とかの方に優先順位を置こうとする今の社会の代理店化にはもうほんとうんざり。
映画は、とにかく真ん中のふたりが本当にすばらしいので見てほしい、しかない。
9.23.2024
[film] To the Public Danger (1948) + Stolen Face (1952)
9月15日、日曜日の晩、BFI Southbankの特集 - “Martin Scorsese Selects Hidden Gems of British Cinema”で見ました。監督Terence Fisherによる中編と長編の二本立て。
To the Public Danger (1948)
43分。元はRadio playだったそう。
田舎の、他になにもないようなパブで最初のデートをしている男女がいて、そこにヤクザっぽい格好の男2人組がそういう車でやってくる。ひとりはぎらぎら漲っていて、もうひとりは最初から酔っ払っているのかラリっているのか。入ってきたふたりは男女 - 特に女性の方に目をつけて、一緒に呑もうぜ、って初めのうちはビリヤードみたいなゲームをしているのだが飽きてきたので場所を変えて呑もう! って、それに相手の彼を物足りなく感じはじめた女性が応えたので4人で車に乗り込んで何もなさそうな道を飛ばし始めて、既に酔っ払っているのではしゃいでぶっ飛ばしていたら自転車に乗っている人をはねてしまったようで、やばいじゃんとか言いつつもそのまま逃げてしまう。
唯一シラフっぽい彼が警察か救急車を呼ばなきゃ、とみんなに言うのだがだいじょうぶ誰も見ていなかったし、通報しておれらが酔っ払っているのがバレたらそれだけでしょっぴかれるぞいいのか? ってヤクザに凄まれて、さらにぼこぼこにされてしまうのだが、そのまま夜闇に紛れて逃げて、電話のあるところから警察に電話してもらうのだが…
そんなふうに彼ががんばってひき逃げ現場まで行き、それらしき家を見つけて警察と訪ねてみてもだめで、どうなっちゃうのか… になるのだが。
酔っ払い運転はだめよ、というこの頃からあるお話しなのだが、最後までどっちに転ぶかわからないはらはらと、あとはこんなふうに車に乗せられて巻きこまれたらどうしようもないよなどーする? って。
あと、自転車を轢いたか轢かなかったか、は最初に車を停めたところで見ればよいだけだったのに、それすらしなかったのは、それくらい酔っ払っていたから?
Stolen Face (1952)
72分。 Hammer Filmsの作品。
有名かつ優秀な整形外科医のPhilip (Paul Henreid) がいて、てきぱき仕切って万能なのだが忙しすぎてよろけたりするようになってきたので休暇に出るように言われ、その静養先の田舎の宿で風邪をひいて寝込んでいたコンサートピアニストのAlice (Lizabeth Scott) と出会って、ピクニックとかしたら恋におちちゃって、プロポーズしてみたけどだめ、って断られて彼女はヨーロッパのツアーに、彼は病院に戻る。
Philipは刑務所で収容者の社会復帰を促すプログラムで頬に残った大きな傷が理由で苦しんでいた女性Lily (Lizabeth Scott - 二役) のケアをして、その整形をする際に彼のなかで忘れじの面影だったAliceの顔をコピーしてしまい、それがあまりにうまくできたせいか、自分をふったAliceへのあてつけもあったのか、いきなりLilyと結婚する、って宣言して、周囲は彼女は過去にサイコパスって診断されていたしやめた方が、って忠告するのだがPhilipは自信たっぷりで聞かなくて、こうして最初は幸せに見えた結婚生活もLilyの浪費癖やぶちきれとか、かつての仲間との夜通しどんちゃん騒ぎなどで綻びはじめて、そんなさなか、PhilipはAliceと再会して…
お医者さんがそんなに外見 - 顔に拘って人の人生振り回して自分も振り回されてよいのか、というかそんなの自分は医者だからどうとでもできるってナメていたのか、なかなかすごいお話しだと思った。 (むかしブラック・ジャックにこんなふうな話なかったっけ?)Aliceにしてみれば自分の顔を勝手にコピーされてそのまま結婚までいくって、内面とか結局どうでもいいわけ? とかふつうは怒るのではないか。 (結末は予想できるようにLilyが破滅する/してくれるのだが、その後でPhilipがAliceと一緒になれるとは思えないよねえ)
Terence Fisher - 全然知らない監督だった - この後に”Dracula” (1958)や”The Curse of Frankenstein” (1957)を撮っていくのね - が、でっかい物語をつくる、というより変な巻き込まれとかツイスト & いろいろ突っ込める穴たちをうまく持ちこんでくる人だなー、って。 なかなか英国的、と言えなくもないような。
9.21.2024
[music] Robyn Hitchcock
9月14日の晩、HackneyのEartHで見ました。ここに来るのは2019年のRaincoats以来か。
この日は朝からOxford Open DoorっていうのでOxfordに行っていた。この土日、普段は入れない・入るのが難しいOxfordの学校とか教会とか施設に入れるというやつ。
ロンドンでも建物とガーデンで同様のがあって、建物のOpen Houseは同じタイミングだったのを後で知ってううーってなった。同じ日にやることないじゃんか。
Christ Churchに行ってMerton Collegeに行ってMagdalen Collegeに行って、New Collegeに行ってOxford Union Societyに行って、久々にAshmolean Museumにも行った。
Christ ChurchのLibraryではLewis Carrolの展示を、Magdalen CollegeのOld LibraryではC.S.Lewisの展示をやっていた。Oxford Union(社交クラブ)のOld LibraryのWilliam Morrisの天井模様は見事だったが、置いてある本はそんなでもなかった。 でも全体としては古い建物に古い本がいっぱいあって、緑も水も沢山あって、でっかい牛もいて、こんな大学にいられたらいくらでも勉強できたのになー、って今さらに。
晩はロンドンに戻ってRobyn Hitchcockのライブだった。チケットを買っていたのをすっかり忘れていて危なかった。
彼、1953年生まれなのでもう71歳になるのか。
最初に見たのは with the Egyptiansで、”Globe of Frogs”(1988)で来日した時の川崎でのライブで、それはそれはすばらしくて、サインイラスト入りの色紙はここから15時間くらい離れたところのどこかの棚の奥にある、はず。NYでも何度か見て、最後に見たのはThe Soft Boysの再結成ライブだったかも。
今回のライブはKimberley RewとMorris Windsorもいるバンドセットだというのでー。
Kimberley Rewは、The Soft Boysはもちろん、Katrina and the Wavesでみんなが知っている世紀の名曲"Walking on Sunshine" (1983)を書いた人で、ソロでも"Fishing"とかよい曲がいっぱいあるの。
はじめにコメディアンの人(?)が出てきてRobynの経歴を重々しく語り - 前世紀の初めに生まれて30年代にアメリカに渡ってRobert Johnsonとバンドを組み.. 云々、その紹介に乗ってRobyn Hitchcockがでてきて、初めはアコギ一本で弾き語りをする。硬く奇怪にうねるアルペジオに負けない、強くどこまでも伸びていくあの歌声。真ん中くらいでKimberley Rewがもう一本のアコギで、彼のパートナーのLee Cave-BerryとMorris Windsorがコーラスで入って”Waterloo Sunset”とかThe Moveの”I Can Hear the Glass Grow”なんかをやって前半おわり。
後半はエレクトリックのバンドセットでRobynはストラトキャスター1本、Kimberley Rewはテレキャスター1本、エフェクターはディレイともう1個か2個、チューニングもしないで弾いて絡めて朗々と歌って流していくだけ。この2台のギターの重ね合わせとRobynの変てこな歌声を聴いているとまるでTelevision - Tom Verlaineに聴こえてしまうのだった。(よいこと)
セットはほぼThe Soft Boys〜The Egyptiansの曲ばかり、最後の”I Wanna Destroy You" - “Baloon Man” - “Airscape”の流れは、ほーんとにひさびさに聴いて鼻血がでるかと思うくらいよかった。”~ Balloon man blew up in my hand ♪” がいまだに離れてくれない。
アンコールの一曲めはLee Cave-Berryがvocalをとって”Walking on Sunshine"で、これもなんかよくてさー。
あの歌声とギターだけでできあがってしまう世界の強さとその不滅 - ナッシュビルに移住して、とにかくずーっとレコードを出し続けている、こういう世界があることはわかるのだが(なんとか・ようやく)、これらがなんなのかは今だによくわからないねえ。(←バカも不滅) Julian Cope氏のライブも、こんなかんじのライブをやってくれないものだろうかー。